Interview with OJUN

画家OJUNは日本で生まれた。北海道にもルーツをもつらしい。ドイツにわたりやがて日本にもどり。土中に体を埋めて出没させた頭にバナナをのせるなどしたのち、なぜか絵を描きはじめ。コップや花やテレビとか、鉄球の人間とか。爆弾のベストをまとった人間とか。船などを描いてきた。東京芸術大学や美学校、女子美に東京造形に・・教授をしておおくのひとに教えた。教えたのか教わったのか、ただそこにいたのか。みんなであそんでたのか。岩永忠すけからインタビュー。私があったその彼はアロハシャツを着てごついブーツを履いて、でかいが身ぎれいな紳士であり。少女のようにか細い。だけど老婆のように、しわがれたみずみずしい巨漢。足は長い。風船。
それではインタビュー。

O: OJUN
I:岩永忠すけ   

O:
いやー いやでも 相変わらず変わらないね

I:
あんまりね 変わらないかも知れないですね

O:
変わらないね  うーん
今いくつになったの

I:
40超えてますね


O:
40超えたー えー


I:
もうね すごいですよね 19歳の時から知ってるから


O:
そうかー


I:
ojunも俺のことを


O:
そりゃー こっちも歳とるわけだよなー


I:
そうですよね 衝撃を受けてますよね


O:
てことはさ 同級生だったさー pとかもそのぐらいになっているわけだよね


I:
うん そうそう同じになってて


O:
うん そっかー


I:
もうね わりとojunは父親的なハハ父親的なポジションフフ


O:
父親的なことはなに一つできてなかったけどねぇ!{後半早口}


I:
いやー結構できていましたよねぇ・・色んな人の父親みたいな役割をぉ


O:
いやいやいや


I:
やっていたと思いますよ


O:
いや~


I:
みんな言ってますよ バンドのメンバーも※1[メンバーitagaki]東京の東京のお父さんみたいな

※1[メンバーitagaki]mamitri yulith empress yonagunisanのdr。1999年にであう。「Yulith Lilith 」「 一二三 fairy tail chimidoro phenomenon satan Inferno dress ha cattlemurarete Yggdrasill hawasasaru」「25/12/2013」


O:
東京のお父さん東京のお父さん たまに会ってもお小遣いも貰えないんだな


I:
いやでもねー そうとう皆に ごはんオゴリ続けてきたと思うんだよね・ククク


O:
いやいやーw 大したものはおごっていないねぇー


I:
いや 随分食べさせてもらったっていう


O:
えー そうかそれで 今 岩永忠すけは佐賀でそのまぁ 事業だよね 一種のね大きな 事業だよね その規模まで行くと


I:
うん事業


O:
うん、そうだよねーいやー そういう形ってのは 周りにいないからさーなかなかちょっと想像ができなくてさー


I:
うーん


O:
例えば 最近はよくほら 色んなホテルにアートで ホテルの部屋をあれしましょうとかさまあそういうのが そういう企画みたいなのがあって 作家がその部屋をアレンジしてみたりとかってあるけど


I:
うん


O:
その部屋自体も持っちゃってるんですよね つくっちゃっているんだよね


I:
建物をね うん


O:
どのくらいの その いろんな種類のことを今やっているんですか?まず 作家として?


I:
えっと まずーレストラン 料理も作ってるし


O:
えっ あんた料理作ってるの?

I:
料理は毎日作ってますよ 料理も覚えて 料理作りたかった…なー なんか おれがインタビュー受けてる側になってるかなハハハ


O:
いや、うーん・・


I:
建物 建築やってる


O:
建築やってるよね


I:
土木やってる 土木工事 公共工事もやってる


O:
やってる


I:
で 飲食店やって

 
O:
うん


I:
ホテル ホテルの経営やって


O:
はー


I:
で セレクトショップがもうすぐオープン


O:
また 新しいところ


I:
いやおんなじ場所内に ※2[大きい建物内]

※2[大きい建物内]genius lociのこと、genius lociは佐賀県有田町の山間部に存在する。kinbosi/emerald/abyss/ammonite hotelを要する建築群。kinbosiではスパイスカレーを食べることができる。emeraldはwomowsasamamam lulufumeの服、アクセサリー、陶芸、オブジェ、音楽、本などがならぶショップ。ammnonite hotelは静かなデザインホテルとして世界中の旅人に愛されている。


O:
はぁーもうすぐだね うん


I:
今それ 頑張ってるだから器も 器とかも作ってる 洋服も作ってる


O:
焼き物も作ってる 洋服も作ってる


I:
洋服も作ってる で 家具も作ってる 家具も作り・・・


O:
はーもう 衣食住 全部ってことだよね


I:
全部 うん で 家も作ってる


O:
家も作ってる 人の暮らし 生きることにおけるすべてってことだよね


I:
うん そうですね


O:
そうだね


I:
うん全部やっていると思う 大変だけどやってますね


O:
はー


I:
で ※3[美術館]を8月にオープンします

※3[美術館]「genius loci」 に併設する現代美術館「abyss」は純粋に絵画に接するための空間としてつくられた。自然光で見る。陰陽を内包した設計。水平の大ガラスと植物群。光の空間と暗い回廊を循環する光の透り。陰の中に陽があり陽の中に陰がある。それは回転する渦として建築に象徴され循環している。展覧会に使用されるのは陽の部分にあたり、空間の陰にあたる部分は一般には公開されていない。2021/8/21に倉田悟/「おやすみ」が開催された。設計/岩永忠すけ。


O:
ふふー それ、全部佐賀でやってるの


I:
全部 佐賀ですね 同じ場所でやってます ねー 同じ場所で やってるよね?だから


O:
おもしろいねー


I:
そ そこで 色んな人に作品を出してもらったりその時に あの 残す 残すことを主にやりたいから


O:
残すことを うんうん


I:
やってよかったねーって 終わるんじゃなくってやったことをちゃんと記録していきたいという


[携帯が鳴る]


O:
うんうんうん ちょっと消しちゃうね


I:
うん どっちでもいいですよ残したいんですよね 消えていくものをいっぱい見てきた気がするから


O:
すごいねぇ おもしろいね残したいというのはすごいおもしろいね


I:
ojunの話も 面白い話いっぱいあったけど記憶の中だけでこう記憶の中だけでずっとあるからojunだけじゃなくて


O:
ううん

I:
みんな面白いことみんな言っていたなって思ったり 面白い風景がある時期があったりそれがどんどん街から消えていったりとか人も消えていったりしたことを 残したいなって気持ちになって美術館は 割とそういうほうに向かってってますねまそれだけじゃないですけどね


O:
まぁ 残すという なんかワードは すごいこう俺もぎゅっとくるなぁ


I:
ぎゅっとくるーんー


O:
うーんいやまあ、絵なんて 描いちゃっうと 残っちゃうからさ


I:
残りますよねええ すごいと思います それは


O:
でも例えば岩永忠すけが描いた絵があるじゃん で 岩永忠すけが描いた絵は 本人が持っているか どっかにあるか


I:
うんうん


O:
で 本人が 描いた直後かどっかに持っていく前に例えば 展覧会やそのアトリエでちょっとこう見たことがあるわけじゃないおれはさー


I:
…見たことあるうんうん


O:
一緒に※4[国立国際]で一緒に展覧会もやったし で ああいう時に改めて見たりとか ※5[ギャラリー]で見たりとかしてだけど今はもう 目の前に 見たくてもすぐ見れないんだけどさあ でもその時にやっぱりものすごく強いこう印象として やっぱり残っているんだよね で 俺の中で残っている岩永忠すけの絵というのは ほぼ間違いなく見えているんだよ だけどたぶん 実際見たらいろんな見間違いとかさ 見過ごしがあってさ もう一回改めて見るんだよね だから ものが残っているとそれができるんだよね 


※4[国立国際](こくりつこくさいびじゅつかん)大阪国立国際美術館。世界各地より作品が収蔵されている巨大な美術館。大阪市北区中之島にある、独立行政法人国立美術館が管轄する美術館である。収蔵品は第二次世界大戦以後の国内外の現代美術が中心。設立は1977年(昭和52年)。当初は大阪府吹田市の万博記念公園にあったが、2004年(平成16年)に現在地へ移転した。 世界的に見ても珍しい完全地下型の美術館であり、建築は竹の生命力と現代美術の発展・成長をイメージしている。


※5[ギャラリー]世界には様々なギャラリーが存在する。東京にも。画家はギャラリーを渡り歩きながら作品を発表していく。コレクターや作家はそういった場所を巡回しながら少しずつ、作品群が形成されていく。世界の片隅で少しづつ。


I:
そうですよねぇ


O:
うん そう だからまた見たいよね残っていると、また見れるからさー


I:
そうだねー


O:
だからすごいあの大きな あの意味があると思う やろうとしていることは


I:
うぅん そう残ったものでしか なんか 自分も勉強できないことが多いから 知っている人から聞くだけのね 言葉だと すごいちっちゃいけど まぁ大事なんですけど なんか 遠くにいる人のね やっていることを見えるのってそういう 残っているときだけだから だから近くに 近くにいるから あのね 残さなくても安心しちゃうことが多くて 手を抜きがちになっていたなとw 自分ですごく思ってて 


O:
うん それはおれもあるね そうだね


I:
気づかない ものすごい近くにあるので残すべきだったものが いっぱいあるのかもしれないというのに 何年か前から気づき始めて…


O:
それはやっぱり 今のような事業を起こして 始めるようになってから?


I:
うーんそうですね たぶんそうだなたぶん絵だけ 絵だけくるったようにやっていたから 断絶がすごかったんで


O:
うぅん


I:
ようは 世の中が すごい そっちで生きていけないと思っていたから 美術にすべてを こうっw 注ぎ込んでいた時があって 長かったから そこから んんんんーなんだろうね なんか 自分と話の通じない人とどんどん会っていかないとまずいなと思い始めていた時期があって だから 本来 自分とは話せないような人たちと 自分が話せないのかも知れないのだけどw どんどん会っていきたくなった で 色んな人に感謝をいっぱいしていきたくなって 憎しみを持っているほうが 多かったから


O:
へぇ~


I:
これは俺の話になっちゃうから、ハハw


O:
うん そっか


I:
でも 成長したんだと思うけど そこまで


O:
ぜんぜん でもさあ いや こういったそういう話を岩永本人から聞くということ自体も すごい驚いているんだけど でも※6[あの頃]は そういう風に いちいち言葉にはしなくても やろうとしていることの こう迫力というか 気迫みたいなものは常にあったから


※6[あの頃]1999~2010あたりの東京の風景。ワールドカップがはじまって。ヒョードルが現れ。新宿コマ劇場前は混沌とし北島三郎が闊歩する。浮浪者は世界の終わりを告げる歌を歌い続け。全裸の老婆の浮浪者が女帝として君臨しパチ屋の自動ドアで踊る。リキッドルームの螺旋階段は地獄の天界へつづく上昇する扉を備えフロアは実際にうねっていた。インターネットが黎明し、ネトゲ廃人が増え。それでも楽しみ、未分類のカルチャーがあふれ。街にはバイクがたくさんいて。楽器を担いだ人がたくさんいて、勤め人は元気に通勤し、いつも桜が咲いてる。西東京は夕日がいつもあって。東の犬吠埼からアサヒがやってくる。青梅街道は奥多摩へつづき鍾乳洞が眠っている。水琴窟は時を止め、街には霊と竜がいる。大きな水辺にひたされた都市は、風街のころからすこしづつ変わっていく。江戸の心も少しここにあり、公園で眠る。画家たちは描き続けた。


I:
そうだと思います


O:
うんで やっぱり作ったものが いつまでも ただそれを見た俺の中に やろうとしていたことは おれの見たなかで強くあって それは絵だけじゃないんですよ あなたの※7[ちょっとこう書いた言葉]だとか そういうなんて言うかほんと 本当に部分だけど やっぱり残ってて やっぱりそういうこう 残るっていうのは 物理的にそれは残ることになるんだけど えっと体の中に入ってくるときに やっぱり物理をこう貫通して入ってくるから そうすると 体がフィルターになって 色んなものがそこで取捨選択されちゃうじゃない やっぱり残るものと 残らないものっていうものはあって で 岩永忠すけは 絵も言葉も描いている文字みたいなものも 断片的なんだけど でもずっと残っているっていうのは 極めて稀な あの・・ケースですね


※7[ちょっとこう書いた言葉]2004年ごろ岩永が夢のような情景をメモしたtextのこと。現物が残っておらず現在は行方がわからない。おそらくojunと岩永本人、または数人の記憶にしかない文章のこと。採石場を見下ろす湾曲した道の風景についての文章。たーぱみん。


I:
そうなのかな? 

O:
何人もいないですよね やっぱり うーん だからよほど強いんだろうね それはもう 今のようなすごくこう 手広くというとあれだけど色んなことをして 非常に総括的総合的な 大きなことをやっておられる現在はもちろんだけど 色んな事を勉強されているだろうけどでも その深さとか強さみたいなものを印象付けるナニカみたいなものは やっぱり19の時からあったと思うもんね


I:
あったと思う あのすごい面白いなって思ってる意味があって 多分そのっあのねっ ※8[すごい田舎から]出てきている人間だったから まあ異物感が自分自身すごいあったと思う 東京の中でも で そんとき自分の服装は たしか すっごい汚い あの ゾンビみたいな ※9[白い紙つなぎ]


※8[すごい田舎から]さまざまな意味での文化的な断絶。音楽・芸術・思想・文化・旧世界と新世界の文化的衝突が激しい時代。旧世界を隔てていた、文化的断絶。旧世界は常にありつづけ、拘束しようとする。新世界は常に生まれようとするが、拘束から逃れ続ける。インターネットがまだないころ暗黒の拘束力が高まっていた。美しい風景と暗闇がはげしく明暗をしていて、感受性には刺激がつよい。


※9[白い紙つなぎ]1999年当時、新宿世界堂で販売されていたの紙でできたツナギ。フリーサイズでダボダボでぺらぺらの真っ白い。汚れるためだけにある服。


O:
そうよ そうよー そうそうそう あれ紙つなぎだったんだー


I:
あの安いさ10[世界堂]で売っている 一番安い あの汚れる用の マスクと同じ素材

 
※10[世界堂]世界堂(せかいどう)は、東京都新宿区に本店を置く画材・文房具専門店。 1940年(昭和15年)創業。1947年(昭和22年)に「世界堂」と称す。1969年(昭和44年)に池袋パルコに支店を開店したのを始め、現在に至るまで池袋や立川などの都内各地のほか、神奈川県や愛知県にもある。画材、コミック用品、文房具、製図用品などにおいて、すさまじい品揃えを誇る。ほとんどの商品が値下げされており、20%引きなどが一般的であるが、「世界堂STカード」に加入すると、そこからさらに7%分のポイントが還元され、次回以降の買い物で利用できる。「世界堂STカード」は入会金500円で有効期限は2年。 「モナリザもびっくり」のコピーで有名。店舗看板や世界堂CBカードにレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナリザ」が口を開けてびっくりした様子のイラストを使用している。同店舗は新宿三丁目のランドマークともなっており、「アートの聖地」の呼称でも親しまれている。すこし下ったところに新宿美術学院がある。 美大受験生の最怖の虎の穴のような場所であり、どろどろになって勉強する画学生がうろついていることが多い。作品の多くは世界堂で購入された画材からうまれる。世界堂は岩永にとってほぼ家であった。紙をその場で切って販売してくれたりもする。紙の種類は膨大にあり、サンプルから選び出すことができる。当時最上階付近では装飾された額を売っていたが人影をみたことはない。

O:
はいはいはい 不織布みたいっていうのかな なんて言うのかな… マスクの素材 服を2着ぐらいだけ持っていて それ以外の服を着たことがない2年間ぐらいだった


O:
あの白衣という風に思っていただけど 違うんだ?


I:
そう 紙つなぎだった 紙つなぎで1年じゅう暮らしていて あの2着くらいしかもっていなくて


O:
そうだっけー?


I:
で 全部 ※11[絵具の色に全部染まっている] んで 暮らしていた で www 飛行機とかそれで乗っていたし 絶対危ない 絶対危険な感じしかなかった


※11[絵具の色に全部染まっている]洗濯すると破れるので、一度も洗濯されたことがない。岩永は絵を描く間もつねにきているし、外出時はほぼすべて之をきていた。当然紙なのでそこらじゅうが破断してくる。破れた個所は安全ピンでつないで補修されていた。股間部などが集中的に破断するため安全ピンだらけになっていた。頻繁に安全ピンがはずれ皮膚に突き刺さっていた。


O:
危険だね~ しかも19でそんなで恰好して 飛行機乗っていたら 今だったら ちょっとね


I:
今だったら もう無理 歩いていたら 声が 声が聞こえてました いろんなところから


O:
ですよね


I:
怖いとか危ないとか声がずっと歩いている 歩いているだけで 聞こえてくるみたいなそんな時期でした そんな時期にojunの最初の授業があってその時 すごい覚えてて あのねまずものすごくojunが激怒して おれにw そっそれが最初でーw


O:
そうなんだよ 何にもしていないんだよ


I:
それがすごい面白くてw


O:
そう 何にもしていないんだよ 何にもしてなくてただ行ったり来たり ふらふらふらふら その半分半裸みたいな格好でさふらふらふらふら歩いててさー で何にもしない ※12[ドローイング]もたくさん描かないといけないゼミなのにさー ドローイングの千本ノックなのにさー しないのよ もーでー すげー こう なんかこう浮浪者みたいな恰好しているしさー あーイかれてるんだなって思ってサ


※12[ドローイング]シンプルな線や色彩を用いて早描きする行為。タブローのように、緻密に構築するのではなく、瞬間的な発想が求められる。デッサンのような色彩や形態の正確性を求めるものでもない、自由さがある。1999~2007年頃OJUNはドローイングを重視した授業を東京芸術大学でおこなっていた。ドローイングの第一人者と言ってさしつかえはない。みたことない新しい絵を求めてドローイングの自由さに明け暮れた。何もないところからイメージが瞬間的に立ち上がる鮮烈さとひきかえに、自由が故に何もないとう危険がある。失敗すると本当に何もないゴミとなる。しかし画家として関係せざるをえないおえない領域である。


I:
でしょうねー


O:
これはちょっと活を入れないといけないと思ってさー ※13[俺若かったからさー]なにやってんだよ!(絶叫)とか なんか言ったんだよねー 


※13[俺若かったからさー]OJUNは巨躯であり、肉体を鍛えていた。圧迫感を備える。1999年。


I:
そうそうそうそう


O:
そおなんでやんないんだよって 言って で 何を 何をなんて返してきたか 俺もうちょっと覚えていないんだけど あまり大して返してこないんだよね… ん-みたいな…聞くともしない…んーみたいな


I:
ふーんとかみたいな


O:
それで 何人もいるから そん中に1人くらいいるんだなって思って[どうしようもないのが] それで それからまた半月ぐらい 1か月間の授業だから 半月間ぐらい経って それで講評になったのね それで講評なって その前日に 学生さんが描いたドローイングを全部こう 見るんですよ 一枚一枚 で バーッて見て 皆さん描いたドローイングをやってんだなって んーんやってんだやってんだなって見ていたら… 1人とんでもないのががいるんだよ もう やばいの ドローイングが げきやばで まさにドローイングとしか言いようがない ドローイングってのは ドローイングっていう単なる あのあのなんていうんですか 単純な 絵のスタイルとか 洋画のスタイルではなくて 「えがき」そのものみたいな だけど描きったって きれいな線を描いていくってそういんじゃなくて その人の体から出た 何かみたいな それがとりあえず描きって言葉を なんかこう背負っていますみたいな その人の全身みたいな… で すごいのがイるぞっ ビズリーチみたいなコマーシャル〇×△□ すごいのがいるぞって※14[ハセガワシゲル]さんもその時にオブサーバーで いてね もらって


※14[ハセガワシゲル]愛知芸大を卒業後1989-1992デュッセルドルフ芸術アカデミー。1992-1994アムステルダム De Ateliersをわたりあるく。長年ヨーロッパを放浪し現在日本在住。インドのアートフェスに出品したりもした。闇の画家。ペイン天狗。


I:
ねー


O:
で これすごいですよねって 誰だよっていってさ で 岩永忠すけだって えええって言ったら 


O:
彼だよって あの時ぜんぜん描いてなかったんだよってさ ちょっと こいつはとんでもないぞってなって もうやったねっ お父さんはホームランだって感じでさー そうだったよね


I:
そうそう くくくくく


O:
で あのときに 再入試ってタイトルだから もう一回入試をやるんですよそのドローイングが入試なんですよ でちゃんと合格不合格を決めるんだけど で合格は えっとちゃんとした合格者は2人だけだったんですよ


I:
そうそうそう


O:
あと補欠 ねっw


I:
そういう時は ※15[ノグチ君]とかもいたりして ひっかかってるのが3人くらい

※15[ノグチ君]元電気屋の店員。その前はビデオ店の店員。西海岸で服を買う。多くの心霊体験を持つ。


O:
そうそう3人くらい


I:
それがすごいね 面白かったね


O:
面白かったねー


I:
いきなり激怒から始まってw 激怒から始まってっていうもうあの流れ 完璧だなって思って


O:※16[メロスはは激怒した]じゃないけどさー 

※16[メロスはは激怒した]「走れメロス」の冒頭部分/メロスは激怒した。必ず、かの邪知暴虐の王を除かなければならぬと決意した。メロスには政治がわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮らしてきた。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。…….メロスは激怒した。 2「あきれた王だ。生かしておけぬ。」・・・・・・・・・・花婿はもみ手して、照れていた。メロスは笑って村人たちにも会釈して、宴席から立ち去り、羊小屋に潜り込んで、死んだように深く眠った。/走れメロスの冒頭でメロスは激怒していた。


I:
コントですよねw ほんとにw


O:
あいつがかいってさー

I:
クククッ

O:
いやーもう ハセガワさんと目を丸くしてね いやすごのが入ってきたねっ つって 見せたいよ ※17[アサイ]に だから こう 描いています ってこういうんじゃないんだよ そういうのは あの たくさん見てきてるからさー こっちもさーやってもいるし なんつったらいいかね まあ


※17[アサイ]アサイは同席している


I:
ねぇ それは…


O:
自分が全部こう 映されちゃうみたいな 例え 悪いけど 原爆の光浴びて 影だけがパンっと映ってるじゃんか


I:
あーそんな感じあったかもしれないですね それは どうしようもない状態の時があったから…


O:
あったね 何を描いているっていうわけじゃないんだけど もう 何を描いているって 何かこうオブジェ オブジェクトがカかれているという感じでなくて 何かがもう投影されているって感じだった ドローイングっていう なんかそういうものを そういう描き方とかそういうこうジャンルとか 完全にオーバーフローしていたね まあそういう あれから 非常勤2年ほどやって辞めて それで2010年から12年 こないだまで※大学でやって ようは あの毎年のように授業やってたんだけど… それはいろいろと面白い学生さんをたくさんあの後 見てきたけど ああいう風に 投影されているものっていうのをこう 出した人はやっぱりいないなって


I:
うんそっか…


O:
うーん でもそのあとに どういう風になっていくのかなと思っていたんだけど もうどんどん 描きだすようになっていって でもその描き方がなんだろうね こう色んなものに描くんだよ バイクに描いたりとかねバイク 見たことある? ※18[岩永さんのバイク?](アサイは)


※18[岩永さんのバイク?]原型をとどめないほど改造されたオフロードバイクxr250baja。油絵で全身をペイントされている。化け物のようなバイク。サスペンション・エンジン・フレームまわりまですべて手が入っている。グラスファイバーが生き物の体毛のようになっている。ペイントされたスチールのタンクが美しい。岩永忠すけは電車に乗れなかったためすべての移動はこのバイクでおこなわれていた。台風の日も雪の日も。


I:
ないね(アサイは)


O:
もうないのか(バイクは)・・・


I:
いやありますよ(バイクは)


O:
あるのか

I:
たぶん見せていないと思います


O:
あれはすごいね 


I:
今もありますよ


O:
あるんだー! あれは絶対とっておかないとだめだね


I:
とっておかないとだめ


O:
とっとかないとだめ バイクに全面にペインティングされてね もうね モンスターバイクだよね


I:
wそーうだね ククク


O:
うん 一方では漫画も描いてるし なんか描くという描き方にとらわれていない人だなって


I:
なるほど


O:
うーん うんその同級生はでもね 彼の同級生はね 結構優秀な人が多かったんですよ


I:
そうか… そうかもしれないね


O:
そう多かった※19コバヤシフミコさんもそうだし 亡くなっちゃったねー ※彼女も もうちょっとあれだったら もう本当にすぐね 世界に出ていた人だったんだけどね あとあの おもしろい すごく絵のうまい人がいるんだよ


19[コバヤシフミコ]※小林史子/腐った生卵の集合体を黒いテントに鎮座させたり、ゴミの山を積み上げたり。美術を愛していた。精力的な活動の半ば倒れる。そのとき彼女に対して岩永はユニコーンの絵をあげている。ある日の夕方、岩永はひとりギターをアトリエでひいて、それをこっそり聴きちゃんとしたのっていいねちがうわーといったらしい。OJUNは小林の画集に文章を寄稿。


I:
すごく絵を一生懸命描く人がいっぱいいた時期かもしれないですね


O:
そう ◆□■ちゃんとかね うん ふふふふ あのとにかくその色んなタイプはあるんだけど 結構やっぱりとびぬけているのが多かった 学年だった


I:
本当にね 大学は本当に面白かった


O:
面白かった!?


I:
自分にとっては本当に面白い


O:
その後に ドクターまではいったんだよね?


I:
そう面白かったんだよ ほんとうに もう毎日面白かった


O:
でもドクターにいってもやっぱり※20[あの博論] 書いた博論は今だに先生方の間でいろいろと


※20[あの博論]博士論文。岩永の神秘体験が記されている箇所がある。


I:
あー問題になってるーぅ


O:
話にのぼるよぉ ああいうものも 芸大ではやっぱり あのひとつの博論として今認めるんですって 要するに 自分の言葉で こう書いているものとして ほかの大学ではそれはまた違うだろうけども うちでは ていうそういうものを だからなんか僕らのほうに ねー


I:
んん ojunのこと聞きたいなー


O:
おれはねー相変わらず…あまり変わらないねw


I:
イヤ イヤ 聞きたいこと聞いていいですか? じゃあね さっきのでいうと あぁ~ オレ 覚えているのがあって ojunらしいなってことがあって


O:
なに?w


I:
褒められた言葉より なんか 嫌なことを言われたやつだけずっと覚えているんだよね?


O:
へへっw


I:
だいぶ前から 言っていたことがあって


O:
えっ 俺が!?


I:
うん いい内容より 嫌な内容を覚えているんだよねって


O:
うん うん…あーそうだね そりゃーそうだね やっぱり こう 図星を突かれているところってのはもう 恥ずかしいことも嫌なことも思い出すだけで カーっとなるし もう顔真っ赤になってどこか逃げこみたくなるし


I:
カーっとなるんですよね


O:
ううんそれはたぶん 一番突かれて あのなんだろうね んー図星だからなんだろうね


I:
うん とねー 今日 ojunを見て最初に思ったのは


O:
ふふふ~ふふ


I:
※21[すごい元気そうだなって思って]


※21[すごい元気そうだなって思って]コロナ全盛時の2021年夏。外出制限が長くつづく。恐れられたウィルス。ストレスから多くの人が心を病んだ。


O:
あっ ふふ


I:
それもね ある意味 似ているのかもしれないのかな 皆が大変な状況になってくるほどに 元気になってくるってとこあるのかなっ みたいな


O:
うーん 確かにあのねそういうちょっとこう 性格的にていうか こう 確かにあるのよ


I:
なんか元気そうだなって思って


O:
確かにあの あの※22[阪神大震災]のあともそうだったしひどい話だけど このあいだも※23[東北震災]の時もそうだしあとは そうだなー 前のあの※24[ニューヨークの9.11]の時もそうだし世の中の厄災が起きると その隙に どさくさに紛れてなんか色んな事を考えたり いろんなことをこう作ったり描いたりしたくなるんだよねー

※22[阪神大震災]1995年1月17日に発生した地震。火災。M7.3。

※23[東北震災]2011年3月11日14時46分18.1秒に発生。津波が襲来。福島第一原子力発電所のメルトダウン発生。通称3.11。

※24[ニューヨークの9.11]ニューヨークワールドトレーダーセンターに飛行機が突っ込むテロが。中東戦争が勃発。


I:
ねー


O:
人がこう苦しんでいるときとか大変な時に


I:
うん そんな感じしていましたねー


O:


I:
でもあのー それを直接あつかったりは どうなの ずらしたり 絵は するんですか?


O:
うん そうだよね 直接はねーまーあのー


I:
たまに 直接やってますよね


O:


I:
たまにねーそれも面白いなって思いますねー


O:
まあ あの基本絵の中でやっているから 絵の世界っていうのは ここに見えてて それをこう描いても ここに描いたとたん こう ずれたり こう ひっくり返ったりするじゃないですか それをだからあの ダイレクトに描いても描けないんだっていうのがあって それが ひとつ こう おまえだから好きにどこまでも 描いたらいいよっていうのがあって もしそれが そのまんま描かれたり なんか表現されちゃったら あんまり面白くないんだけど 必ずそれが ひっくり返ったりとか 転倒したりとかして そう姿形がちょっとこう変わったり 変形したりする まあそれを変換という言い方をする人もいるんだけど おれはなんか交換しているような気がするんですよ


I:
んー 交換


O:
例えば 100円で何か チョコレートを買う 100円とチョコレートってそもそも そもそも 合わないじゃないですか


I:
鉄とカカオのつぶしたやつだし


O:
ふふふふっ ねーねー 質も全然違うしねー だけど なんかそういう取り決めをとりあえず 暫定的にお互い取り決めをよしとして 貨幣 お金っていうのは 経済っていうのはそれで お金使ってものと交換できますよって もともとはねー 物々交換でやられていたものが 物々交換だって やっぱり全然違うもの同士が交換するわけですからね 基本 交換の こうー ロジックっていうのは 僕らのやっているような美術とか にこそむしろ近いんじゃないかなと


I:
おもしろいーなんか 聞いたことがない話だなー なんか錬金術みたいなー 等価交換みたいなねー なんか※25[錬金術的]な…発想かなって感じしますね


※25[錬金術]ヘルメス・トリスメギストスは錬金術の始祖であり、錬金術の守護神とされた。『ヘルメス文書』は、ヘルメス・トリスメギストス(3倍もの偉大なヘルメスという意味)の著作とされる文書で、その数は3万冊を超えるといわれる。ユングは『心理学と錬金術』なる著書を書いた。その本の考察の行方はにユングが得た構図は、錬金術(のみならずいっさいの神秘主義というもの)が、実は「対立しあうものの結合」をめざしているというものであった。科学者として知られるニュートンは錬金術師でもある。ニュートンの錬金術に関する著書の多くは研究所の火災によって焼失しており、錬金術師としての業績は現在知られているものより大きいとも考えられる。経済学者のケインズは、「ニュートンは理性の時代 (age of reason) の最初の人ではなく、最後の魔術師だ」と発言した。 ▲エジプト、シュメール、超古代の関係性。


O:
はい うんうん


I:
聞いたことない


O:
そうですか?


I:
あの…絵の話の中では聞いたことない言葉ですね


O:
うん まあ 味気なく聞こえちゃうからなんだろうね 変換っていうと なんかこうトランスファーして あれしてだけどむしろ もっともっと即物的にっていうか交換されているんじゃないかって


I:
霊的な感じしますよ 交換ってなると


O:
あ そうですか


I:
変換はねなんだか色んなとこで 物と物の 見えるものの交換は 交換ってすぐイメージできるけど見えないものを交換するって なんかこう


O:
でも 岩永さんがやってきたことを 今やっていることも 今まで描いてきた絵も 全部そうだと思いますよ

I:
うんそうかもしれないです


O:
交換している


I:
うん 交換 何と 魂と交換しているんですかね


O:
うん 色んなものと交換していると思う


I:
交換しているんですかねしてそうですね それはわかる


O:
例えば それをずーと俺の中に こう植えつけられたり 強く刻まれるってことは 俺の記憶と交換されているっていう しちゃっているっていう


I:
そうだねー 面白いねー


O:
うん うん 


I:
確かに… カラカラ ズズ・・・ {ドリンクを飲み干す音} ojunは なんか自分の絵をしゃべったことあるんですか?しゃべっているようで しゃべったことないようなねーところなのかなって思うけどね


O:
あぁ そう その通りだよねしゃべっているようで 実はしゃべっていないよねー


I:
そんな気がしますよね


O:
しゃべればしゃべるほど なんか届かなくなっちゃうしね


I:
ねー ねー難しいねー やっぱり そう なんかね そういう いい画家って大体そうなるなって気は俺はそう思ってるんですよね いい画家なんだよなって思います


O:
そうなっちゃうんだよねー


I:
全体的なことはねー しゃべれるけど 自分のことってなるとー


O:
そうだよねー そうだねー


I:
全体はしゃべれるんだけど 自分のって なんかね 見たらだめってなるよね


O:
見たらだめだねー そうだねー まったくそうだね


I:
かえりみたらだめっていうか


O:
まったくそうだねー ほんとにその通りだねー


I:
かえりみるものじゃないかもしれない


O:
そうなんだろうねー かえりみちゃだめなんだろうね やっぱりねうん そう思うわ ズズ・・・(ドリンクを飲み干す音)


I:
勇気いるけど 勇気いるし損すると思うけど


O:
うーん 時々でも昔の作品をなんかこうかえりみちゃって こんな絵だったかなっていうのがあって んー


I:
そう 自分の昔の作品って どう思いますか?


O:
いやー


I:
随分むかしの・・・


O:
大分本当に昔の あのー 20台の頃とか30代の頭くらいのころの作品とか 今 始末に困ってるんだけどね 大きい絵で この間 粗大ごみで もう出そうと思ってたんだけど


I:
はははっ それはもったいないねーw


O:
んー ちょっと待てって言われて待っているんだけど 待ってもどうにもないから どうしようかと思っているんだけど でもそれが えっと僕の高校の時の友人の家に 全部収めているんですよで 今 僕 アトリエないのね ぜんぜん


I:
あー そうなんだー


O:
で うん まあ 自分の家は えーあるんだけど自分の家のアトリエはあるんだけど 自分の家のアトリエはある事情で今なくて 娘家族がみんな一つの屋根の下でみんな一緒に暮らしていて 大家族になっちしまっていて で 俺の仕事場も当然ないし まぁあと3か月くらいの我慢なんだけど まあその間は 台所で描いたりとか 寝室でちょっとこう隙間見つけて描いたり…とかはしているんだけど で この3か月くらいの間に展覧会も一応あるから で どうしようかなっと思って で それで高校の時の友人のうちに 作品を持ってもらっているうちがあってそこ少し どかしてやろうかなっと思っているんだけど ※26[ミヤジマさん]って いるじゃない


※26[ミヤジマさん]宮嶋葉一。画家でOJUNの盟友。長い付き合いでドイツにいたときも一緒。何十年もモノクロームの油絵をかきつづけている。6差路とか、鶏肉とか。マンホールとか。ウナギのしっぽなどを描いたことがある。ユングは信用しないといい。UFOの目撃を否定している。東京芸術大学非常勤時代に岩永と出会っている。


I:
うんうん分かるわかる


O:
ミヤジマさんの絵も wなぜかそこに・・・wたくさんあって


I:
なぜか・・・ははっw


O:
ミヤジマさんの絵も


I:
ミヤジマさん絵を…たくさん描くからね


O:
そうなの今ね ちょっと体調崩しちゃっていてねそれを少し整理すれば 3畳くらいのスペースができるから そこで8月は制作しようかなって思ってる まあ それで時々整理しに行ってるんだけど 五日市のほうなんだけど でやっぱり 昔描いていた絵があって で 決していい絵じゃないんだけど でももう二度と描けないなっていうのは感じる


I:
なるほど 二度と描けないものか


O:
うーん やっぱりこの時しか描かなかったんだなっていう うん 今描いているものも まっ20年30年先はもういないけれども 5年10年くらいで もし生きていたら やっぱり同じように感じるのかなって思って 今描いているものは今しか描けないなって そう思いますね


I:
確かにね そうねー その 決していい絵じゃないけどって なんか 感じるとこありますね なんか 感じるぐらいしか言えないけど いい絵じゃないけど いいことってあるなって思ってて


O:
そうそうそうそう だからいい 悪いじゃないんだよね いい絵とか悪い絵じゃなくて なんかすごく ケツの穴の小さい基準でさー


I:
そんな気がする


O:
うん なんか自分がこの時に描いたっていうことの なんか印みたいなものだから


I:
うん


O:
それが こうちゃんと記されていればもう十分だろうと 思いますよ


I:
うん そのくらい なんかね 広いほうが 絵は面白いしなんか
ズズ…(ドリンクを飲み干す音)
…いいのが でこれはダメっみたいな 内容の良さとかであんまり頑張れなくてもいいかな


O:
うん でもさー 俺 40くらいの時とかさーまだ そういう風に考えられなかったんだよ


I:
それは思いますねー


O:
ちょっと早いよねーおれ だって40だいの時とかはねー


I:
よくしたいって


O:
うん そうそう もっと欲あったしね そういう見方が出来なくて 最近だよ


I:
うーんそれでも思うと逆に 良くなっちゃうと思います よくなってきたんだと思います たぶんね でも まあ確かに 
ズズ…(ドリンクを飲み干す音) 


O:
大したもんだなー


I:
思いますよ 自分も前 作ったやつを やっぱり捨てたりするし 話は逆に聞こえるかも知れないけど 内容がいいから残すか 内容が悪いから捨てるじゃなくて そん時の自分の あの なんだろうなー 残したくないっ んーものが入っていたらやっぱり捨てる でも その基準は 内容がいいからってことじゃない


O:
じゃなくてね


I:
じゃなくて その時の自分のみっともない部分でもいいから ちゃんと入っていたら残すし なんか自分がない なんだかよくわかんないものに描かされている内容が入っていたら それは意味がないっと思って やっぱり捨てることは最近ありました 何個か捨てた


O:
うん


I:
捨てるくらいは 許されてもいいのかなっと思うんだよね


O:
うん 


I:
何を残すかくらいは 決めていいんじゃないかなと思う


O:
あー やっぱりそうだねー 捨てるくらいのことは 許されてもいいっていうのは 面白い言い方だなー


I:
そのくらいいいじゃないですかー はっはっw


O:
いやほんのちょっと 雑文書いてて あの よく 国 日本でもあるのかどうかよくわかんないんだけども あのー東欧諸国とかロシアなんかで政権が交代すると あのー その前にシンボルだったような銅像とかさー みんな倒されたり捨てられたりするじゃないw


I:
27※[レーニン]のあれー


※27[レーニン]ウラジーミル・イリイチ・レーニン(ロシア語: Влади́мир Ильи́ч Ле́нин、1870年4月22日 1924年1月21日)は、ロシアの革命家、政治家、哲学者。ロシア・ソビエト共和国およびソビエト連邦の初代指導者(人民委員会議議長)。「レーニン」は筆名であり、本名はウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフ(ロシア語: Влади́мир Ильи́ч Улья́нов)。ロシア社会民主労働党ボリシェヴィキ派の指導者として活動し、1917年に十月革命を成功させた後、初の社会主義国家であるロシア・ソビエト連邦社会主義共和国を樹立し、その行政府である人民委員会議の議長に就任した。1919年には第二インターナショナルに代わる共産主義政党の国際組織としてコミンテルンの創設を主導、その後1922年にはソビエト連邦の成立を指導し、1924年に死去するまで同国政府首脳(ソ連人民委員会議議長)の地位にあった。マルクス主義者として政治、経済の分析から哲学に至るまでさまざまな著作を残し、その思想はレーニン主義として継承された。

O:
そうそうそうそう あのゴローンって なってだから ああいうのって こう普段だったらああいうことが起きるとすぐ事件とかになったりするんだけど そういう事件にはならないじゃないですか


I:
ならない


O:
そうならない


I:
ひっそりと行われる感じ ふふふっw


O:
そうひっそりと むしろ そうだ やっちゃえやっちゃえって思うくらいのような だから 捨てるとか捨てないとか だからいいとか悪いじゃないんだよね その時のなんかこう ぶっ壊しちゃうものって ぶっ壊しちゃうことの に なんか倫理を求めるじゃなくて 壊すのが全部いけないんじゃなくて なんかこう 壊すべく壊すっていうのは なんかあるんだなって思ったね


I:
うん


O:
うん それをね じゃあ絵の場合はどうなのかなっていうことをちょっと書いていたんだよね


I:
うーんなるほどー


O:
まだ 書き終わっていないんだけど


I:
うーん


O:
絵だとこう切り裂いたりとか 破ったりっとかいうのになると なんかこう いわゆる破壊になると ちょっと なんかこう身を切られるようなつらさにはあってーw で その代わりw よく盗まれるじゃないですか? 絵って


I:
盗まれたことない


O:
ないw 俺は1度だけあったんだよね でも よく その色んな人の…ピカソの絵が盗まれたりだとかさ 絵の盗難って昔っからあってさー

I:
えー


O:
んで 何十年かして どっかの倉庫から出てきたとかさー あれは面白いなと思うね


I:
なるほどー ふふふw


O:
銅像は打倒して 転がして 海に捨てるっていうことはあるけど 絵の場合は それにこう代わるものとして 盗んじゃう で 僕らの目の前から それをこう ちょっと隠しちゃうみたいな それは 面白いなと思って それはありだなと 絵は盗んではいけないんだけどさー 話として面白いなと へへーw


I:
絵はよく隠れますよねあの 人の倉庫の中に入ったまま人目に触れてこないとかって


O:
確かに 確かにたしかにたしかに


I:
しょっちゅうあるから もう見れなくなっちゃったり すごいよ ほとんど起きる


O:
入れっぱなしにしてねーそりゃーそうだよね


I:
でも※28[ある時]出てきたり


※28[ある時]秘仏と御開帳の関係。秘仏(ひぶつ)とは、信仰上の理由により非公開とされ、厨子などの扉が閉じられたまま祀られる仏像を指す。元来、礼拝のための偶像である仏像を扉を閉じた厨子等に納め「秘仏」とすることは、東アジアの仏教圏の中でも特に日本に顕著な現象である。日本では著名な寺院の本尊で秘仏とされているものが多く、西国三十三所の札所寺院をはじめ、札所、霊場などの庶民信仰に支えられた寺院の本尊にも秘仏が多い。秘仏の一例:法隆寺夢殿本尊 観音菩薩立像(救世観音)-夢殿は、聖徳太子が営んだ斑鳩宮の跡に建てられた法隆寺東院の中心堂宇である。堂内中央の厨子に安置される救世観音像は聖徳太子等身の像と伝える飛鳥時代の木彫像であるが、各種史料によれば平安時代後期の12世紀には既に秘仏とされていた。通説では1884年(1886年とも)、法隆寺を訪れた岡倉覚三(天心、日本の美術教育、美術史研究の先駆者)とアーネスト・フェノロサ(アメリカ人の哲学者、美術史家)が寺僧の反対を押し切って厨子の扉を開け、観音像は数百年ぶりに姿を現わしたとされる。


O:
そうそうそうそうー


I:
そー時間はすごい あのすごい長いから 絵の寿命っていうか それはよく思いますね


O:
うーん 面白いねー 絵を描いたり 彫刻を作ったりする話はしてもさー なくなる話とかさー 捨てる話とかあまりしないもんなー


I:
しないしない


O:
面白いねー


I:
面白いですよねー 例えばそのー 
ズズ..{ドリンクを飲み干す音}
まあそのね そのなんだ そう消えるのできるし 出てくることもできるし 人間そのojunがいる間の時間より 寿命が長いものを作っちゃっているわけから それが変な感じしますよね


O:
するするー


I:
すごい変ですよね


O:
やっぱり する??? やっぱそう思うよねー!


I:
思いますよ すごい変だなって 現代にいるんだけど 現代に生きていない感覚っていうのは 絵を描くことにおいては 今には生きていないっていうか いや今なんだけど


O:
そうそうそうそう わかるわかる


I:
わかります?


O:
わかる そうそうそうそう


I:
ずっと それはね 描き始めた最初っからやっぱりあって


O:
あーそー 
{ドリンクを飲み干す}


I:
最初っから思いましたね


O:
あの頃から?


I:
そう そん時思いましたね


O:
あの白いペラペラの着ている頃から?


I:
あのー 頃から思ってたー


O:
だから あんなドローイング描くんだろうなー


I:
あー でもね それを自分の言い方がね 間違っているかも分かんないけど その頃に その…人に その…絵は生きた人のためにあるもんじゃないからってことを言ったら 自分のその時の言葉で そういう言葉になっちゃったんだけど そしたら すごい 嫌な いやな事をいうなって感じで言われましたね


O:
あーそー ある人から

I:
ある人から それは言わないほうがいいかな 別にw 言っても怒んないと思うますけど その人はね あー 別に言われたのは嫌じゃないんですけど その人はやっぱり生きている人のためのでしょって 女性の方だったんだけど…


O:
あー


I:
どっち どっち なのかなって 生きている人のためにあるのか・・・


O:
例えばこう自分が 絵描いていて この人に 絵を描いている時に ふっとこう思い浮かべて この人に見せたらなんていうかなっていう時には 生きている人もいるんだけど 死んでいる人も何人か入っているからね


I:
分かるなー だから ねー 生きている人のためにあるもんじゃー ないかなーっ 俺の感覚からすれば まえからそれは 


O:
うん


I:
そう死んでいる人ともね話もね 死んでいる人の描いたものを見て あー分かるよってあるから へへw


O:
そうだよねー※29[ゴッホ]の絵を見たり ※30[セザンヌ]の絵を見たりとか ※31[マネ]の絵を見たりしてねー

※29[ゴッホ]フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh、1853年3月30日 – 1890年7月29日)は、オランダのポスト印象派の画家。 精密な油絵を描く。

※30[セザンヌ]ポール・セザンヌ(Paul Cézanne, 1839年1月19日 – 1906年10月23日)は、フランスの画家。伝統的な絵画の約束事にとらわれない独自の絵画様式を探求した。ポスト印象派の画家として紹介されることが多く、キュビスムに多大な影響を与えた。

※31[マネ]エドゥアール・マネ(Édouard Manet, 1832年1月23日 – 1883年4月30日)は、19世紀のフランスの画家。近代化するパリの情景や人物を描いた。


I:
友達になれるかなっとか思ったり ねー


O:
そうだよねー だから 生きている人の絵をみて わーっていうのと もう 亡くなっている人の絵をみてわーって思うのと 同じ わーってなっても なにかが違うんだろうな 同じではないもんなー うーん どう違うのかっていうのはうまく言えないのだけど うん うん


I:
それでいうと その 今みたいに あのー この人に見てもらいたいなって思うことあるんですか?


O:
あぁーあります ありますこの人が見たらどう見るかなっていう気になる人っていうのは生きている何人かと 死んだ人 何人かいます


I:
そういう その考え方って 普通だと思いますか普通じゃないって思いますか どっちなんだろー


O:
いやー んー 自意識過剰なんだと思う 結構自分の絵をってことだからんー だから他者の問題というよりも 自分が描いているものを まぁ見せたい 見てもらいたいっていうのはやっぱりすごく底意として強くあるんだなぁーっと思うんですよ


I:
へー


O:
だけどあまりこう あのー 人前で えー言わないようにしているというのは やっぱり自分の底意が w 透けてみえちゃうのが つらいんだろうね だから言わないのだろうけど でもありますねー で そういう 生きている人何人かと 死んでいる人何人かっていうのは でも少なからず 自分の作品に対して 何かを言葉なり 何かをこう 与えてくれた人 うん ですね だから 批評家に とかではなくてね


I:
じゃあ なさそうですね


O:
そー もうちょっと素朴な感情っていうかね


I:
あーやっぱ素朴なんですね ojunは


O:
素朴ですよー ふふふ ふふふーw


I:
それがすごい特徴なんだろうなー


O:
ふふw


I:
ズズ…… ふふふ ねー 世界中のみんなにっとかじゃないん…


O:
ふふふw じゃないー 世界中のみんなには 世界平和のために描いているわけではないしねー


I:
何人かいるんだー


O:
何人かですね


I:
それは面白いですねー


O:
5人くらいですねぇ 10人もいないかなぁ


I:
その人数がいるだけでもー


O:
そうそうそうそう そうそう


I:
でも それが原動力じゃあないだろうけど


O:
でも そうそうそうそう なんか一つの モチベーションになるなら そうそうそうそう


I:
そのくらい少人数でも まとまっちゃう


O:
そう そうまとまっちゃう狭い 狭い世界っていえば狭い世界なんだけど でも その何人かが生きているものと死んでいるもの 何人かが 自分にこう あの与えた言葉なり そのある種の眼差しみたいなものっていうのは 決定的なある種のやっぱりこう強さや印象をもっているから やっぱり大きい…深いんだろうなって思うね それに対してね 自分のこう…


I:
それは知らなかったですねー そういう感情なんだなー


O:
いやー ほんとに そうだね 10人はいないですね 6~7人… の1人ですよ そのうちの1人ですよ


I:
いやー …わかりました ふふっ ふっ


O:
そうそう


I:
でも なんかそれうれしいですね そういう…


O:
んー年齢とか そういうんじゃなくてねー


I:
うん


O:
やっぱり こう 自分がこう描いている途中で出会って で やっぱりその人も作ったり 描いたりしている人と 年齢関係なく どこかでこう一瞬こうね 近づいて またこうなっていくんだけど まあそん時にこうやっぱり ※31[見たとか 見られた]とかって いうのはやっぱり強くあるからねー


※31[見たとか 見られた]瞳の記憶。瞳の通信。瞳の媒介。一瞬の永遠性。


I:
霊的だなーなんか


O:
そーぉ んー


I:
霊的な感じするー


O:
霊的なー


I:
なんか その小ささというか 小さいわけじゃないですか なんか あのま そのスケール感が関係なくなってくる感じが


O:
そうだねー 今日もさっきね 彼に話していたんだけど 今描いている絵がね そのスケールの問題を絵に代えさせてたんだけど で 大きいとか小さいとか何が基準になっているかっていう…そういう絵をね ちょっとこう描いていて で それを今度 来週から始まる ※32[東京ビエンナーレ]に出すんだけど でオリジナルっていうのも 1個だけっていうのはちょっと違うんじゃないかっと 複数オリジナルもあるんじゃないかと 言葉は矛盾しているけれども あるんじゃないかなって

※32[東京ビエンナーレ]東京で開催される国際芸術祭


I:
うん


O:
普通にちょこちょこっと絵を描いているんだけど それで 試してみれないかなって思ってね なんかそういう スケールの問題とか…


I:
それはねー…


O:
距離感だとか そういうのってのは やっぱりスタンダードっていうか 基準っていうのは本来 無いんじゃないかなと 思うんだよねー


I:
それは いいっ てなってるかなー まあ いや 普通っていうか


O:
あー僕らにとっては普通じゃないですかー


I:
普通の話感 なんだけどー


O:
そうそう


I:
あのー異様な 知らないあんま 考えたことがない人には異様なー 異様な話なんでー でも たぶん ちゃんとやると 普通な話でー


O:
そうだよねー そうだよねー


I:
一番最初のころから考える かもしれないような 例えば ねー


O:
そのね やっていたもんね 19のときに へへへへへー


I:
やってましたかね どんな意味でやってましたかね


O:
ねー


I:
なんか 大きいことをやっていたってことですか


O:
うん うん


I:
異様に大きいものを作ったりね※部屋 33[部屋全部のサイズくらいの絵]を描いている時期もあったり


※33[部屋全部のサイズくらいの絵]アトリエはかなり広いがその部屋が絵で包まれるほどの大きさの絵。紙を広げて地面でかかれた。木炭画。幽霊のように。ゆらめく空間がひろがっていて。この世ではない世界から引きずり出したような、降ろしたような、感覚のもの。紋章らしきものが浮かび上がっている。あつみのない存在として空間に割り込むようにイーゼルに立てかけられた。空間にアサヒもで束ねられ吊るされたものもある。土に埋められたものも。言葉をもたない世界からの、記号のなりかかったもの。巨大であるけど、目に見えぬほど小さいもの。物体だけど音の霊みたいなもの。それが部屋をうめつくしていく。このころの岩永忠すけの絵は消失していてほぼ現存しない。インスタントカメラで撮影された数枚の写真の行方もわかっていない。


O:
※34[部屋]がなんかおかしかったって言ってたよ


※34[部屋]岩永の自室、アトリエとは別の話。当時の岩永の自室は完全にゴミ屋敷であり、室内のレベルは競りあがって、入室の際は上昇しながら入っていくほどになっていた。どうやったのかわからないが、室内にはさまざまなゴミが結合して土ができていた。バイクを整備してオイルをまきちらしたり。室内で絵を描くこともあり、絵具や描きかけの絵が散乱している。寝床の周りだけが生活スペースであり、空間は洞窟の中のように湾曲している。冷蔵庫は10年間一度もあけられないまま、電源も入れずに放置されていた。中には東京に来て最初に買ったリンゴが入っている。1999年。この部屋を出るときに冷蔵庫は開封されたが、リンゴはあった。


I:
ハセガワさんですね たぶん


O:
もう 部屋はね 部屋っていう空間ではなかったっていう


I:
部屋がまあ 部屋の中に土ができるくらい


O:
ふー(笑)


I:
部屋の中に 土ができていましたね


O:
(笑)


I:
堆積して


O:
すっごいね それ


I:
それはまあ もう 二度とやらないようにしようと思っている 荒れすぎて 10年くらい経ったら 部屋の中に土ができてましたね 微生物が分解して なので


O:
わー よく健康を害さなかったよねー


I:
害しましたよね


O:
害したんだー


I:
最終的に害したので これ違うなって思って んー今きれいです 部屋すごい


O:
はー


I:
まあまぁまそれは いいとしてーw あのスケールのね スケールの まぁいいか 部屋も面白いんだけどー  なんだろ そうだから大学の時いた ※35[ナカニシ]さん … ねっ ojunと同じ時期にいたので あの よく言ってましたよね スケール 大きさっ 俺は よく耳に入ったことがあるかな


※35[ナカニシ]中西 夏之、(1935年 – 2016年)日本の前衛美術・現代美術家。東京藝術大学名誉教授。女子美術大学客員教授。元倉敷芸術科学大学教授。美学校の設立にも奔走した。 芸大時代、岩永忠すけやOJUNと同時期に存在。いくつか言葉を残してはあまり触れずに去っていく。水平と垂直。円環や隣接。世界全体について深く考察し、体を動かして絵を描いた。大きいものとちいさいものは逆であってもよくて。大きいか小さいかは不思議なことだといっていた。スタジオジブリ耳をすませばのイバラードの光景においても、遠くのものは大きくみえて近づくほど小さくみえるものの存在について話されるシーンが登場する。ふつうは近くあれば大きくなり遠くのものは小さくなるように。中西 夏之もまた同じようにいっていた。:君が僕の前にいるのはもう一人の君がいるからなのだ。君の花子がこよなく可愛いのも別のところの同じ花子がいてやはり可愛くしているからなのだ。この地上が在るのは同じもう一つの地上があるからなのだ。「それなら君も二人いるのかね」と君はいったが、この地上にある総てのモノや人は仮想の地上にもあるが、僕だけは一人なのだよ。僕はこの地上の際にいて、接するもう一方の地上に片方の足をかけている。あちらの足をこちらに移せばこちらにいる、こちらをあちらに移せばあちらにいるというものでもない。なぜなら、その界[さかい]に垂直に立っている画布があるから、僕もそうしていなければならないのだ。画布は境界そのものであり、あるいは両方の地上を切断するように割って入り、相似の二つが重ならないようにブレーキをかけ、両方を同時に見張っている。あるいは両地上があることを保証している。それが画布の本当の位置であり、だからペラペラであり、それに呼応せざるを得ない僕はペラペラなのだ。
/中西夏之


O:
でもナカニシさんの言ってることよく理解していたんだね 僕 あの人の言うことは 今ひとつよく理解wできなくて


I:
あーそうか


O:
うん 理解できる人と 理解できない人がいるみたいで


I:
めちゃくちゃ普通のこと言ってるー


O:
やっぱそうだったんだねー そうだったんだねー


I:
でも今言ってるojunのスケールの話は 中西さんもいってる ぜんぜん同じこと言ってる


O:
あーそうなのかー


I:
いい絵は大きいとか小さいとか 関係ないとか 小さくても大きい絵は あるよみたいな ことを中西さんしょっちゅう言ってたからー


O:
なんで ご存命のころちゃんと聞かなかったんだろー ふふふふーw


I:
ねー へへへーw


O:
こういう風にねー若くてもちゃんと聞きとれる人がいるっていうのにねー


I:
でもやっぱり ojunと中西さんの授業はやっぱり面白かったなって思いますねー


O:
授業になってなかったけどねー


I:
どっちも授業になってない w ぜんぜん違うあれただったもんねー 大学ではああいうことやりましょう的な


O:
そうだよねー


I:
授業 なってないようなー 自分で考えてくださっていう時が面白い


O:
そうなんだよねー 今年 去年から こうコロナになっちゃったから 大学ではほとんどオンライン授業になって で まあ去年までは芸大も 半分くらい前期オンラインでやっていて で すごくそれは不自由を感じていたんだけど 一方でそのうちにこう ひと月 ふた月って経って えっとその東大の授業が始まって 東大のほうが芸大より厳しくて 完全にオンラインでやってくれって言われて それで オンラインで初めて 最初はすごくやっぱり やりづらさを感じていたんだけど 考えてみたら そんな小さい紙に鉛筆でちょこちょこ描くのは 普通にできているわけですよ みんな 手元で で 俺が 見れないとか近くで見れないってだけの 自分の都合の悪い話なのだけで 描くことは描けているわけね


I:
それね いい話だと思う ふふふっ


O:
ねーよくよく こうやって見せるわけね ちょっと見せてよって こういう風に で 非常に見えづらくて 実物を見るわけにもいかないんだけど 実物を俺が見せてもらうよりも 本人がその実物を作ったと 描いたってことは紛れもないわけで そっちのほうが大事なわけだから… ちゃんとこれは実技の授業として成立しているんだなと思ったんで なんだかの形で 最後は画像に撮って送ってもらってみるんだけど 基本的に描けているっていうことが なんか なんか描いていたりとかなんか遊んでいることでも それで十分だろうと…


I:
うんうん


O:
美術の基本はそれだなっと思うんですよね


I:
うん 自分もそう思います


O:
ねー


I:
最近知って思うこと 思うっていうか 実例をいっぱい見たから それはね 一つは またojunが10年以上前に言っていたけど ojunだけじゃない何人か いってたojunたち何人か そのフェルメール展やった時 ※36[フェルメール]の絵が思いの他すごい小っちゃかった


※36[フェルメール]青の色が綺麗。ラピスラズリ。世界最高峰の価値をもつとされる絵画群。物語画家として出発したが、やがて1656年の年記のある『取り持ち女』の頃から風俗画家へと転向していく。現存する作品点数は、32から37点と少ない。 ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer オランダ語: [joːˈɦɑnəs vərˈmeːr], 1632年10月31日? – 1675年12月15日?)は、ネーデルラント連邦共和国(オランダ)の画家で、バロック期を代表する画家の1人である。写実と綿密な空間構成、光の表現。 父親の姓フォス (Vos) は英語のきつね (Fox) を意味するものだった。父がなぜファン・デル・メールに改姓したのか、またヨハネスがなぜそれを短縮して「フェルメール」としたのかは分かっていない。フェルメールの作品はたびたび盗難に遭った。


O:
フェルメール あー


I:
って話を何人かいっていて ojunも言ってた


O:
あー


I:
すごく小さくて でもよかったよねーって言っていて他にもあのなんだっけムーミンか ムーミンのキャラクターがいて…


O:※37[トーベ・ヤンソン]?


※37[トーベ・ヤンソン]トーベ・マリカ・ヤンソン(Tove Marika Jansson [tuːve mariːka jɑːnsɔn] 1914年8月9日 – 2001年6月27日)は、スウェーデン語系フィンランド人の画家、小説家、児童文学作家。ムーミンシリーズの作者。かわいいキャラのムーミンだが話はなかなかダーク。ムーミンの人気によってブレッドシャール島への記者やファンの訪問が増えると、クルーヴ島に小屋を建てて移り住んだ。夏をクルーヴ島ですごし、冬はヘルシンキのアトリエで制作した。彼女の海で遊ぶ写真が多くのこっている。


I:
そうそう あの人の原画展が 熊本かでやっていてちょっと見たら この位小っちゃいんですよね 最初に描かれた絵が


O:
えーあっ そー


I:
そう このくらいなんですよ500円玉くらいのサイズの


O:
へー


I:
絵なんですよ最初の展開で


O:
すごい


I:
だからまさにそのリモートの話と


O:
まさに


I:
手から生み出されるスケール感っていうか やっぱりそれが 漫画なんかほんとそうだし B4のサイズみたいなので展開されているけど アニメの原画もたぶん大きくないし でも映画館のサイズに引き伸ばされていて だからその手で生み出されるものの なんか手のひらサイズっていうか


O:
はいはいはいはい


I:
そういうかわいさっていうか ね あるよねーw


O:
あるね そのムーミンの話はすごい面白いね そうなんだー


I:
うん でも ほんとに小さかったですよー


O:
うん でもわかるよね そういうの追いかけてるもんね


I:
ojunずっとやってるじゃないですか


O:
w ちょこちょこちょこちょこねー


I:
昔から w 今もやっているか知らなないけど しゃべってると 手のひらのサイズでずっと手を動かしていますよね


O:
ねー


I:
ペンをなくても人差し指でずっと


O:
よく見てる 見られてるんだねー


I:
そういうのずっと忘れないんですよねー


O:
あーそー


I:
ずっと人差し指で 正方形をずっと一生描いているんですよね


O:
あーw よく見てるー ははっw 怖いなー 怖いなー


I:
そういう記憶力だけいいんだよなー w


O:
あの 言われて いまだにそうだね 癖だね


I:
やっぱり 小さいんですね 今のリモートの話はたぶんすごいいい話だなっと思った


O:
まぁやっぱ リモートになって なんかかわいそうとか 学生が 学生同士が会えないっていうのはかわいそうだけど まー 授業によっては で 実技はそれじゃあ大変だよねって みんな思ってるみたいだけど でも芸大生だって 去年は家で描いて で家で描いているからそんな 大きいの描けないんだけど大きいの描く必要ないんですよ 書けるサイズで描いていて あーいい絵描いているねって感じでさー あーちゃんと健康だなって思って ねー


I:
それはね ほんとそうだと思う


O:
そうだねー


I:
たぶんねojunが社会が問題が起きたときに どんどん元気になっちゃう現象とー w


O:
ふっwふっw


I:
手のひらで なんかもて遊ぶってことは なんか関係性があるって思う


O:
はー 関係性あるーw


I:
世の中ってのは結構関係なく 関係はしてるんだけど 引っ張られないというか


O:
えっへん(咳)


I:
それ絵のいいとこなんでしょうね


O:
そうかもしれないね 絵のいいところかもしれないね


I:
ん-すごい大変な時代の絵って たぶん途切れたことがないと思うんですよね たぶん 恐らく大変な時代の時もあったと思うし


O:
でも あのー福島の原子炉があぁいう風になって それで色々思うことあって で 佐賀に戻って それで 今こういう風に非常に一大事業を次から次と起こして まっそれもすごくきっと きっかけになっていると思うんだけど で またこんなコロナとかっいう風になって まあ数年続くじゃないですか


I:
うん


O:
これまた違う影響みたいなもの いい影響みたいなものを 岩永さんもきっとそれから受けるんじゃないんですかね


I:
やーどうかな


O:
嫌なことばっかり…決していいことではないけども


I:
いいことじゃない


O:
じゃないけども でもこれによって 色んなものが こう ねー さらけ出しちゃったり 見えちゃったりしているからさー


I:
んー


O:
見えたものがちょっとダサいなと思ったらちゃんとさしていくとかさー んー あの その自分のー あの制作の仕方も含めてね


I:
いやーあれはね 結構本当にわかっていないですね わかんないなー と思っていて 分かんないから


O:
んー


I:
おとなしくしていますよ なんかもう分かんない わかんないと思うと


O:
まー今真っ最中だからねえー 何とも言えないね


I:
そー自分ー まーあの


O:
もうワクチン2回目受けたんですよ


I:
あーそうなんですか


O:
もう 腫れて今痛いけどね


I:
じゃあ結構 いいのかも知れないですね


O:
どうなんだろうね


I:
そのへんも分かんないし 皆わかんないだろうし


O:
分かんないねー はたしてこれがどのくらいいいものなのかどうかも分かんないし


I:
それも分かんないですね だから何もかも分かんないし みんな誰一人ほとんど分かんないしみたいな状態だから


O:
まさにそうだね


I:
んーなんか だからあまり予測しないようにしようと思ってますね


O:
そうだね そうだね


I:
その時 どきしかない


O:
そうだね そう思いますよ


I:
そんな気がします


O:
その通りだとおもいますよ


I:
ふっふっふ そのとおりですかーw うん


O:
うん


I:
ねー コーヒー もう一個貰い 飲みましょうか?


O:
いいですよていうかさ あっまだこれをやる


I:
もうちょいやりましょうか いや なんかありますか


O:
いやいや ※[あのあんまり大して長い時間きっとお店とかない]から
※[あのあんまり大して長い時間きっとお店とかない]コロナの影響で時短


I:
あーいったほうがいい


O:
食事でも どうかなって思って


I:
じゃあ どっか時間きって


O:
うん


I:
貴重だから


O:
コーヒー1杯ずつくらいもらいましょうか あったかいのにしますか


I:
そうしましょうか すいませんー {コーヒーを注文}


O:
はい


I:
そうねー 本当はその今聞いている話は 最近のojunの話は分かんないけど ojunの話はたぶん昔のもいっぱいあるんだよなーたぶん ドイツに行ってた 自身の面白い話とかー いっぱい覚えてるんですよねー


O:
たぶん行った本人は随分結構忘れちゃってるからねー


I:
それをなんとか なんか車の中でめちゃくちゃ怒った話とか


O:
あー 絶交した話ねー 絶交 絶交した話ー ははははーw チェロ弾きとねー 絶交した話


I:
えー車の窓を開ける開けないの話ー


O:
あーよく覚えてるねー


I:
俺そういうの覚えてるんですよねw


O:
おかしい人だったよー おかしい人なんですけどね あのーずっとドイツで 一人で 音楽家なんですけどね チェロ弾きでね ちょっと変わった人でね 青森の人だったんだよね


I:
青森ってなんで変わった人が多いんですかねー なんか熱が 熱い人が多い…


O:
確かにねちょっと共通点 なんかちょっとね こう微妙なニュアンスが近いんだよね


I:
んー


O:
僕の知っている青森の人ってね


I:
んー何かありますよねー


O:
うん何かあるねー 変わった人だったなー でもなんかすごく人恋しいタイプでさー 人に近づいてくるんだあよね だけど人に近づいてくるんだけど で面白いから少し仲良くなると すごく近くはいってくるんだよね で まー じゃあ旅行に行きましょうかって言って ボーデン湖って スイスとドイツの国境のところにあるきれいな景勝地というか 観光地なんですけども 湖で 昔 あのーベートーヴェンがそこを訪れた時に その湖に映る月を見てあの※38[月光]という曲を 作曲したっという


※38[月光]ピアノソナタ第14番嬰ハ短調 作品27-2 『幻想曲風ソナタ』(”Sonata quasi una Fantasia”)は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1801年に作曲したピアノソナタ。『月光ソナタ』という通称とともに広く知られている。儚く美しい。


I:
そうなんだー

 
O:
うん


I:
へー


O:
とてもいい観光地でね そこに車で行くことにしたの その人はねー車の運転が大好きだった人なんですよ


I:
うん


O:
車の運転はすごく こう自信があるから レンタカーを借りて 僕と家族といったんですね 彼が運転してくれて 運転できるのは 彼しか できる人がいないから 行も帰りも彼が運転することになって 申し訳ないなって思ったんだけど 大丈夫ですよ 僕 運転得意だしって言って ずっとね でそのころね どんどんこう熱くなって 異常気象でね ドイツもね もう涼しくないんですよ 夏 夏だったんだけど ものすごく暑くて で ドイツの車ってあの頃まだねエアコンがついている車って少なかったんですよ 信じがたいことに でお店なんかもそうだし でエアコンがないから 熱くてね 時々ちょっと開けると あれ ojunさん 窓開けてるっていうから あー 気になるんだよねーって あの高速だから スピードを上げているから そこから風が吹き込んでくるから・・・ あっすいませんって言って でもすんごい車中が熱くなるからちょっとまた開けるんだけどあれ? あけてる?っていうのね あーすいません どこかあのードライブインかなんかでちょっと休んでもらえないですかねって言ったら うん いいよって その時はあれなんですけど また走り出すとね もう窓開けられないんですよ 行きはまだよかったんですけどねー まぁ向こうでもちょっといろいろ面白いエピソードたくさんあったんですけどね また帰るときになって 帰るときになってものすごく猛暑になって あっという間に車中が50度近くなる ーでやっぱり開けて ー開けないでください ーまたこう開けて ーまた開けてる… だんだん俺もね こっちはあの母親もきているからねー家内の母親も…年寄だし すいませんちょっと じゃあどこか途中で休憩…いや 休憩するとまた帰るのが遅くなるからって でもちょっとくらい 窓少しくらいいいじゃないって それだともう運転するのに 僕は音楽家だから すごい…風の音が気になる


I:
そっちかw それのことだったんですね


O:
うーん


I:
それなんだー


O:
そうかなって言って… そうなんだ 後から考えれば そうだったのかも知れない


I:
そうなのかもしれないですね 風切り音が 和音がダメだったのかも知れない


O:
あっそうなのかー


I:
絶対音感があって


※39[絶対音感と聴覚過敏]聴覚過敏は特定の音がものすごく苦手であり、一般的なレベルに感じられる程度の音が異常に大きく感じられる。例えば、蛍光灯や冷蔵庫の音、時計の秒針などの小さな音が気になって我慢できずに、耳の奥が痛くなり、頭痛やめまいを併発することもある。絶対音感は、ある音を聴いたときに、記憶に基づいて絶対的に認識する能力である。 相対的な音程で音の高さを認識する相対音感に対して、音高自体に対する直接的な認識力を「絶対音感」。


O:
絶対音感あったんだなーw あの人は


I:
たぶんあるんじゃないですかー


O:
あるのかー


I:
たぶんロードノイズとエンジン音と風切り音の和音が だめだったんですよ たぶん


O:
はー


I:
たぶんそう


O:
そりゃーすまないことしたなー 最後もうジセイドロフって自分らの住んでいる街近くになってから あのーもう我慢できないって思って「止めろー!!!」って言ってね 思いっきり開けてね「ここはアウシュビッツのガス室か!」って言ってね 「死んじゃうじゃないかよー!」ってね 「降りるぞー!」って言ってね で全員降りてね「おりろー!」「お前とはもう絶交だよー!!!!!」って言ってね で絶交したっていう


I:
w草
ねー たらねー 1年後くらいに その後おれ帰国するんだけど1年後くらいに向こうに住んでいる日本人の友達から なんかこうあの 「ちょっとこの間さー」 あの 彼が1次帰国したときに えーn〇さんっていうんだけど n〇さんが「ojunさんの作品を あの粗大ごみの日に捨ててたよって言う」から


I:wwww


O:
えーっていって この絵でしょって言うから そうそう 俺あげたんだよって 仲良かった時に n〇さん それ ojunさんの絵じゃないのって言ったら あーそんな奴もそんな奴もいたねって 全然よくないから 捨てるっていうから 捨てるんだったらッて 僕が貰いましたって言うから


I:
へー生き残ったの


O:

そう生き残ったの


I:
面白い そんなことになったんだー


O:
そんなことになったの 今となれば笑い話なんだけど そんなことがありました でもその時は カッとなったけどもやっぱり その人の こう何かこう逆鱗に触れたり何か気に入らなかったりっていうのは 本当にわからないんだなって 思ったね


I:
分からないですよね でも その人にはあったんだろうし たぶん一緒にはいれない人だよね


O:
あー


I:
たぶん


O:
なかなか難しいんだろうなって 生活を共にするのは難しいんだろうなって だから1人で孤高の音楽家としているんだろうけど いやー 人っていうのは 本当にやっぱりわからないとつくづく思ったね


I:
ふふふふ そうだねー


O:
いい人悪い人っていう基準じゃなくて 分からない人だなって思った


I:
たぶん本当だと思う


O:ねー


I:
誰もね悪いことをしているわけじゃない


O:
そうなんだよねー その人が あなた一番何か怖いのって俺聞いたんですよ あのボーデン湖で 行って そのホテルで


I:
うん


O:
で 僕はどんぶりが あの怖いっていうの えっ 聞き間違いかなっと思って どんぶりって?どんぶりって 親子丼とか天丼のどんぶりって言うから なんでって言ったら こう食べていくじゃないですか どんどんどんどん減っていくと どんぶりをこうカシンでいくでしょ すると どんぶりがこう顔の前になって 前が見えなくなるでしょって それが怖いっていうんですよ


I:
まったくわからないですね


O:
おー それがものすごく恐怖なんだって だからどんぶりっていうのが どんぶりでご飯を食べるのっていうのが 僕は一番苦手なんですっていうから


I:
分からないですね


O:
分からないでしょ? だからその時もね この人変だなって思ったんだけどさー


I:
w


O:
というよりも その人の怖いものとかその人の何が気に障るっていうのは本当にその人でなければ その人しか分かんないんだよなっ どうしてんだか…今… そう そんな話でしたよー


I:
めっちゃ面白いなー


O:
ふふっ


I:
じゃあ最後 これで最後です ojunの知っている 自分の話ですけど 怪談話してくれますか


O:
怪談話…


I:
なんでもいいです 1つ


O:
じゃあ一番新しい…それは夢に見たやつだから じゃあ これは怖いなっていうやつは1つあるな 今から12年前に飼い猫がいたんですよ 22年生きたのかな


I:
えー人間くらい生きてる


O:
うんうーん それで俺がその時 亡くなる数か月前に 文化庁の在外研修でアルゼンチンに行ったんですよその時は元気だったんですよ でちょっと アルゼンチンに行ってくるなって あの ファルスっていう で歳も歳だったんですけど 元気だったんで 戻ってきたんですよ元気だったんですよ 急に翌日から腰が抜けたみたいに歩けなくなっちゃったんですよ えーって言って でも考えてみたら人間で言ったら歳も歳だから100超えてるっていうんですよね しょうがない じゃあまっててくれたんだなって思ったんですよそれで 1週間経って死んじゃったんだけど それから しばらくしてからね 寝室で寝てたんですよ 寝てて 2階の寝室で寝てて 自分と家内が寝てて で もう夜中だったんだけど 娘がいたんだけど娘はまだ小さい頃で 前の部屋にいるんだけど 娘は寝たら起きない子だったから ずっーと寝てるんだけど じゃあ 階段をねトントントントンっとね 上がってくる音が あの うちの飼い猫が上がってくる音なんですよ えーってね登り切ってね ツーツーってかすかな音を立てて ドアの前まで歩いてきたんですよ 今もね こうやって話をしていて鳥肌立ってるんですけど 分かんないですけど 何かいるんですよ 分かんないけど でも 何かがいるってドア越しにいるわけ どろぼうかなって思って 思わず「誰だっ」て声を出したんですよね で ドアを開けたんですよ でも誰もいなかったんですよねー それで家内が起きているようだったんで 今 足音が聞こえたんでって言ったら 私も聞いていたって 怖くて私も起きられなかったんだけど 確実にいたよって 誰なんだよ なんなんだよって もしかして ファルス わからないけど「ありがとう」って ドア越しに何かがいる気配って すごく怖いなって 姿が見えないんだけど 何かいる 怖いんじゃないかなってこれが一番怖い話かって


I:
怪談ですねー ありがとうございました


O:
ちょうどいい話で終わった感じで


I:O:
本日はどうも

+

絵に近づこうとしてれる

イナギべジェフコモノフスキ

+ –

Interview with OJUN

Painter OJUN was born in Japan. He also has roots in Hokkaido. He went to Germany and eventually returned to Japan. After burying his body in the ground and putting bananas on his head, he began to draw pictures for some reason. He began to draw cups, flowers, TVs, and people with iron balls. I painted a man wearing a bomb vest. He has painted boats and other things. He taught many people as a professor at Tokyo National University of Fine Arts and Music, art schools, Joshibi, Tokyo Zokei, and so on. Did he teach, was he taught, or was he just there? Was he just there playing with everyone? Interview from Tadasuke Iwanaga. The man I met was a big but neat gentleman wearing an aloha shirt and big boots. He was as thin as a girl. But like an old woman, he was a big, wrinkled, fresh man. He has long legs. A balloon.
Let’s interview him.

O: OJUN
I: Tadasuke Iwanaga

O:
Well, well, well… You haven’t changed at all.

I:
Not much, maybe not at all

O:
You haven’t changed at all.
How old are you now?

I:
Over 40

O:
Over 40, huh?

I:
I’ve known you since I was 19 years old.

O:
I see

I:
Ojun knows me too

O:
That’s no wonder I’m getting old!

I:
I know, you are shocked, aren’t you?

O:
That means that my classmate, P… must be around that age too, right?

I:
Yes, yes, we are the same age

O:
I see

I:
Ojun is like a father to me

O:
I: I wasn’t able to do any of the fatherly things, though! {I: I’m not sure I’m doing anything fatherly.}

I:
Well, he was able to play the role of a father to many people…

O:
No, no, no, no

I:
I think he was doing a good job

O:
No~

I:
Everyone says that the band members are also like *1[member itagaki]Tokyo’s father in Tokyo.

1[member itagaki]mamitri yulith empress yonagunisan’s dr. Yulith Lilith” “Ichi ni san fairy tail chimidoro phenomenon satan Inferno dress ha cattlemurarete Yggdrasill hawasasaru” “25/12/2013

O:
Tokyo dad Tokyo dad, you don’t even get an allowance if you see him once in a while.

I:
No, but I think I’ve been treating you guys to a lot of food…kuku kuku

O:
No, no, no, I haven’t bought you much food

I:
No, it’s just that I’ve been fed a lot…

O:
I see… so now Tadasuke Iwanaga has a business in Saga… a kind of big business… when it gets to that scale

I:
Yes, a business

O: Yeah, that’s right:
Well, I don’t know… I’m not around that kind of thing, so it’s hard for me to imagine it…

I:
Hmmm…

O:
For example, nowadays, there are often projects like “let’s do that in a hotel room with art,” or “let’s do that in a hotel room with art,” or “let’s arrange the room with an artist,” or something like that…

I:
Yes

O:
You have the room itself, right? You have created it, right?

I:
The building, yes.

O:
How many different kinds of things are you doing now? First of all, as a writer?

I:
Well, first of all, I have a restaurant, and I cook.

O:
Oh, you cook?

I:

 

O:
No, ummm…

I. Building
Building, I do construction

O:
You do architecture

I:
I do civil engineering, civil works, public works.

O:
I do

I:
And I do restaurants

O:
Yeah

I:
I: And I manage a hotel, a hotel.

O:
Ha!

I:
And a select store is opening soon!

O:
Also a new place

I:
No, within the same place *2[in a large building].

2[in a large building] genius loci, genius loci is located in the mountainous area of Arita, Saga Prefecture. kinbosi/emerald/abyss/ammonite hotel. kinbosi offers spice curry. emerald is a Japanese architectural design studio that specializes in The ammonite hotel is a quiet design hotel loved by travelers from all over the world.

O:
Wow, it’s coming soon, isn’t it?

I:
I’m working hard on that right now, so I’m also making some vessels, some dishes, some clothes…

O:
I’m making pottery, I’m making clothes

I:
I’m making clothes, and I’m making furniture, and I’m making furniture, and…

O:
That means everything, food, clothing, shelter…

I:
All of them, yes, and I also make houses…

O:
I also make houses… I mean everything in human life, in living

I:
Yes, that’s right

O:
Yes, that’s right

I:
Yeah, I think I’m doing all of them. It’s a lot of work, but I’m doing it.

O:
Ha!

I:
And *3[art museum] will open in August!

3[art museum] “abyss,” a contemporary art museum attached to “genius loci,” was created purely as a space for coming into contact with paintings. Viewed in natural light. The design encompasses yin and yang. Large horizontal glass windows and a group of plants. The light space and the dark corridor are illuminated by the light that circulates through them. There is yang in the yin and yin in the yang. It is symbolized in the architecture as a rotating vortex, circulating. Satoru Kurata/”Good Night” was held on 8/21/2021. Designed by Tadasuke Iwanaga.

O:
Wow, that’s all done in Saga.

I:
All of them are in Saga. They are all in the same place. So

O:
Interesting!

I:
So, I want to have various people show their works there, and I mainly want to leave something behind at that time.

O:
To leave something behind.

I:
I: I want to keep a record of what we have done, not just say, “I’m glad we did it.

[cell phone rings]

O:
I’m going to turn it off for a minute

I:
I want to keep it because I feel like I’ve seen a lot of things disappear

O:
That’s great, it’s interesting that you want to keep it, it’s very interesting

I:
I: I have many interesting stories about ojun, too, but they are only in my memory, not only about ojun, because they are always in my memory

O:
No, I don’t think so…

I:
There was a time when everyone had interesting things to say, and there was a time when there were interesting landscapes, and then they disappeared from the city, and people disappeared, and I feel like I want to leave them behind.

O:
Well, the word “leave behind” is a word that really touches me too.

I:
It makes me feel so tight…

O: Well, well, well..:
Well, if you draw a picture, you leave it behind

I:
It stays, doesn’t it?

O:
But, for example, there are pictures drawn by Tadasuke Iwanaga, and the pictures drawn by Tadasuke Iwanaga are either in his possession or somewhere

I:
Yes, yes

O:
So, for example, I have never seen them at an exhibition or in his studio right after he painted them or before he took them somewhere…

I..:
I: …I’ve seen it, yes, yes

O:
O: We had an exhibition together at the National Museum of Modern Art, and I saw it again at that time, and I saw it at the gallery, but now I can’t see it right now even if I wanted to, but at that time it left a very strong impression on me. But when I actually see it, there are probably a lot of mistakes and oversights, and I have to look at it again, so I can do that if the object remains in my mind.

4 National Museum of Art, Osaka. A huge museum that houses works of art from all over the world. Located in Nakanoshima, Kita-ku, Osaka, the museum is under the jurisdiction of the Independent Administrative Institution National Museum of Art. The museum’s collection consists mainly of domestic and international contemporary art from the post-World War II period. It was established in 1977. The museum was originally located in the Expo ’70 Commemorative Park in Suita City, Osaka Prefecture, but moved to its current location in 2004. It is a completely underground museum, which is rare in the world, and its architecture is inspired by the vitality of bamboo and the development and growth of contemporary art.

*5[Gallery]There are various galleries in the world. Also in Tokyo. Painters present their works while moving from gallery to gallery. Collectors and artists tour such places, and little by little, a body of work is formed. Little by little in a corner of the world.

I:
That’s right, isn’t it?

O:
Yes, so I want to see them again, because if they remain, I can see them again…

I:
Yes, that’s right…

O:
So I think it’s very significant, what we’re trying to do

I:
I: Well, I can only learn from what’s left behind, so I can only learn from what I hear from people I know, which is very small, but it’s important, but I can only see what people far away are doing when it’s left behind, so I’m close by, so… I often feel relieved that I don’t have to leave anything behind, so I tend to cut corners, I really think so.

O:
Yes, that’s true for me too.

I:
I don’t realize that there are many things that I should have left behind because they are so close by, but I started to realize that some years ago…

O:
Is that after you started your business as you are now?

I:
Well, yes, I think so… maybe because I was doing only painting and painting only, so there was a huge disconnect…

O:
Hmmm…

I:
I: Well, I thought I couldn’t live in that world, so I put everything into art, and there was a long period of time when I began to think that I had to meet more and more people who I couldn’t talk to, and that I couldn’t talk to people who I couldn’t talk to. So I wanted to meet more and more people I couldn’t talk to, and I wanted to be thankful to all kinds of people, because I had a lot of hatred towards them.

O:
Wow.

I:
This is my story, haha!

O:
Oh, I see

I:
But I think you’ve grown up, but not to that extent

O: Not at all:
I’m surprised to hear this kind of talk from Iwanaga himself, but in *6[those days], he always had this kind of power or spirit of what he was trying to do, even if he didn’t put it into words.

*6[Back then] A view of Tokyo around 1999~2010. The World Cup started. Hyodor appeared. In front of the Shinjuku Koma Theater, chaos ensued and Saburo Kitajima strutted about. Vagrants continue to sing songs about the end of the world. A naked old hobo reigns as an empress and dances at the automatic door of a pachiya. The spiral staircase of the Liquid Room, with its ascending portal to the infernal heaven, actually undulates on the floor. The Internet dawned, and the number of net game cripples increased. Still, fun and unclassified culture abounded. There were many motorcycles in the city. There were many people carrying musical instruments, workers commuted cheerfully, and cherry blossoms were always in bloom. There is always a sunset in West Tokyo. Asahi comes from Inubozaki in the east. The Ome Highway continues to Okutama, where limestone caves lie dormant. Suikinkutsu (water fountain) stops time, and there are spirits and dragons in the city. The city, which is located on the edge of a large body of water, has changed little by little since the days of Fuu-machi. The heart of Edo is also a little here, sleeping in the park. The painters continued to paint.

I:
I think so.

O:
And what they were trying to do was strong in what I saw, and it was not only the paintings, but also your *7[word written here], or whatever you call it, really, really a part of it, but it still remains, and it still remains physically. What I mean by “remains” is that physically it remains, but when it enters the body, it goes through the physical body, and then the body becomes a filter through which all kinds of things are selected and chosen, and there are things that remain and things that do not remain, so there are things that remain and things that do not remain, and that is why Tadashi Iwanaga So, Iwanaga Tadashi’s drawings, words, and letters are only fragments, but the fact that they remain is a very rare case.

7[A few words written like this] Around 2004, Iwanaga wrote down a dream-like scene in text. The original does not remain, and its whereabouts are unknown at present. A text that is probably only in the memories of ojun, Iwanaga himself, or a few others. A text about the scenery of the curved road overlooking the quarry. TAPAMIN.

I:
Is that right?

O:
I don’t know how many people there are, but I guess that’s why he must be so strong, because he’s doing a lot of things in a very comprehensive and integrated way. I think there was something that impressed you from the time you were 19, wasn’t there?

I:
I think there was something interesting about being from the countryside, so I guess I felt a bit foreign, even in Tokyo, and I dressed like a dirty zombie.

8 [from the countryside] A cultural disconnect in many ways. A period of intense cultural clashes between music, art, thought, culture, and the Old World and the New World. A cultural rupture that separated the Old World from the New World. The Old World will always remain and try to constrain. The new world is always trying to be born, but it keeps escaping from restraint. When the Internet did not yet exist, the dark was becoming more restraining. Beautiful landscapes and darkness are harshly bright and dark, and are very stimulating to the senses.

9[White paper joints] In 1999, these were paper-fabric underwear sold at the Shinjuku Sekaido store. It was free-size, loose-fitting, flimsy, and pure white. Clothes that are only for getting dirty.

O:
That’s right, that’s right, that’s right, that was paper piecing.

I:
It was made of the same material as the cheapest masks sold at the cheapest 10 Sekaido store, the ones for getting dirty.

10 [Sekaido] Sekaido is an art supplies and stationery specialty store headquartered in Shinjuku-ku, Tokyo. Founded in 1940, the company changed its name to Sekaido in 1947. 1969 saw the opening of a branch in Ikebukuro Parco, and to this day there are branches in Ikebukuro, Tachikawa, and other locations in Tokyo, as well as in Kanagawa and Aichi prefectures. The store boasts a tremendous selection of art materials, comic supplies, stationery, and drafting supplies. Most items are discounted, usually by 20%, but if you sign up for the “Saikyodo ST Card,” you will receive an additional 7% in points, which you can use on your next purchase. The “World Trade Center ST Card” has a 500 yen enrollment fee and is valid for two years. The card is famous for its copy “Mona Lisa is amazed. The store’s signage and the World Trade Center CB Card feature an illustration of Leonardo da Vinci’s “Mona Lisa,” with its mouth open in astonishment. The store has become a landmark of Shinjuku 3-chome and is also known as the “sacred place of art. A little further down the street is Shinjuku Art Institute. It is like a tiger’s den for art students preparing for art school entrance examinations, and art students often wander around there, getting muddy and studying. Many of Iwanaga’s works are created with art materials purchased at Sekaido. The World Trade Center was almost a home for Iwanaga. They even cut and sell paper on the spot. There is a huge variety of paper, and you can choose from samples. At that time, decorated frames were sold near the top floor, but I never saw anyone there.

O:
Yes, yes, yes, it’s like non-woven fabric, what do you call it… mask material. I only had about two pieces of clothing, and I never wore anything else for about two years.

O:
I thought it was that lab coat, but it wasn’t?

I:
Yes, it was a paper gown… I lived in a paper gown all year long, and I only had those two pieces of clothing…

O:
Is that right?

I:
And I was living with all of them, and I was flying on airplanes with them, and it was absolutely dangerous, it was absolutely dangerous.

I: *11[all dyed with the color of paint] It was never washed because it would tear when washed. Iwanaga always wore it while he painted, and when he went out, he wore Nuno almost all the time. Naturally, because it was paper, it would tear all over. The torn parts were repaired by connecting them with safety pins. The crotch area and other areas were covered with safety pins because of intensive tearing. The safety pins were frequently coming off and sticking into the skin.

O:
It’s dangerous~ Moreover, if I was 19 years old and dressed like that on a plane, I’d be a little nervous right now.

I:
If it were now, I wouldn’t be able to do it anymore… When I was walking, I heard voices, voices coming from all over the place…

O:
Right?

I:
I: It was during that time that I had my first class with Ojun, and I remember that Ojun was really furious with me, and he told me that that was the first time. O: O: O: O: O: O: O: O: O: O: O: O

O:
That’s right, I didn’t do anything!

I:
That was so funny!

O:
He’s not doing anything, he’s just wandering back and forth, wandering back and forth, wandering back and forth, wandering back and forth, looking half naked, and not doing anything, even though it’s a seminar where you have to draw a lot of drawings, even though it’s a thousand knocks of drawings, he’s not doing anything. He’s dressed like a hobo… and I thought he’s crazy.

12[drawing] The act of drawing quickly using simple lines and colors. Like tableau, it requires instantaneous ideas rather than elaborate construction. From 1999 to 2007, OJUN taught a course at Tokyo University of the Arts that emphasized drawing. He can be described as a leading figure in the field of drawing. He spent his time in the freedom of drawing in search of new, never-before-seen pictures. In exchange for the vividness of an image rising instantaneously from nothing, there is the danger of nothingness. If I fail, the work is truly nothing but garbage. However, as a painter, I cannot help but be involved in this area.

I:
I guess so!

O:
I thought I had to put some energy into this, so I said something like *13[I was young, so] what are you doing! (exclaiming) or something like that.

13[I was young] OJUN had a huge frame and worked out his body. He was equipped with a sense of oppression. 1999.

I:
Yeah yeah yeah yeah

O:
I don’t remember what he said and what he said back, but he didn’t say much… he didn’t even ask me… like… nmm… nmm… Hmmm…

I:
Like “hmmm” or something…

O:
So I thought, “Well, there are a lot of people here, so there must be at least one person who can’t help himself…” Then, after about half a month, because it’s a one-month class, we had the critique, and the day before the critique, we looked at all the drawings, one by one. I looked at all the drawings one by one, and I was looking at them, and I was looking at them, and there was this one guy who was clever and clever and terrible, and his drawings were nothing but drawings, and drawings are just that, drawings. Drawing is not a simple style of painting or Western style, but it’s like “drawing” itself, but it’s not just drawing pretty lines, it’s like something that comes out of the artist’s body, and it’s like he’s carrying the word “drawing” on his back. It’s like something that comes out of the person’s body, like something that’s carrying the word “drawing” on its back, like the person’s whole body, and then you say, “There’s a great one,” and you say, “There’s a great one,” and then you say, “There’s a great one!

14[Hasegawa Shigeru] After graduating from Aichi University of the Arts, he studied at the Art Academy in Dusseldorf (1989-1992) and at the De Ateliers in Amsterdam (1992-1994). After wandering around Europe for many years, he now lives in Japan. He has exhibited his works at art festivals in India. Painter of Darkness. Painter of the dark.

I:
Hey!

O:
And I said, “This is amazing, isn’t it?” And he said, “Who is this?” And I said, “Tadasuke Iwanaga,” and he said, “Oh, yeah.

O: He said it’s him:
He said he hadn’t drawn it at all at the time, and I thought, “This guy’s incredible!” He said, “He did it!

I:
Yes, yes, yes, yes, yes…

O:
And at that time, since it was called “re-entrance exam”, we had to do the entrance exam one more time, and the drawing was the entrance exam, and we decided who passed and who didn’t, and there were only two people who passed, you know

I:
Yes, yes, yes

O: Right:
And the alternate.

I:
And then there’s also 15 [Noguchi-kun], and there’s about three of them.

15[Noguchi-kun] used to work at an electronics store. Before that, he was a clerk at a video store. Bought clothes on the West Coast. Has many psychic experiences.

O:
Oh yeah, about three.

I:
That’s great. That was interesting.

O:
That was fun!

I:
It started with the rage, and then it started with the rage… I thought it was perfect.

O: I don’t mean “16 [Melos was furious]” but…

The first part of “Run, Melos” / Melos was furious. He decided that he must get rid of the evil and tyrannical king. Melos does not understand politics. He is a village herdsman. He played the flute and played with the sheep. But he was more sensitive to evil than most. ……. Melos was furious. 2 “What a king! I will not let him live.” ・・・・・・・・・・ The bridegroom frowned and was embarrassed. Melos laughed and bade the villagers also, then walked away from the banquet, hid himself in the sheepfold, and slept deeply, as if dead. /Melos was furious at the beginning of Running Melos.

I:
It’s a contrast, isn’t it?

O:
He said, “He’s the one who’s going to be the one to get the banquet!

I:
Kukukukuk

O:
Well, Mr. Hasegawa and I were rolling our eyes, and I wanted to show him that we’ve got a great one, and that’s why I’m drawing it like this, and not like this, because I’ve seen a lot of that kind of thing, and we’ve done it before, so how should I say it?

17 [asai] asai is present.

I:
Hey, that’s…

O:
It’s like you’re being reflected in everything… I’m sorry to use this metaphor, but you’re bathed in the light of the atomic bomb, and only your shadow is reflected in the light…

I:
I: Ah, you might have felt like that, because there was a time when you were in a helpless state…

O:
I don’t mean that I was drawing anything, but what I was drawing was not objects, but something that was already being projected, something like a drawing. I quit after about two years of part-time work, and from 2010 to 2012, I taught at the university, and I gave classes every year… I saw a lot of interesting students after that, but I didn’t know that the projected object was like that. I’ve seen a lot of interesting students, but I don’t think anyone has ever produced a projection like that.

I:
I see…

O:
I was wondering how it would turn out after that, but he started to draw more and more, but I wonder how he draws, he draws on various things, like on motorcycles, have you ever seen a motorcycle? Have you ever seen a motorcycle? (Asai.)

18 [Mr. Iwanaga’s motorcycle?] An off-road bike, xr250baja, modified beyond recognition, its entire body painted with oil. The bike looks like a monster. The suspension, engine, and frame have all been modified. The fiberglass is like a creature’s body hair. The painted steel tank is beautiful. Tadasuke Iwanaga could not take the train, so he used this bike for all of his transportation. Even on typhoon days and snowy days.

I:
No, I don’t have an asai.

O:
No more bikes…

I:
Yes, I have the bike…

O:
You have it?

I:
I probably haven’t shown it to you

O:
That’s great

I:
It’s still there now

O:
Oh my gosh! You definitely have to keep that one!

I:
You have to keep it!

O:
You have to keep it, it’s painted all over the bike, it’s a monster bike!

I:
I guess so……..

O:
On the other hand, he also draws comic books, so he is a person who is not restricted by the way he draws

I:
I see

O: I see:
Well, his classmates, well, many of his classmates were quite talented.

I: I see..:
I see… that may be so…

O:
If she had been a little better, she would have been in the world really soon. There is also that interesting person who is very good at drawing.

19[Fumiko Kobayashi]*Fumiko Kobayashi / Sitting in a black tent with a collection of rotten raw eggs and piles of garbage. She loved art. Collapsed in the middle of her vigorous activities. At that time, Iwanaga gave her a picture of a unicorn. OJUN contributed a text to Kobayashi’s book of paintings.

I:
Maybe it was a time when there were a lot of people who worked very hard on their paintings.

O:
Yes, like ◆□■chan, etc. Anyway, there were various types, but there were many outstanding ones in that school year.

I:
Really, the university was really interesting

O:
Interesting!

I:
Really interesting for me!

O:
And then you got to the doctor, right?

I:
Yes, it was really interesting, it was really interesting every day

O:
But even after I became a doctor, the dissertation that I wrote was still widely read by the professors.

20[that exposition] doctoral dissertation. There is a passage in which Iwanaga’s mystical experience is described.

I:
Oh, it’s become a problem!

O:
O: It’s been mentioned that Geidai now recognizes such a thing as a doctoral dissertation, which means that it is written in one’s own words.

I:
I’d like to hear about Ojun…

O:
I’m still the same as before… not much has changed…

I:
No, no, no, can I ask you what I want to ask you? Well then, from earlier, I remember something that is typical of ojun…

O: What?
What?

I:
I: You only remember things that were said to you that you didn’t like, rather than things that were praised, right?

O: What?
Heh heh heh

I:
There’s something I’ve been saying for a long time…

O:
What, me?

I:
Yes, that you remember the bad things more than the good things.

O: Yeah, yeah..:
I: Yeah, yeah… that’s right, that’s right… when I’m being pointed out, I get nervous just remembering the embarrassing and unpleasant things, and my face turns red and I want to run away…

I..:
You get angry, don’t you?

O:
No, I think it’s because I get poked the most… I guess it’s because I’m right on the money…

I:
I: And, the first thing I thought when I saw ojun today was

O:
Hmmmmmmmmmmmmm

I:
21[thinking he looks great].

*21[I thought he looked really healthy] Summer of 2021, when Corona was in its heyday. Restrictions on going out persisted for a long time. A feared virus. Many people became mentally ill from the stress.

O:
Oh, wow.

I:
I wonder if it is similar in a way, that the harder the situation gets for everyone, the more they get better…

O:
Well, it’s true that there is a little bit of that in their personalities.

I:
You seem to be in good spirits.

O: Yes, that’s true:
It’s true that after the Great Hanshin Earthquake, it was the same, and it’s a terrible story, but it was also the same after the Great Tohoku Earthquake, and it was also the same after the 9/11 disaster in New York, and whenever there is a disaster in the world, I feel like thinking about various things in the midst of the chaos, and I want to create and draw various things. I want to think about all kinds of things, and create and draw all kinds of things in the midst of the chaos.

22[Great Hanshin Earthquake] Earthquake that occurred on January 17, 1995. Fire. M7.3.

*23[Tohoku Earthquake] Occurred on March 11, 2011 at 14:46:18.1. Tsunami struck. Meltdown of the Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant occurred. Commonly known as 3.11.

24[9.11 in New York City]A terrorist attack occurs when a plane crashes into the World Trader Center in New York City. War in the Middle East erupts.

I:
Hey!

O:
When people are suffering like this or in hard times.

I:
Yes, I felt like that.

O:
W: Yeah, I was like that.

I:
But, um, what about directly handling it, shifting it, painting it?

O:
Yes, I do… I don’t directly… well…

I:
Sometimes you do it directly, don’t you?

O: Yes, I do:
W

I:
Sometimes, I think it’s interesting.

O:
Well, I’m basically working in the world of painting, so even if I see something here, and I draw it here, as soon as I draw it here, it will be out of place or upside down, and that’s why I can’t draw it directly. If it were drawn as it is or expressed in some way, it wouldn’t be very interesting, but it would always be overturned or tipped over, and its shape would change or deform a bit, and some people call that transformation. Some people call it transformation, but I feel like it’s an exchange.

I:
Exchange

O:
For example, 100 yen buys some chocolates. 100 yen and chocolates don’t go together in the first place, do they?

I:
It’s just crushed iron and cacao

O:
But we have to tentatively make such an arrangement with each other, and we can use money, money, money, as an economy, to exchange things with money, which was originally done through barter, but barter is still a totally different thing, so we can basically exchange things. The logic of barter is rather similar to that of art, which is what we are doing.

I. Interesting:
Interesting, I’ve never heard of this before, it’s like alchemy, like equivalent exchange, it’s kind of like an *25[alchemical] idea…

25[Alchemy] Hermes Trismegistus was the founder of alchemy and was regarded as the patron god of alchemy. The Documents of Hermes are documents attributed to Hermes Trismegistus (meaning three times as great as Hermes), and are said to number over 30,000 books. Jung wrote a book entitled “Psychology and Alchemy. The main idea that Jung got from his book was that alchemy (as well as all mysticism) is actually aiming at “the union of opposites. Newton, known as a scientist, was also an alchemist. Many of Newton’s books on alchemy were destroyed in a fire at his laboratory, and it is thought that his achievements as an alchemist were greater than those known today. The economist Keynes remarked that “Newton was not the first of the age of reason, but the last magician. ▲ Relationship between Egyptian, Sumerian, and super-ancient.

O:
Yes, yes, yes.

I:
Never heard of it.

O:
Is that so?

I:
Um…I’ve never heard that word in a painting story

O:
I think it’s because it sounds tasteless, and when I say “transform,” I mean “transfer,” but I’m thinking of it as more of an immediate exchange.

I:
It sounds like a spiritual exchange

O:
Oh, I see.

I:
Conversion is something like, in many places, exchange of visible things can be easily imagined as exchange of things, but exchange of invisible things, it’s like…

O: I see:
But I think it’s the same with everything you’ve done, what you’re doing now, and all the pictures you’ve painted until now

I:
Yes, that may be true

O:
We are exchanging

I:
Yes, exchanging what, exchanging souls?

O:
Yes, I think I’m exchanging it for all kinds of things

I:
I: I wonder if they are exchanging it for something else, yes I understand that

O: Yes, I do:
For example, when it’s planted in my mind, when it’s engraved in my mind, it means that it’s being exchanged with my memories, that I’m doing it.

I:
Yes, that’s interesting

O:
Yeah, yeah

I:
I’m sure… Karakara, Zuzu Zuzu… Have you ever talked about your drawings? It’s like he’s talking but he’s never talked before… I guess that’s the point.

O:
Oh, yes, that’s right… it looks like I’m talking but actually I’m not…

I:
It seems like that, doesn’t it?

O:
The more I talk, the less I get through

I:
I think that’s what happens to most good painters, and I think you are a good painter.

O:
I guess so…

I:
I can talk about the whole picture, but when it comes to myself…

O:
That’s right… That’s right…

I:
I can talk about the whole thing, but when it comes to my own thing, I can’t look at it

O:
You’re right, you’re right, you’re right

I:
I: I mean, you can’t look back…

O:
You’re so right! You’re so right!

I:
Maybe it’s not something you should look back on

O:
I guess we shouldn’t look elsewhere.

I:
It’s brave, but it’s brave, and I think it’s going to cost me

O:
I sometimes look back on my old works and wonder if it was like this…

I:
Yes, what do you think about your old works?

O: Well..:
I don’t know…

I:
A long time ago…

O:
I’m having trouble dealing with some of my works from a long time ago, when I was in my twenties or early thirties… I was going to put some of my large paintings in the oversize garbage the other day… but…

I:
That’s a waste, isn’t it?

O:
Well, I was told to wait a bit, and I’m waiting, but there’s nothing I can do even if I wait, so I’m thinking about what I should do… but, you know, I’ve got everything stored at my friend’s house from high school, and I don’t have an atelier now… totally…

I..:
Oh, I see

O: I see:
I have my own studio, but for some reason I don’t have a studio at my house, because my daughter and her family are all living together under one roof. I have an exhibition in the next three months, so I was wondering what I should do. I’m thinking about doing it, but there’s a guy named Miyajima, right?

There’s a man named “Mr. Miyajima. He is a painter and a friend of OJUN’s. We have known each other for a long time and were together when we were in Germany. He has been making monochrome oil paintings for decades. Manholes, chicken, tails of eels, and so on. He once painted an eel’s tail. He says he does not trust Jung and denies having witnessed UFOs. He met Iwanaga when he was a part-time student at Tokyo National University of Fine Arts and Music.

I:
Yes, yes, I know what you mean.

O:
I don’t know why there are so many of Miyajima’s paintings there…….

I:
I don’t know why… haha

O:
And your drawings, too

I:
I draw a lot of pictures of you, Mr. Miyajima…

O:
I’ve been a little sick right now, so if I rearrange a little, I’ll have a space of about 3 tatami mats, so I’m thinking of working there in August. I feel that I can’t paint again.

I see:
I see. So you can never paint again.

O:
Well, I feel that I could only paint what I painted at that time, and although I won’t be around in 20 or 30 years, if I were alive in 5 or 10 years, I would feel the same way about what I am painting now.

I:
I can only say that I have a feeling, but I think that there are things that are good, even though they are not good pictures.

O:
So it’s not about whether it’s good or bad, it’s not about whether it’s a good picture or a bad picture, it’s just a very small ass standard…

I:
I feel like that

O: Yeah:
It’s like a mark that I drew it at that time

I: Yeah:
I: Yeah

O:
I think it’s enough if it’s clearly marked like this.

I:
Yes, it would be more interesting if it were wider.
Zzz… (sound of a drink being downed)
I: Yes, and I don’t have to work too hard on the quality of the content.

O:
Yeah, but you know, when I was around 40, I couldn’t think like that yet.

I:
I think so, too!

O:
It’s a little bit early for me… when I was 40 and up…

I:
I want to make it better

O:
I wanted more, and I couldn’t see it that way, and it’s only recently

I:
I think I’m getting better, I think I’m getting better, I think I’m getting better, maybe, but, yeah, for sure.
Zzzz… (sound of a drink being downed)

O:
That’s a big deal.

I:
I also throw away the ones I’ve made before, and it may sound backwards, but it’s not about whether I keep them because they’re good or throw them away because they’re bad, but if there’s something in them that I don’t want to keep, I throw them away.

O..:
No, it’s not.

I:
I: No, if it contains something that’s not me at the time, I’ll keep it, even if it’s a disgusting part of me, but if it contains something that doesn’t have me and is depicted by something I don’t understand, I’ll throw it out because I think it’s meaningless.

O:
I threw away some of them.

I:
I think it’s acceptable to throw them away

O:
Yes, I think so

I:
I think it’s okay to at least decide what to keep

O:
Oh, you’re right, it’s an interesting way of putting it that we should be allowed to throw things away

I:
That’s fine… hahaha

O:
Well, I was just writing something and I’m not sure if it’s the same in Japan or not, but when there is a change of government in Eastern European countries or Russia, the statues that used to be the symbol of the country are all toppled or thrown away, you know.

I:
27*Lenin’s statue…

*27[Lenin] Vladimir Ilyich Lenin (Russian: Влади́мир Ильи́ч Ле́нин; April 22, 1870 January 21, 1924) was a Russian revolutionary, politician and philosopher. He was the first leader of the Russian Soviet Republic and the Soviet Union (President of the Congress of People’s Commissars). Lenin” is his pen name, his real name was Vladimir Ilyich Ulyanov (Russian: Влади́мир Ильи́ч Улья́нов). He was a leader of the Bolshevik faction of the Russian Social Democratic Labor Party, and after the successful October Revolution of 1917, he established the first socialist state, the Russian Soviet Federative Socialist Republic, and became chairman of its executive branch, the Congress of People’s Commissars. 1919: Communism, which replaced the Second International In 1919, he led the creation of the Comintern as an international organization of political parties to replace the Second International, and later led the formation of the Soviet Union in 1922, holding the position of head of government (Chairman of the USSR People’s Commissariat) until his death in 1924. As a Marxist, he wrote various works ranging from political and economic analysis to philosophy, and his ideas were carried on as Leninism.

O:
Normally, when something like that happens, there would be an incident or something, but it doesn’t turn out to be an incident.

I:
No, it doesn’t.

O:
No, it doesn’t

I:
It’s done quietly.

O:
I: I think it’s not about whether or not to throw it away, or whether or not to throw it away, or whether or not it’s good or bad. I think there’s something to be said for destroying something for the sake of destroying it.

I:
I: Yeah.

O:
I was writing about how it is in the case of painting.

I:
I see…

O:
I haven’t finished writing it yet

I:
Hmmm…

O: Well..:
When it comes to painting, if I have to cut or tear something like this, it’s a little bit painful, like I’m being cut off, when it comes to so-called destruction. Pictures…

I:
I’ve never had one stolen.

O:
No, I had a painting stolen once… but often, Picasso’s paintings are stolen… and so on.

I:
I: Yes…

O:
And then, decades later, they are found in a warehouse somewhere… I think it is interesting…

I:
I see…

O: I see:
O: You can topple a statue, roll it over and throw it into the sea, but in the case of a painting, you steal it as a substitute, and hide it from us.

I:
I: Pictures are often hidden, aren’t they, in people’s warehouses and never seen by the public?

O:
Yes, you’re right, you’re right, you’re right…

I:
It happens so often that you can’t see them anymore, it’s amazing, it happens almost all the time

O:
I: You leave it in the computer, of course

I:
But then, they come out.

28[At one time] the relationship between the hidden Buddha and the Gokaicho. Hibutsu refers to Buddhist statues that are not open to the public for religious reasons and are enshrined with the doors of the kitchen, etc. closed. The practice of enshrining Buddhist statues, which are originally idols for worship, in a closed kitchen or other such facility and designating them as “Hibutsu” (hidden statues) is a particularly prominent phenomenon in Japan among the East Asian Buddhist world. In Japan, many of the principal images of prominent temples are considered to be “hidden” Buddhist images. Many of the principal images of temples supported by popular beliefs, such as the temples of the 33 sacred places in the western part of Japan, as well as other temples and sacred sites, are also considered to be “hidden” Buddhist images. An example of a hidden Buddha: the standing statue of Kannon Bosatsu (Salvation Goddess of Mercy) in Yumuden, the main hall of the To-in temple of Horyuji Temple. The image of Salvation Kannon enshrined in the central kitchen of the hall is an Asuka-period wood carving said to be the same size as Prince Shotoku, but according to various historical documents, it was already considered a secret Buddha in the late Heian period (12th century). According to various historical sources, the statue was already considered a secret in the late Heian period (12th century). It is commonly believed that in 1884 (or 1886), Okakura Kakuzo (Tenshin, a pioneer in Japanese art education and art history research) and Ernest Fenollosa (an American philosopher and art historian) visited Horyuji and, over the objections of the temple priests, opened the kitchen door, revealing the Kannon statue for the first time in several hundred years.

O:
Yes, yes, yes!

I:
Yes, time is a great thing, and I often think about the longevity of a painting.

O:
Well, it’s funny, we talk about painting and making sculptures, but we don’t talk much about losing them, or throwing them away…

I:
No, no, no

O:
That’s interesting

I:
It’s interesting, isn’t it?
Zzz… {I: It’s interesting.}
Well, you know, it can disappear, and it can also come out, but it’s a human being that has created something that has a longer life span than the time it was there, so it seems strange, doesn’t it?

O:
I: I’ll do it!

I:
It’s very strange, isn’t it?

O:
Do you think so? I knew you would think so!

I:
I think it’s very strange. I mean, I’m in the modern age, but I don’t live in the modern age, and I feel that I don’t live in the modern age.

O.: Yes, yes, yes, yes:
Yes, yes, yes, yes, I understand.

I:
Do you understand?

O: Yes, yes, yes, yes, yes:
I know, I know, I know, I know, I know

I:
I’ve always had that in my mind from the very beginning when I started painting

O:
Oh yeah…
{I finish my drink}

I:
I knew it from the very beginning.

O:
Since then?

I:
Yes, that’s when I thought about it

O:
Since you were wearing that white flimsy thing?

I:
I’ve been thinking about it since then

O:
I guess that’s why he draws like that

I:
But you know, I don’t know if I’m saying it the wrong way, but back then… I: I don’t know if I’m saying it the wrong way, but… I said that drawings are not for living people, and that’s how I put it, and then he said it in a very nasty way, like he didn’t like me at all.

O:
Oh, yes, from someone…

I:
I don’t think I should say anything about that… I don’t think she’d be offended if I did, but she said it was for the living, and she was a woman, but…

O:
Oh…

I:
I don’t know which is better… Is it for the living or…

O: Oh, I: I don’t know..:
For example, when I am painting a picture and I suddenly think of this person and show it to him or her, there are some people who are alive, but there are also some who are dead…

I:
I understand, that’s why I think it’s for the people who are alive.

O:
Yes.

I:
Yes, even with dead people, because when I see the drawings of dead people, I can understand them.

O:
Yes, I see the paintings of Van Gogh, Cézanne, Manet, and so on.

*29[Van Gogh] Vincent Willem van Gogh (March 30, 1853 – July 29, 1890) was a Dutch Post-Impressionist painter. He painted precise oil paintings.

*30[Cézanne] Paul Cézanne (January 19, 1839 – October 23, 1906) was a French painter. He explored his own style of painting, which was not bound by the traditional commitments of painting. He is often introduced as a post-impressionist painter and had a great influence on cubism.

31[Manet] Édouard Manet (January 23, 1832 – April 30, 1883) was a French painter of the 19th century. He painted scenes and figures of modernizing Paris.

I:
I wonder if we could be friends.

O:
I think that’s right… So, wow when you see a painting of a living person is the same as wow when you see a painting of a deceased person… I guess there is a difference… It’s not the same… Well, I can’t really say what the difference is, but… yes, yes

I:
So, do you ever feel like you want this person to see your work?

O:
There are some people who are alive and some who are dead that I wonder what they would see if they saw me.

I:
Do you think that kind of thinking is normal or not normal?

O:
Well, I think I’m too self-conscious about my paintings, so it’s not so much a question of other people, but I want to show them what I’m painting, and I want them to see it, which I think is a very strong underlying intention.

I:
I: Heh…

O:
But I don’t say it in public because I think it’s hard for people to see my bottom line, and that’s why I don’t say it, but there are some people who are alive and some who are dead who have given me something to say about my work. I don’t mean the critics, but the people who gave something to my work.

I:
So it doesn’t seem like it.

O:
Well, it’s more of a simple feeling…

I:
Oh, you are very naive, aren’t you ojun

O:
I am naive………

I:
That must be a great feature!

O:
Hmmm… wow…

I:
Zuzu…… Hmmm… hey, it’s not for everyone in the world…

O:
I’m not painting for everyone in the world, I’m not painting for world peace…

I:
There are some people…

O:
There are some people

I:
That’s interesting

O:
About 5 people, maybe less than 10

I:
Even if there are that many people

O:
Yes, yes, yes, yes, yes

I:
But I don’t think that’s the driving force

O:
But yes, yes, yes, yes, if it is a motivation, yes, yes, yes, yes

I:
Even such a small group of people can come together

O:
It’s a small, small world, but the words that some people, living and dead, gave to me, or the way they looked at me, have a certain strength and impression that is decisive, so it’s really big…. I think it must be very deep.

I:
I didn’t know that… I didn’t know that kind of emotion…

O:
Well, really, yeah… I’m one of 6 or 7 people, not 10… one of them…

I:
Well… okay…

O:
Oh, yeah, yeah.

I:
But that makes me happy…

O: Yeah:
Not about age or anything like that…

I:
I: Yeah…

O: Yeah:
I met him when I was drawing, and I met him when I was drawing, and I met him when I was drawing.

31[Seen or seen] memories of the eyes. Eyes’ communication. The medium of the eye. The eternity of a moment.

I:
Spiritual – something like that.

O:
Soooo hmmm.

I:
I feel spiritual

O:
Spiritual

I:
I: I feel like the smallness of it… I mean, it’s small, but… I feel like the scale of it all becomes irrelevant…

O:
I was talking to him earlier today about how the painting I’m working on now is a representation of the problem of scale, and I was wondering what the standard is for big or small… I’m working on a painting about that, and I’m going to submit it to the 32nd Tokyo Biennale starting next week. I’m submitting it to the Tokyo Biennale, which starts next week, and I think that it’s not the case that there is only one original work, but that there are multiple originals, and although the words are contradictory, I think there are some.

32 Tokyo Biennale is an international art festival held in Tokyo.

I:
I: Yes

O:
I’ve been doing a little bit of painting, but I was wondering if I could try something with that, like a problem of scale or something…

I:
That’s…

O: That’s..:
I think that there is no standard or standard for distance and such like…

I:
I think that’s fine… Well, I mean, it’s normal…

O:
Oh, it’s normal for us, isn’t it?

I:
It seems normal to me

O:
Oh yeah

I:
It’s a strange story for those who don’t know or haven’t thought about it before, but I think it’s a normal story when done properly.

O:
Yes, that’s right, that’s right

I:
For example, you might think about it from the very beginning…

O:
You know, I was doing it when I was 19 hehehehehehehe

I:
Did you do it? In what sense did you do it?

O:
Hey

I:
You mean you were doing something big?

O:
Yeah, yeah

I:
There was a time when I was painting 33 [pictures the size of an entire room].

33 [a painting about the size of an entire room]… The studio was quite large, but the painting was so large that the room was covered with it. It was done on the ground with paper spread out. Charcoal drawing. Like a ghost. A shimmering space. It was as if it had been pulled out of a world not of this world, as if it had been lowered. Something like a crest is floating. It was propped up on an easel so as to break into the space as an existence without pressure. Some of them were bundled up and hung in the space with asahi (Japanese spruce). Some are buried in the earth. These are things that have become symbols from a world without words. Huge, yet invisibly small. Objects that are like spirits of sound. They fill the room. The pictures by Tadasuke Iwanaga from this period have disappeared and are almost nonexistent. The whereabouts of several photographs taken with an instant camera are also unknown.

O:
*34[room] said something was wrong.

*34[room], Iwanaga’s own room, is different from his studio. At that time, Iwanaga’s own room was a completely trashed house, and the level of the room had become so competitively high that when entering the room, he had to ascend as he went in. I don’t know how he did it, but various trash had combined to form soil in the room. I would service my motorcycle and spread oil all over it. He sometimes painted indoors, and his paints and drawings were scattered about. The only living space is around the sleeping area, and the space is curved like the inside of a cave. The refrigerator had been left unopened and unplugged for 10 years. Inside are the first apples I bought after arriving in Tokyo, in 1999. When I left this room, the refrigerator was opened, but the apples were still there.

I:
Mr. Hasegawa, yes, probably.

O:
The room was not a room at all.

I:
The room was so small that it was like a dirt floor in the room

O:
Wow (laughs)

I:
There was dirt in the room, wasn’t there?

O:
(laughs)

I:
(laughs)

O:
That’s amazing

I:
I: Well, I’m trying not to do that again, because after about 10 years of being in such bad shape, there was soil in the room, and the microorganisms were decomposing, and so…

O:
Wow, I’m surprised it didn’t harm your health

I:
Yes, you did

O:
You did!

I:
I finally harmed it, so I thought this is different… now it’s clean, the room is amazing!

O:
Wow!

I:
Well, well, well, well, that’s okay, but the scale of it, the scale of it, well, well, the room is interesting too, but what’s it about, you know, when I was in college, I was there at the same time as Ojun, and he used to talk about the scale, the size, I used to hear him say that a lot. I wonder if I’ve heard that before.

35[Nakanishi] Nakanishi Natsuyuki, (1935 – 2016) Japanese avant-garde and contemporary artist. Professor emeritus at Tokyo University of the Arts. Guest professor at Joshibi University of Art and Design. Former professor at Kurashiki University of Science and the Arts. He also worked on the establishment of an art school. Existed at the same time as Tadasuke Iwanaga and OJUN when they were at the University of the Arts. Left a few words and left without much mention. Horizontal and vertical. Circles and adjacencies. He deeply considered the world as a whole and painted pictures with his body. Big and small could be reversed. He said that it is a mystery whether something is big or small. In the scene of Ivarado in Studio Ghibli’s “Ears to the Sky,” there is a scene in which he talks about the existence of things that seem bigger when they are far away and smaller when they get closer. Usually, things that are close to us are larger, and things that are far away are smaller. NATSUYUKI NAKANISHI also said the same thing. The reason you are here in front of me is because there is another you. The reason your flower child is so adorable is because there is another flower child from another place who is also adorable. This earth exists because there is another earth. But I am alone on this earth, while all the things and people on this earth are also on the virtual earth. I am on this side of the earth, with one foot on the other side of the earth where I am in contact with it. It is not that if I move one foot here, I am here, and if I move the other foot there, I am there. Because there is a canvas standing perpendicular to the boundary, I have to do the same. The canvas is either the boundary itself, or it cuts across both worlds, braking them so that they do not overlap, and keeping watch over both at the same time. Or it assures that there are two grounds. That is the real position of the canvas, and that is why it is flimsy, and I, who have no choice but to respond to it, am flimsy.
/Natsuyuki Nakanishi

O:
But you understood well what Nakanishi was saying. I couldn’t understand what he was saying.

I:
Oh, I see.

O:
There are people who can understand and people who can’t.

I:
You are saying very normal things

O:
I knew it! I knew it!

I:
But what you just said about the scale of ojun is exactly the same thing that Nakanishi-san is saying too!

O:
Oh, I see

I:
Nakanishi-san always says that it doesn’t matter whether a good picture is big or small, and that there is a big picture even if it is small.

O:
Why didn’t I ask him when he was alive?

I:
I: I don’t know…hehehehehehehehe

O:
Even though there are people who can listen to you even at a young age like this

I:
But I still think ojun and Nakanishi’s class was really interesting!

O:
It wasn’t really a class, though!

I:
Neither of them was a class, they were totally different from each other, like “let’s do that kind of thing in college” kind of thing.

O:
That’s right!

I:
It’s interesting when you think for yourself

O:
Well, since Corona was introduced last year, most of the classes at the university are online, and until last year, about half of the classes at Geidai were online for the first semester, so I felt inconvenienced, but then a month or two later, the classes at the University of Tokyo started, and the University of Tokyo was stricter than Geidai and asked us to do the classes completely online. I felt really uncomfortable at first, but then I thought about it, and I realized that people can draw on a small piece of paper with a pencil, and they can do it with their hands. So you can draw what you want, just because you can’t see it or can’t get a close look at it, which is inconvenient for you.

I. That’s a good story:
That’s a good story.

O:
O: You often show it to me like this, and ask me to show it to you, but it’s very hard to see, and I can’t even look at the real thing, but it’s more important to know that you created and painted the real thing than to have me show you the real thing… I thought that this is a practical class, so I’m going to ask them to send me a picture of the final product… but basically, if they can draw, even if they are drawing or playing, that’s enough for me…

I:
I: Yeah, yeah…

O:
I think that’s the basis of art.

I:
Yes, I think so too

O:
Hey, you know

I:
I think, I mean, I’ve seen a lot of examples, and one of them is, ojun also said more than 10 years ago, not only ojun but also some other people, ojun and some other people, that when they had that Vermeer exhibition, the picture of *36 [Vermeer] was so much smaller than I thought it would be.

36 [Vermeer] The blue color is beautiful. Lapis lazuli. A group of paintings that are considered the world’s most valuable. He started out as a narrative painter, but eventually turned into a genre painter around the time of “The Bearer Woman,” which has a chronicle of 1656. The number of surviving works is small, ranging from 32 to 37. Johannes Vermeer (Dutch: [joːˈɦɑnəs vərˈmeːr], 1632 October 31? – December 15, 1675?) was a Dutch painter from the Federal Republic of the Netherlands and one of the most important painters of the Baroque period. He is known for his realism, meticulous spatial composition, and expression of light. His father’s surname, Vos, was the English word for fox. It is not known why his father changed his name to Van der Meer, or why Johannes shortened it to “Vermeer. Vermeer’s works were often stolen.

O:
Vermeer, ah.

I:
I: And some people were talking about it, and ojun was talking about it too

O:
Ah!

I:
I: I was saying that it was very small, but it was good… and there was another Moomin character, what was it, Moomin…

O: *37 [Tove Jansson]?

Tove Marika Jansson [tuːve mariːka jɑːnsɔn] (August 9, 1914 – June 27, 2001) was a Swedish-speaking woman. 27) was a Swedish-Finnish painter, novelist, and children’s author. He is the author of the Moomin series. Moomin is a cute character, but his stories are quite dark. When the popularity of the Moomins brought more journalists and fans to Bledisar Island, he built a cabin on Kluv Island and moved there. She spent summers on Kluvu Island and winters working in her studio in Helsinki. Many photos of her playing in the sea remain.

I:
I saw an exhibition of her original paintings in Kumamoto, Kumamoto, Japan, and I found that her first paintings were as small as this one.

O:
Oh, that’s right!

I:
Yes, it’s about this size, about the size of a 500 yen coin

O: Oh, yeah!
Oh!

I:
It’s a picture, the first development.

O:
Wow!

I:
So that’s exactly the remote story and

O:
Exactly

I:
I: The scale of what is produced by your hands, it’s like manga is really like that, it’s like the size of a B4 book, but the original animation is probably not that big, but it’s stretched to the size of a movie theater, so what is produced by your hands is kind of the size of the palm of your hand.

O:
Yes, yes, yes, yes.

I:
I: It has that kind of cuteness, doesn’t it?

O: Yes, there is:
Yes, that Moomin story is very interesting.

I: Yes:
Yes, but they were really small!

O: Yeah, but I can understand:
But you know what I mean… You are chasing after them, right?

I:
Ojun, you’ve been doing it for a long time!

O:
w…toddling and toddling and toddling…

I:
I don’t know if you’ve been doing it for a long time or not, but when you talk, you move your hands in the size of your palms all the time, don’t you?

O:
Hey…

I:
Even without a pen, you use your index finger all the time.

O:
You’re looking at me a lot, you’re being watched!

I:
You never forget something like that, do you?

O:
Oh yeah

I:
You’ve been drawing squares with your index finger all your life.

O:
Aww, I’m looking at it a lot… haha, scary… scary…

I:
You have such a good memory, don’t you?

O:
You know, I’m still told that… I guess it’s a habit…

I:
I: You are a small boy after all. I thought that the remote story was probably a very good story.

O: Well, I think it’s a good thing to be remote:
Well, I feel sorry for the remote students, that they can’t see each other, but it depends on the class, and everyone seems to think that it’s hard for practical skills, but even art students can’t draw such a big picture because they drew at home last year, and they draw at home, but they don’t have to draw a big picture. They can draw at home, so they can’t draw such a big picture, but they don’t have to draw a big picture, they can draw at a size they can draw at.

I:
That’s true, I think.

O:
Yes, that’s true.

I:
I think it is a phenomenon that Ojun gets more and more energetic when the society has problems.

O:
Woohoo!

I:
I: I think that there is a relationship between the fact that he plays with the palm of his hand and the fact that he is playing with the palm of his hand.

O:
Ha, there is a relationship!

I:
The world is related to each other, but it’s not pulled apart…

O:
Eh, hmm (coughs)

I:
That’s the beauty of painting, isn’t it?

O:
Maybe it is, maybe it is a good thing about painting

I:
Well, I think that there is probably no interruption in the painting during the most difficult times, and perhaps there were some difficult times…

O:
But, you know, after the nuclear reactor in Fukushima, I had a lot of thoughts about it, and then I came back to Saga, and now I’ve started a series of big projects like this, and I’m sure that’s also a trigger, and then I got this corona again, and it’s been going on for several years, hasn’t it?

I:
I: Yes

O:
I’m sure Iwanaga-san will also be influenced by this different and positive influence.

I:
I don’t know

O:
A lot of bad things… not good things, but…

I:
It’s not a good thing

O:
But, but, because of this, many things are being exposed and seen…

I:
Hmm

O:
If you feel that what you see is a little bit tacky, you can always add something else… including the way you create your works

I:
Well, I don’t really understand it… I don’t understand it… I don’t understand it, so…

O:
I don’t know…

I: I’m quiet:
I’m quiet… I don’t know… I don’t know… I don’t know…

O:
Well, I’m in the middle of it, so I can’t say anything

I:
I: I am… well…

O: Well..:
I’ve already had the second vaccine

I:
Oh, I see

O:
It’s already swollen and painful now, though

I:
Then, it might be pretty good…

O:
I wonder how it is

I: I don’t know:
I don’t know, and I don’t think everyone knows either.

O:
I don’t know… I don’t even know how good it is

I:
So we don’t know everything, and none of us know much about it.

O:
That’s exactly right

I:
Well, I’m trying not to be too predictable

O:
Yes, yes, yes

I:
Then you just have to hit the pavement

O:
Yes, I think so

I:
I feel that way

O:
I think you are right

I:
I guess you’re right…wow…yes

O:
Yes

I:
Hey, can I have another coffee and drink it?

O: Sure:
I’m good… I mean… oh, I still have this

I:
Shall we do some more?

O: No, no, no:
No, no, no, we don’t have a store for a very long time.
I’m sure we don’t have a store for a very long time.

I:
Oh, you should go.

O:
I was wondering if we could grab a bite to eat.

I:
Okay, let’s set a time…

O:
Okay

I:
It’s precious.

O:
Shall we each have a cup of coffee or something warm?

I:
I’ll do that, thank you.

O:
Yes, sir.

I:
Well, I don’t know what you’re talking about now, but I’m sure there are a lot of stories about Ojun from the past, like his own interesting story about going to Germany…

O:
He probably forgot a lot of his own stories…

I:
I: I remember the story about how he got very angry in the car…

O:
Oh, the story of how you and the cellist had a huge disagreement…hahaha…hahaha…w the story of how you and the cellist had a huge disagreement

I:
Uh… about not opening the window of the car…

O:
Oh, you remember it well!

I:
I remember that kind of thing, don’t you?

O:
He was a funny man, a funny man, a musician, a cello player, a little bit strange man, he was from Aomori…

I:
Why are there so many strange people in Aomori?

O:
Indeed, we have something in common… We have a very subtle nuance…

I:
I: Hmmm…

O:
The Aomori people I know

I:
There is something about them…

O:
He was a strange type of person, but he was very lonely and approached people, but he was funny and when you got to know him, he would get very close to you, so we decided to go on a trip to Lake Constance, a beautiful scenic spot on the border between Switzerland and Germany. It’s a beautiful scenic spot on the border between Switzerland and Germany, and Beethoven composed a piece called “Moonlight” when he saw the moon reflected in the lake.

38 “Sonata quasi una Fantasia” (Piano Sonata No. 14 in C-sharp minor, Op. 27-2) is a piano sonata composed by Ludwig van Beethoven in 1801. It is widely known by the common name “Moonlight Sonata. It is fragile and beautiful.

I:
I see.

O:
Yes.

I:
Oh!

O:
And we decided to drive there, because it’s a very nice place to visit, and this is a man who loved to drive.

I:
Yeah…

O:
He rented a car and drove with me and my family because he was the only one who could drive, and I felt sorry that he had to drive me there and back, but I told him it was okay, that I was a good driver. It got hotter and hotter and hotter, and the weather was so extreme that it wasn’t cool in Germany anymore. I said, “Oh, Ojun-san, you have your window open,” and I said, “Oh, I’m sorry,” and then I said, “Oh, I’m sorry,” but it gets so hot in the car that I have to open it again. Is it open? I said, “Oh, I’m sorry, could you please take a rest somewhere, like a drive-in? We had a lot of interesting episodes over there, but when it came time to go home again, it got extremely hot and before I knew it, it was almost 50 degrees in the car… and I opened it again… and then I opened it again… and then my mother came too. I’m sorry, we’ll just take a break somewhere… but she said that if we take a break, we’ll be late getting home again… but a little bit of a window wouldn’t hurt… and I’m a musician, so I can’t even drive anymore. I can’t hear the wind.

I:
Oh, that’s what you were talking about.

O:
Hmmm…

I:
That’s it!

O:
I said I thought… well, in hindsight, maybe I was right.

I:
Maybe it was… the wind noise… maybe the chords weren’t good enough

O:
Oh, I see

I:
I have absolute pitch.

*39[Absolute pitch and auditory hypersensitivity] Auditory hypersensitivity is a tremendous dislike of certain sounds, and sounds that are perceived to be at a general level are perceived as abnormally loud. For example, small sounds such as the sound of a fluorescent light, a refrigerator, or the second hand of a clock can be bothersome and unbearable, causing pain behind the ears and sometimes headaches and dizziness as well. Absolute pitch is the ability to recognize a sound absolutely based on memory when one hears it. In contrast to relative pitch, which is the perception of the pitch of a sound in terms of relative pitch, absolute pitch is the direct perception of the pitch of the sound itself.

O:
He had absolute pitch, didn’t he?

I:
I think he probably has it.

O:
He has it?

I:
Maybe the chord of road noise, engine noise and wind noise is not good.

O:
Yes!

I:
I think so

O:
I’m sorry about that… but at the end, when we were near the town of Giseidorov, I couldn’t take it anymore, so I said, “Stop it! And he opened the door as wide as he could and said, “Is this the gas chambers of Auschwitz?” I said, “We’re going to die!” “Let’s get out!” And then they all get out and say, “Get out!” “I’m done with you!” “I’m done with you!” And then we had a breakup.

I:
I’m so sorry.
About a year later, I went back to Japan, and about a year later, a Japanese friend of mine who lives over there told me that when he went back to Japan for the first time, he told me that Mr. N0 had thrown away Mr. Ojun’s work on the day of the bulky trash, and that he was going to throw it away. From “wow!

I: Awww!

O:
I said, “Oh, yeah, I gave it to him.” When we were close, I said, “Mr. n0, isn’t that ojun’s painting?” He said he was going to throw it away.

I:
Oh, you survived?

O:

Yes, I survived

I:
That’s funny, I didn’t know that was going to happen

O:
It’s a funny story now, but it happened, but even though I was angry at the time, I realized that you really don’t know if you’re going to get on someone’s nerves or if you don’t like something.

I:
I don’t know, but he must have had a problem with it, and he’s probably someone I wouldn’t be able to be with.

O:
Ah…

I:
Probably.

O:
It must be very difficult to make a living together, that’s why you are a solitary musician, but I realized that you really don’t know people…

I:
Hmmm… I guess so…

O:
I don’t mean good people or bad people, I just think that you don’t understand people.

I:
I think it’s probably true

O: Right

I:
No one is doing anything wrong

O:
I: I know… I asked him what he was afraid of the most… at Lake Constance… at that hotel… at that hotel… at that hotel… at that hotel… at that hotel… at that hotel

I:
I: Yeah…

O:
I thought I misheard him, but he said he was afraid of a bowl of rice. Donburi means a bowl of rice topped with chicken and eggs or a bowl of rice topped with tempura, and I said why, because as you eat more and more, you start to sink the bowl, and the bowl gets in front of your face, and you can’t see what’s in front, and that scares me.

I:
I don’t understand at all.

O:
That’s why she said that eating with a bowl is the worst thing for her.

I:
I don’t understand

O: I don’t know:
You don’t know, do you? So even at that time, I thought he was strange…

I:
W

O:
I mean, what frightens or bothers you about a person is something that only that person can really understand. I don’t know why… now… yes, that’s what I was talking about…

I:
That’s so interesting!

O:
I: I know…

I:
Okay, last but not least, can you tell us a ghost story about yourself that ojun knows?

O:
Ghost story…

I:
Any story is fine, just one

O:
Well, the most recent one… that’s the one I dreamed about, so there’s one that scares me… I had a cat 12 years ago now, lived for 22 years, I think…

I:
Well, he lived about as long as a human being.

O:
A few months before he passed away, I went to Argentina for an overseas training program of Agency for Cultural Affairs, and he was fine then. The next day, he couldn’t walk like he had lost his back, but when I thought about it, he was over 100 years old. I was sleeping in my bedroom, I was sleeping in the bedroom upstairs, my wife and I were sleeping, it was already midnight, my daughter was there, she was still little, she was in the front room, she never wakes up after sleeping, so she was sleeping all the time, then she came up the stairs, thumping, thumping, thumping, thumping, thumping, thumping. I don’t know what it is, but there’s something there. I thought it might be a mud thief, and I unintentionally let out a cry of “who is it? I don’t know, but she said, “Thank you.” She said, “I can’t see anything through the door, but I think there is something there.

I:
A ghost story… Thank you very much!

O:
It’s just the right story to end on.

I: O: Thank you very much for your time today:
Thanks for today.

+

I’m trying to get closer to the picture

Inagibejevkomonowski.

+-

采访OJUN


画家OJUN出生在日本。 他还在北海道扎根。 他去了德国,最终回到了日本。 在把他的尸体埋在地下,并把香蕉放在他的头上后,他不知为何开始画画。 他画了杯子、花、电视、带铁球的人等等。 穿着炸弹马甲的人。 他曾画过船,等等。 他在东京艺术大学、艺术学校、Joshibi、东京Zokei任教,担任教授,教过很多人。 他是在教书,还是被教书,还是只是在那里? 他是在和大家一起玩吗? 采访岩永忠介。 我遇到的人是一个身材高大但干净的绅士,穿着阿罗哈衬衫和大靴子。 他像一个女孩一样瘦。 但像老妇人一样,他是一个大的、有皱纹的、新鲜的人。 他的腿很长。 一个气球。
现在是采访时间。

O: OJUN
I: 岩永忠介

O:
嗯,没有,但你没有像往常一样改变。

I:
不多,也许没有什么变化。

O:
你一点都没变。
你现在几岁了?

I:
40岁以上。

O:
超过40岁,嗯?

I:
我从19岁就认识你了。

O:
我明白了

I:
奥俊也认识我。

O:
这也难怪我变老了!

I:
这是正确的,你感到震惊,对吗?

O:
所以,你知道,你们是同学……你们也到了这个年龄,对吗?

I:
是的,是的,是的,我们是一样的。

O:
我明白了…

I:
奥钧对我来说更像一个父亲,哈哈,更像一个父亲。

O:
我:我没能做一件父亲的事,但是,嘿!我也没有。 {我:我不确定。}

I:
嗯,他在扮演各种人的父亲角色方面做得很好……

O:
不,不,不,不,不。

I:
我认为他的工作做得很好

O:
不~

I:
大家都说,乐队成员也像*1[成员板垣]东京的东京爸爸。

1[成员板垣]马米特里-尤利特皇后Yonagunisan的博士。 Yulith Lilith’, ‘Ippizan fairy tail chimidoro phenomenon satan Inferno dress ha cattlemurarete Yggdrasill hawasasaru’, ’25/12/2013′.

O:
‘东京的爸爸,东京的爸爸,你连偶尔见面的零用钱都没有’。

I:
没有,但我想我已经请大家吃了很久了……库库库。

O:
不,不,不,我还没有给你买很多食物…

I:
不,只是我已经被喂了很多。

O:
所以,现在岩永忠介在佐贺做着生意,是一种大生意,对吗?

I:
是的,一个企业。

O:是的,这就对了。
嗯,我不知道,我不在那种东西周围,所以我很难想象……

I:
嗯…

O:
例如,现在经常有这样的项目,艺术家用艺术安排酒店房间,等等。

I:
是的。

O:
你拥有这个房间本身,不是吗? 你创造了它。

I:
这座建筑,是的。

O:
你现在在做多少种不同的事情? 首先,作为一个作家?

I:
嗯,首先,我是一个餐馆老板,我做饭。

O:
什么,你做饭?

I:
我每天都做饭,我在学习做饭,我想做饭….

O:
不,嗯…

I:
建设,我在建设。

O:
你做建筑。

I:
我做的是土木工程,民用工程,公共工程。

O:
我做的是公共工程。

I:
而我做的是餐馆。

O:
是的。

I:
酒店,我经营一家酒店。

O:
哈!

I:
而一家精选店即将开业

O:
也是一个新的地方

I:
不,在同一个地方*2[在一个大建筑物里]。

2 [在一个大建筑里],genius loci是佐贺县有田市山区的一个建筑群,包括kinbosi/emerald/abyss/ammonite酒店。 阿莫尼特酒店是一家安静的设计酒店,受到来自世界各地的旅行者的喜爱。

O:
哈,马上就要到了,是的。

I:
我现在正在努力工作,所以我在做器皿,我在做器皿,我在做衣服……。

O:
我在做陶器,我在做衣服。

I:
我在做衣服,我在做家具,我在做家具和…

O:
哦,你是说一切,食物、衣服、住所……。

I:
所有这些,是的,而且我做的是房子。

O:
我也造房子,我指的是人类生活和生命中的一切。

I:
是的,这是正确的。

O:
对。

I:
是的,我想我正在做所有这些事情。 这很难,但我正在做。

O:
哈!

I:
因此,我们将在8月开设*3[艺术博物馆]。

隶属于*3[艺术博物馆]”genius loci “的当代艺术博物馆 “深渊”,纯粹是作为一个接触绘画的空间而创造的。 在自然光下观看。 旨在涵盖阴和阳。 大型水平玻璃和植物集群。 光明的空间和黑暗的走廊是通过光来循环的。 阴中有阳,阳中有阴。 它在建筑中被象征和循环为一个旋转的漩涡。 2021/8/21 仓田佐藤 / 《晚安》,展览在阳间,影子部分不对公众开放。 设计者:岩永忠介(Tadasuke Iwanaga)。

O:
我在《传奇》中都是这样做的。

I:
这一切都在佐贺,对,在同一个地方,对,在同一个地方。 所以…

O:
有趣的是。

I:
所以,我们有不同的人在那里展示他们的作品,在那个时候,我们主要是想留下一些东西,你知道,所以……。

O:
留下一些东西。

I:
我想记录我所做的事情,而不仅仅是说 “我很高兴我做到了”。

[移动电话响]

O:
我要把它抹去一下。

I:
我想我已经看到很多东西都消失了,所以…

O:
你想保留它,这很有意思,你想保留它,这很有意思

I:
关于奥军也有很多有趣的故事,但它们只是在我的记忆中,它们只是在我的记忆中,所以这不仅仅是关于奥军的故事。

O:
不,不…

I:
曾几何时,每个人都有有趣的事情要说,曾几何时,有有趣的风景,然后它们从城市中消失了,人们也消失了。

O:
嗯,”留下 “这个词也是真正触动我的东西。

I:
这使我感到与你非常接近……

O:
好吧,如果你画了一幅画,你就把它留下来…

I:
它留下来了,不是吗?

O:
但是,比如说,有岩永忠介画的画,岩永忠介画的画要么在他手里,要么在某个地方……。

I:
是的,是的

O:
因此,例如,我从来没有在展览上或在他的工作室里看到过他们,就在他画完之后或在他把它们带到某个地方之前……

I:
我已经看到了,是的,是的。

O:
O:我们在国家国际画廊一起做了一个展览,当时我又看到了他们,在画廊看到了他们,但现在即使我想看也不能马上看到他们,但当时他们给我留下了非常深刻的印象,他们仍然在我脑海中。 但是当我真正看到它们的时候,可能有很多错误和遗漏的东西,所以我必须再看一遍,这就是为什么如果有遗漏的东西我可以这样做。

4 国家艺术博物馆,大阪。 一个巨大的博物馆,收集了来自世界各地的作品。 该博物馆位于大阪市北区中之岛,由独立行政机构国家艺术博物馆管辖。 馆藏主要由二战后日本和国外的当代艺术组成。 它成立于1977年。 该博物馆最初位于大阪吹田的70年世博会纪念公园内,但在2004年搬到了现在的位置。它是一个完全的地下博物馆,这在全世界都是罕见的,其建筑的灵感来自于竹子的活力和当代艺术的发展和成长。

*5[画廊] 世界上有各种画廊。 东京。 画家们通过从一个画廊到另一个画廊来展示他们的作品。 收藏家和艺术家们参观这样的地方,渐渐地,形成了一套作品。 一点一点,在世界的一个角落。

I:
这就对了。

O:
是的,所以我想再次看到它,因为如果它仍然存在,我可以再次看到它……。

I:
是的,这是正确的…

O:
所以我认为这是非常有意义的,我们正在努力做的事情…

I:
我只能从留下的东西中学习,所以我只能从我认识的人说的东西中学习,这非常小,但很重要,但我只能看到远处的人在做什么,当它被留下时,所以我离他们很近,所以。 我常常因为不必留下任何东西而感到欣慰,所以我倾向于偷工减料,我真的这么认为。

O:
是的,这也发生在我身上。

I:
我没有注意到。 几年前我开始意识到,可能有很多东西我应该留下,因为它们离我很近……

O:
那时候你就开始了自己的创业,就像现在这样?

I:
嗯,是的,可能是的,可能只是照片,因为我在做的时候好像只做了照片,所以有一个巨大的断层……。

O:
嗯…

I:
我:我想我不能生活在那个世界里,所以我把所有的东西都投入到艺术中,那是一段很长的时间,我开始想,我必须遇到越来越多的人,我不能和我不能说话的人说话。 所以我想认识越来越多我无法交谈的人,我想对各种人都心存感激,因为我对他们有很多仇恨。

O:
哇。

I:
这将是我的故事,哈哈。

O:
我明白了

I:
但我认为你已经长大了,但没有到那种程度

O:
我很惊讶从岩永本人那里听到这样的谈话,但在那时,即使他没有用语言表达出来,他所要做的事情中总是有一种力量或精神的感觉。

*6 1999~2010年左右的东京景色。 世界杯开始了。 Hyodor出现了。 在新宿甲马剧场前,一片混乱,北岛三郎大摇大摆地走着。 流浪者继续唱着关于世界末日的歌曲。 一个赤身裸体的老流浪汉统治着皇后,并在一个pachiya的自动门前跳舞。 液体室的螺旋形楼梯的地板实际上是起伏的,有一个上升的门洞通向无间天堂。 互联网曙光初现,网游瘸子的数量增加。 尽管如此,有趣和不分类的文化仍然比比皆是。 城市里到处都是摩托车。 有很多人拿着乐器,工人们欢快地上下班,樱花总是盛开着。 在西东京,总有日落。 Asahi来自东部的Inubozaki。 奥梅公路继续向大久津前进,那里有石灰岩洞穴。 Suikinkutsu停止了时间,城市充满了精神和龙。 这座位于大水面上的城市,从风之街的时代开始,就一点一点地发生了变化。 江户的心脏也在这里一点点,睡在公园里。 画家们继续画画。

I:
我想是的。

O:
而他们所要做的事情在我看来是很强烈的,不光是画,还有你的*7[此处写上字],还有那种东西,真的很偏,但还是在那里,还是在那里。 我所说的 “保持 “的意思是,在身体上它们保持着,但当它们进入身体时,它们要经过身体,所以身体成为一个过滤器,各种东西通过它被选择和抛弃。 因此,岩永忠志的图片、文字和信件只是碎片,但它们的存在是一个极其罕见的案例,不是吗?

7 [以这种方式写的字]2004年左右,岩永在一篇文字上写下了一个梦境般的场景。 原件没有留下,目前下落不明。 一个可能只存在于OJUN、岩永本人或其他少数人记忆中的文本。 关于俯瞰采石场的弯曲道路的景观的文字。 Taapamin。

I:
是这样吗?

O:
没有多少人,是不是,这就是为什么你必须非常强大,因为你现在做了很多不同的事情,你在做一个非常全面的、综合的、大的事情,当然你在研究很多不同的东西,但是你已经有那个深度和力量。 我想从你19岁开始就有一些东西给你留下了深刻印象,不是吗?

I:
我认为有一种有趣的感觉,因为我来自农村,我觉得自己是个外国人,即使在东京,我也穿得像个肮脏的僵尸。

8 [来自农村]在许多方面的文化断裂。 在音乐、艺术、思想、文化、旧世界和新世界之间发生激烈文化冲突的时期。 文化的断裂,使旧世界分离。 旧世界将永远存在,并试图加以制约。 新世界总是试图诞生,但却不断逃脱囚禁。 在互联网还没有出现的时候,黑暗的约束力越来越强。 美丽的风景和黑暗是刺眼的明亮和黑暗,对感官的刺激很大。

9 [白纸接头] 1999年,这是在新宿关道商店出售的纸制连体衣。 它是自由尺寸的,低矮的,轻薄的,纯白色的。 只适合弄脏的衣服。

O:
是的,是的,是的,是的,那是纸张拼接。

I:
它的材质与世贸10号店出售的最便宜、最肮脏的口罩相同。

该公司的总部位于东京新宿,专门从事艺术材料和文具。该公司成立于1940年,1947年更名为Sekaido,并于1969年在池袋Parco开设分店,至今在池袋、立川和东京的其他地方以及神奈川和爱知县都有分店。 它拥有巨大的艺术材料、漫画用品、文具和绘画用品的选择。 大多数商品都有折扣,通常是20%,但如果你注册了 “Saikyodo ST卡”,你可以获得额外的7%的积分,你可以在下次购物时使用。 世界贸易中心ST卡的加入费用为500日元,有效期为两年。因其副本 “蒙娜丽莎感到惊讶 “而闻名。 商店的招牌和世贸中心CB卡上有一幅达芬奇的 “蒙娜丽莎 “插图,她张着嘴表示惊讶。 该店已成为新宿三丁目的一个地标,也被称为 “艺术的圣地”。 再往前走一点就是新宿艺术学院。对于准备参加艺术高考的艺术生来说,这里就像一个虎穴,艺术生经常在这里流连忘返,在泥泞中学习。 他的许多作品来自于在Sekaido购买的艺术材料。 世界大厅几乎是岩永的家。 他们甚至在现场剪纸和卖纸。 纸张种类繁多,你可以从样本中选择。 当时在顶楼附近有装饰框架出售,但我从未在那里见过任何人。

O:
是的,是的,是的,就像无纺布,你怎么称呼它……面具材料,我只有大约两件衣服,大约两年时间里我从未穿过任何其他衣服

O:
我以为是那件白大褂,但不是?

I:
是的,那是一件纸袍,我一年四季都住在纸袍里,我只有这两件衣服。

O:
是这样吗?

I:
我住在所有这些地方,我在飞机上飞行,还有其他一切,我感觉我处于危险之中,我感觉我处于危险之中,我感觉我处于危险之中。

*11[都染上了油漆的颜色]它从未被洗过,因为一洗就会撕裂。 岩永在画画时总是戴着它,几乎所有外出的时候,她都戴着努诺。 自然,因为它是纸,所以它到处都是破损。 撕裂的部分用安全别针连接起来进行了修复。 裆部和身体的其他部分被用安全别针覆盖,因为它们被密集地打断。 安全别针经常脱落并扎入皮肤。

O:
这很危险–如果你是19岁,在飞机上穿成这样,那就有点……。

I:
如果是现在,我就不能再做了,当我走动的时候,我听到了声音,声音从各个地方传来。

O:
对吗?

I:
就在那个时候,我和奥军上了第一节课,我记得奥军真的对我大发雷霆,那是第一次。 o: o: o: o: o: o: o: o: o: o: o: o: o)

O:
这是正确的,我什么都没做。

I:
这真的很有趣。

O:
他只是来回徘徊,来回徘徊,来回徘徊,来回徘徊,看起来像半裸,来回徘徊,什么都不做,尽管这是一个研讨会,你必须画很多图,尽管是千敲万击的图,他什么都不做。 他穿得像个流浪汉,我以为他是个疯子。

12 [绘图] 使用简单的线条和颜色快速绘图的行为。 像tableau一样,它需要即时的想法而不是精心的构造。 1999-2007年左右,OJUN在东京艺术大学开设了一个强调绘画的课程。 他可以说是绘画界的领军人物。 他把时间花在自由绘画上,寻找新的、从未见过的图片。 作为对从虚无中瞬间升起的生动形象的回报,由于自由,存在着虚无的危险。 如果它失败了,那就真的只能是垃圾了。 但作为一个画家,这是一个我不能不参与的领域。

I:
我相信你是对的…

O:
我想我必须投入一些精力,所以我说了一些话,比如*13[我当时很年轻]你到底在做什么!? (感叹)或类似的东西。

13[我当时很年轻]OJUN身材高大,体格健壮。 带着压迫感的装备。 1999年。

I:
是的是的是的。

O:
我不记得他说了什么,也不记得他回了什么,但他没有回什么话……比如……他甚至没有问……恩……。 就像…

I:
像’嗯’或类似的东西。

O:
然后大约半个月后,因为是一个月的课程,有一次批判会,批判会的前一天,我们看了所有学生画的画,一张一张的,像这样。 我一张一张地看着所有的画,我在看,有一个人的画很聪明,很巧妙,很可怕,它们只能被称为画,画…… 绘画不是一种简单的绘画风格,也不是一种西方风格,但它就像绘画本身。 它就像一个人身上的东西,就像背着 “画 “字的东西,就像这个人的整个身体,然后你说,”有一个伟大的人,”然后你说,”有一个伟大的人,”像BizReach,像 “0×1×2 “的商业广告,然后你说,”有一个伟大的人,”然后你说,”14。

1989-1992年从爱知艺术大学毕业后,他在德国杜塞尔多夫的艺术学院和1992-1994年在阿姆斯特丹的De Ateliers学习。 在欧洲游荡多年后,目前在日本生活和工作。 曾在印度的艺术节上展出。 黑暗画家。 黑暗中的画师。

I:
嘿。

O:
我说,”这很了不起,不是吗?”他说,”这是谁?”我说,”岩永忠介”,他说,”哦,是的”。

O:他说是他。
他说他当时根本没有画,我想,”这家伙真不可思议!”他说,”他做到了!”他说,”你父亲打出了全垒打。”我想,”这就对了!”。

I:
是的,是的,是的…

O:
当时,因为它被称为再入学考试,我们必须再做一次考试,抽签就是考试,我们决定谁通过,谁不通过,只有两个人通过,你知道……

I:
是的,是的,是的。

O:
而备用的…

I:
在这样的时候,有三个人被卷入其中,包括15个[野口君]。

他曾经在一家电子商店工作。 在这之前,他是一家音像店的店员。 在西海岸买了衣服。 有许多通灵经验。

O:
哦,是的,大约三个。

I:
这很好,这很有趣。

O:
这很有趣!

I:
它以愤怒开始,然后又以愤怒开始,我认为那是一个完美的流程。

O:这不像是 “梅洛斯大发雷霆”,但是……。

奔跑吧,梅洛斯》的第一部分/梅洛斯很愤怒。 他决定必须除掉这个邪恶而暴虐的国王。 梅洛斯不了解政治。 梅洛斯是一个乡村牧民。 他一生都在吹着笛子和玩弄他的羊群。 但他对邪恶比大多数人更敏感。……. 梅洛斯很生气。 2 “好一个国王!”。 我不会让他活着。” ・・・・・・・・・・ 新郎扭过头去,感到很尴尬。 梅洛斯笑着向村民们致意,然后从宴会上走开,把自己藏在羊圈里,像死了一样沉沉睡去。 / 奔跑的梅洛斯》一开始就很愤怒。

I:
这是一种对比,不是吗,W,真的。

O:
他说他就是那个得到诱饵的人。

I:
Kukukukukukuku!

O:
好吧,我和长谷川在翻白眼,我想让他知道我们有一个很好的,这就是我画这个的原因,但是我已经看到了很多这样的事情,我们也在做,所以我应该怎么说?

17 [浅井] 浅井出席。

I:
嘿,那是…

O:
就像你被反映在一切事物中……我很抱歉用这个比喻,但你沐浴在原子弹的光芒中,只有你的影子被反映出来……

I:
哦,我可能有这样的感觉,因为有的时候我无能为力……。

O:
不是说我在画什么,而是我所画的不是物体,而是已经被投射出来的东西,像绘画、绘画方式、流派之类的东西,它完全泛滥了。 我做了两年左右的兼职就辞职了,从2010年到2012年,我在大学教书,每年都要讲课……之后我看到很多有趣的学生,但我不知道投影的对象是这样的。 我见过很多有趣的学生,但我不认为有谁曾经产生过像这样的投影的东西。

I:
我明白了…

O:
我在想之后会怎么样,但他开始画得越来越多,但我想知道他是怎么画的,他画的是各种各样的东西,比如摩托车,你见过摩托车吗? 你看到我的摩托车了吗? (Asai.)

18 [岩永先生的摩托车?] 一辆越野车,xr250baja,改装得面目全非,整个车身涂满了油。 一辆自行车的怪物。 悬架、发动机和车架都进行了改装。 玻璃纤维就像一个生物的体毛。 喷漆的钢罐很美。 岩永忠介不能乘坐火车,所以他的所有旅程都使用这辆自行车。 即使是在台风天和下雪天。

I:
不,我没有阿萨伊。

O:
不再有自行车…

I:
不,有(摩托车)…

O:
你有吗?

I:
我可能还没有给你看过

O:
这真是令人惊讶。

I:
它现在还在那里。

O:
它还在那里! 你肯定要留着这个!

I:
你必须保留它!

O:
你必须保留它,它被涂满了整个自行车,这是一辆怪物自行车。

I:
是的,它是,不是吗?

O:
另一方面,他也画漫画,所以他是一个不受绘画方式限制的人。

I:
我明白了。

O:
不过,他的同学们,很多人都很有才华。

I:
嗯……可能是这样的。

O:
如果她再好一点,她真的会很快出现在这个世界上。 还有那个有趣的人,他真的很会画画。

19 [Fumiko Kobayashi] *Fumiko Kobayashi / 坐在一个黑色的帐篷里,里面堆着腐烂的生鸡蛋和成堆的垃圾。 喜欢的艺术。 在她剧烈的活动中倒下了。 岩永当时给了她一张独角兽的照片。 OJUN为小林的艺术书贡献了一篇文字。

I:
也许那是一个有很多人画得很辛苦的时代。

O:
有许多不同的类型,但在那一学年有许多杰出的人。

I:
真的,大学真的很有趣

O:
有趣的是!

I:
对我来说真的很有趣!

O:
然后在那之后,你就到了博士那里,对吗?

I:
是的,这很有趣,真的很有趣,每天都很有趣。

O:
但即使在我成为医生之后,我写的论文仍然在教授们中间被经常谈论。

20 [That exposition] 博士学位论文。 其中有一些段落描述了岩永的神秘经历。

I:
哦,这已经成为一个问题了!

O:
有人提到,Geidai现在承认那种东西是一种论文,在其他大学可能不同,但在我们大学,它被认为是你自己写的东西,所以我们必须…

I:
我想听听奥琼的情况。

O:
我还是和以前一样…没有什么变化…

I:
不,不,我可以问你我想问的问题吗? 好吧,我想起了之前的一些事情……一些典型的奥钧的事情……。

O:什么?
什么?

I:
与其说是赞美之词,不如说你只记得别人对你说的那些你不喜欢的话,对吗?

O:
Heh heh heh.

I:
有件事我已经说了很久了。

O:
什么,我?

I:
是的,你对坏事的记忆多于对好事的记忆。

O:对,对..:
只要想起尴尬或不愉快的事情,我就会生气,脸色发红,想逃到什么地方去。

I:
你会生气,对吗?

O:
不,我想这是因为我被戳中的次数最多,我想这是因为我的目标很准。

I:
我:而且……我今天看到奥钧的第一反应是……。

O:
我很高兴…

I:
21 [认为他看起来真的很健康]。

*21[认为他看起来健康得惊人]2021年夏天,当科罗纳处于巅峰时期。 对外出的限制持续了很长一段时间。 一种令人恐惧的病毒。 许多人因压力过大而得了精神病。

O:
哦,嗯…

I:
在某种程度上,我想知道它是否与此类似,每个人的处境越困难,他们就越好,就像这样。

O:
嗯,这确实有一点个性特征。

I:
我以为你看起来精神很好。

O:
阪神大地震后确实如此,这是个可怕的故事,但东北大地震后也是如此,之后,纽约911灾难后也是如此,每当世界上有灾难时,我就觉得在混乱中思考各种问题,创作和画出各种东西。 我想思考各种各样的事情,制作和绘制各种各样的东西……。

22 [阪神大地震] 1995年1月17日发生的地震。 火灾,M7.3。

*23[东北地震] 发生在2011年3月11日14:46:18.1。 海啸来袭。 福岛第一核电站发生熔毁。 俗称3.11。

*24 [9.11在纽约] 一架飞机撞向纽约世界贸易中心的恐怖袭击。 中东地区爆发战争。

I:
嘿。

O:
当人们正在遭受这样的痛苦或处于困难时期时。

I:
是的,我有这样的感觉。

O:
我:是的。

I:
但是,嗯,直接处理它,转移它,画它呢?

O:
是的,我有,但不是直接的,嗯,你知道……。

I:
有时你会直接这样做。

O:
我:对,对…

I:
有时–我也认为这很有趣

O:
好吧,我基本上是在绘画的世界里工作,所以即使我画的东西看起来像这样,只要我把它画在这里,它就可以转移或颠倒过来,这就是为什么我不能直接画它。 如果按原样画,或者用某种方式表达,就不会很有趣,但它总是会翻过来或倒过去,形状会有一些变化或变形。 有些人称它为转变,但我觉得它是一种交换。

I:
交流。

O:
例如,100日元可以买一些巧克力。100日元和巧克力其实并不相配,不是吗?

I:
这只是粉碎的铁和可可。

O:
但我们必须彼此暂时同意这样的安排,我们可以使用货币,货币就是经济,我们可以使用货币来交换东西,这原本是通过易货贸易进行的,但易货贸易仍然是一个完全不同的事情。 以物易物的逻辑与艺术的逻辑相当相似,这也是我们正在做的事情。

I. 有趣的。
有意思,我以前从来没有听说过这个,这就像炼金术,就像等价交换,这有点像炼金术的想法。

25[炼金术] 赫尔墨斯-特里斯梅格斯是炼金术的创始人,被认为是炼金术的守护神。 赫耳墨斯的文件是归于赫耳墨斯-特里斯梅格斯(意为三重伟大的赫耳墨斯)的文件,据说其数量超过3万册。 荣格写了一本名为《心理学与炼金术》的书。 荣格从这本书中得到的主要观点是,炼金术(以及所有神秘主义)实际上是以 “对立面的结合 “为目标。 被称为科学家的牛顿也是一位炼金术士。 牛顿的许多关于炼金术的书籍毁于一场实验室大火,而他作为一个炼金术士的成就被认为比今天已知的成就要大。 经济学家凯恩斯说,”牛顿不是理性时代的第一人,而是最后的魔术师”。▲ 埃及人、苏美尔人和超古代人之间的关系。

O:
是的,是的,是的。

I:
从未听说过。

O:
不是吗?

I:
嗯……这是一个我从未在图片故事中听到的词。

O:
我想这是因为它听起来索然无味,当我想到转变时,我认为它是一种转移,但它更像是一种交换,更像是一种即时的交换。

I:
这听起来像是一种精神交流。

O:
哦,我明白了。

I:
转换是一种东西,在很多地方,可以看到的东西的交换很容易被想象成可以看到的东西的交换,但是交换不能看到的东西,它是一种东西。

O:O:我明白了。
但我认为,岩永先生所做的一切,你现在所做的一切,以及你到现在为止所画的所有画,都是一样的。

I:
是的,我认为可能是这样的。

O:
你在交换它们。

I:
是的,交换 你用你的灵魂来交换什么呢?

O:
是的,我想我要用它来换取各种各样的东西

I:
我认为他们在用它换……嗯,我知道他们在用它换……。

O:
例如,当它被植入我的脑海中,当它被刻在我的脑海中,这意味着它正在与我的记忆进行交换,我正在做这件事。

I:
是的,这很有趣。

O:
是的,是的…

I:
你有没有谈论过你的画? 这就像他在说话,但他以前从未说过话。

O:
是的,这就对了,看起来我在说话,但实际上我没有。

I:
感觉是这样的,不是吗?

O:
你说得越多,你就越不容易通过。

I:
我想这就是好画家的情况,我想这就是好画家的情况。

O:
事情就是这样的,不是吗?

I:
我可以谈论整个事情,但当涉及到我自己时…

O:
这就对了,这就对了

I:
我可以谈论整个事情,但当涉及到我自己的东西时,我不能看,是吗?

O:
你不能看它!是的,你是对的,你是对的。

I:
我:你不能回头看,你知道…

O:
这句话太对了,太对了!

I:
也许这不是你应该回顾的事情

O:
我想我们不应该去找其他地方。

I:
这很勇敢,但这很勇敢,我认为这将使你付出代价。

O:
有时我回头看我以前的工作,我想知道它是否像这样……

I:
你认为你的旧作如何?

O:
嗯…

I:
很久以前…

O:
我在处理一些很久以前的作品时遇到了麻烦,那时候我才二十几岁或者三十出头……我有一幅大画,那天我打算把它放进超大的垃圾桶里……但是。

I:
那是一种浪费,不是吗?

O:
嗯,有人叫我等一下,所以我在等,但即使等也没有办法,所以我在想该怎么办……但你看,我把所有东西都存放在我高中时的朋友家里,所以我现在没有工作室,完全……。

I:
哦,我明白了…

O:
我有自己的工作室,但由于某些原因,我目前没有自己的工作室,因为我的女儿和她的家人都住在一个屋檐下,所以这是一个大家庭。 我在未来三个月有一个展览,所以我在想我应该怎么做……我有一个高中的朋友,他在那里有我的作品,所以我想我应该把它移动一下。 我正在考虑这样做,但有一个人叫宫岛,对吗?

26 [宫岛先生]是宫岛洋一。 画家和OJUN的朋友。 我们认识很久了,在德国的时候就在一起了。 几十年来,他一直在制作单色油画–六道街、鸡等等。 沙井。 例如,他曾画过鳗鱼的尾巴。 他说他不相信荣格,并否认曾目睹过UFO。 他在东京国立美术和音乐大学做兼职学生时认识了岩永。

I:
是的,是的,我知道你的意思。

O:
为什么那里有这么多宫岛先生的画……?

I:
出于某种原因……哈哈

O:
还有宫岛的画…

I:
我画了很多你的照片,宫岛先生。

O:
是的,我现在有点病,如果我重新整理一下,就会有大约三个榻榻米的空间,所以我想8月份在那里工作。 我有时会去那里重新整理,但在Gokaichi,有我以前画的画,它们不是好画,但… 我觉得我不能再画了。

I:
我明白了,所以你再也不能画画了。

O:
嗯,我觉得我只能在那个时候画出来,虽然我在20年或30年后不会再出现,但如果我在5年或10年后还活着,我对我现在画的东西也会有同样的感觉。

I:
我只能说我有感觉,但我认为有些东西虽然不是好照片,但也是好的。

O:
因此,这不是关于它的好坏,不是关于它是一张好照片还是一张坏照片,它只是一个非常小的屁股标准……

I:
这就是我的感觉。

O:是的。
这就像一个标记,你在那个时候画了它。

I:
是的,我想是的。

O:
我认为如果像这样清楚地标明就足够了。

I:
是的,如果再宽一点,会更有意思。
Zzz… (喝下饮料的声音)
我不需要在内容的质量或类似的事情上太过努力。

O:
是的,但是你知道,当我40岁左右的时候,我仍然不能像那样思考。

I:
这就是我的想法。

O:
这对我来说有点早,不是吗,当我40岁以上的时候…

I:
我想让它变得更好

O:
是的,是的,是的,我想要更多,我不能这样看,而且是最近才看到。

I:
嗯,我觉得越来越好,我觉得我越来越好,我觉得我越来越好,也许,但是,是的,当然。
Zzz… (男人喝下饮料的声音)

O:
这是一个相当大的壮举。

I:
我也会扔掉我以前做的东西,这听起来像是我在说反话,但这并不是说我保留东西是因为它们好还是扔掉它们是因为它们不好,而是如果里面有我不想保留的东西,那我就扔掉,但这个标准不是因为内容好。

O:
不,不是的。

I:
如果它所包含的内容是由我不理解的东西所描绘的,那么我就把它扔掉,因为我认为它是没有意义的。

O:
是的。

I:
我不认为扔掉它们是错的

O:
是的,我想是的

I:
我认为至少要决定保留什么是可以的

O:
啊,你是对的,这是个有趣的说法,扔掉东西是可以接受的。

I:
这很好…哈哈哈…

O:
嗯,我正在写一些东西,我不知道在日本是否也是这样,但在东欧国家和俄罗斯,当政府发生变化时,过去作为象征的雕像都被推翻或扔掉了…

I:
27*[列宁]的…

*27[列宁] 弗拉基米尔-伊里奇-列宁(俄语:Влади́мир Ильи́ч Ле́нин;1870年4月22日1924年1月21日)是俄罗斯革命家、政治家和哲学家。 他是俄罗斯苏维埃共和国和苏联的第一位领导人(人民委员大会主席)。 列宁 “是他的笔名;他的真名是弗拉基米尔-伊里奇-乌里扬诺夫(俄语:Влади́мир Ильи́ч Улья́нов)。 他是俄罗斯社会民主工党布尔什维克派的领导人,1917年十月革命成功后,他建立了第一个社会主义国家–俄罗斯苏维埃联邦社会主义共和国,并成为其行政部门–人民委员大会的主席。1919年,他取代第二国际–共产党 1919年,他领导成立了共产国际,作为一个国际政党组织,后来在1922年领导成立了苏联,在国内担任政府首脑(苏联人民委员会主席)的职务,直到1924年去世。 作为一个马克思主义者,他写了从政治和经济分析到哲学的各种作品,他的思想作为列宁主义得到了继承。

O:
通常情况下,当这样的事情发生时,它将立即成为一个事件,但它没有成为这样的事件。

I:
不,它没有。

O:
不,它没有。

I:
我觉得它是悄悄地完成的。

O:
所以,这不是关于扔东西或不扔东西的问题,也不是关于它是好是坏的问题,只是在那个时候,当你打破东西的时候,你不是在寻找打破它的道德,你不是说打破它是错误的,你只是说,你打破它是为了打破它。 这并不是说打碎东西是错的,而是说为了打碎东西而打碎东西是有道理的。

I:
是的。

O:
我写的是在图片的情况下是怎样的。

I:
嗯,我明白了…

O:
我还没有写完呢……

I:
嗯…

O:嗯..:
说到绘画,如果我不得不剪掉或撕掉这样的东西,就有点像被砍掉的时候,所谓的破坏,反而往往是偷来的,不是吗? 图片…

I:
我从来没有被偷过任何东西。

O:
不,我只被偷过一次画,但经常有人的毕加索画被偷。

I:
我:是的…

O:
然后,几十年后,他们从某个仓库出来……我认为这很有趣……

I:
我明白了…

O:
O:你可以推倒一座雕像,把它翻过来扔进海里,但对于一幅画来说,你把它作为一个替代品偷出来,然后把它藏起来,不让我们看到。

I:
图片经常被藏起来,不是吗,在人们的仓库里,永远不会被公众看到?

O:
是的,这是真的,这是真的,这是真的,这是真的。

I:
这种情况一直在发生,你甚至不能再看到他们。

O:
你把它留在里面–你当然会这样做,不是吗?

I:
但后来,有时他们会出来。

*28[有时]隐藏的佛陀和Gokaicho之间的关系。 Hibutsu指的是因宗教原因不对公众开放的佛像,被供奉在厨房等地方的门关闭。 将原本是供奉的偶像的佛像放在封闭的厨房或其他类似设施中,并将其指定为 “Hibutsu”,这种做法在东亚佛教界,尤其是在日本,是一个特别突出的现象。 在日本,许多著名寺庙的主像被认为是隐藏的佛像,在民间信仰支持的寺庙主像中也有许多隐藏的佛像,如日本西部的33个圣地的寺庙,以及其他寺庙和圣地。 隐秘佛像的例子:法隆寺云殿本尊菩萨立观音(救世观音)–云殿是法隆寺东院的中央大厅,建于圣德太子所建的嵯峨宫遗址。 大厅中央厨房里供奉的救世观音像是飞鸟时期的木雕,据说是圣德太子的遗体,但根据各种历史资料,它在平安时代后期(12世纪末)已经被认为是一尊秘密佛。 根据流行的说法,1884年(也是1886年),冈仓角三(天心,日本艺术教育和艺术史研究的先驱)和欧内斯特-费诺罗萨(美国哲学家和艺术史学家)访问了法隆寺,不顾寺庙祭司的反对,打开了厨房的门,几百年来第一次露出了观音的雕像。

O:
是的,是的,是的,是的!

I:
是的,时间是一个伟大的东西,因为它是一个非常长的时间,一幅画的寿命,我经常思考这个问题。

O:
嗯,这很有趣,我们谈论绘画,我们谈论制作雕塑,但我们不谈论它的消失,我们不谈论扔掉它……

I:
我们不这样做,我们不这样做。

O:
这很有意思。

I:
这很有趣–比如说,…
Zzz… {我:这很有趣。}
嗯,你知道,它可以消失,也可以出来,我们创造的东西,其寿命比奥军在这里的时间还要长,所以这有点奇怪,不是吗?

O:
我会做的。

I:
这非常奇怪,不是吗?

O:
你认为是这样吗? 我就知道!

I:
我觉得这很奇怪……我的意思是,我在现代,但我不生活在现代……我的意思是,在绘画方面,我不生活在现在……我的意思是,我确实生活在现在,但是……。

O:
是的,是的,是的,是的,我明白。

I:
你明白吗?

O:
我知道,是的,是的,是的,是的。

I:
我一直都有这样的想法,从一开始我就开始画画。

O:
哦,是的。
{我要喝完我的饮料。}

I:
我从一开始就知道这一点。

O:
从那时起?

I:
是的,这时我想到了这个问题。

O:
从你穿那件白色的薄薄的东西时开始?

I:
从那时起,我一直在思考这个问题

O:
这就是为什么她画得那么好……

I:
但是你知道,我不知道我是否说错了,但在那时,我是… 对人… 我说,画画不是给活人看的,我当时就是这么说的,然后他就用一种非常讨厌的、不愉快的方式说了。

O:
哦,是的,来自某人…

I:
我想我不应该这么说,但是那个人,嗯,我不是不喜欢她说的话,但是她说这是为了活人,她是个女人,但是。

O:
哦…

I:
我不知道哪个更好… …是对那些仍然活着的人还是…

O:
例如,当我在画画时,突然想到这个人,我把它拿给他们看,他们会怎么说?

I:
从我的角度来看,这是给活着的人的东西。

O:
是的。

I:
是的,即使是对死人,因为当我看到死人的画,我可以理解他们。

O:
是的,就像看29号[梵高]、30号[塞尚]、31号[马奈]的画,等等。

*29[梵高] 文森特-威廉-梵高(1853年3月30日-1890年7月29日)是一位荷兰后印象派画家。他画了精确的油画。

*30 [塞尚] 保罗-塞尚(1839年1月19日-1906年10月23日)是一位法国画家。 他探索了一种原创的绘画风格,不受传统绘画的承诺约束。 他经常被作为后印象派画家出现,并对立体主义产生了重大影响。

*31[马奈] 爱德华-马奈(1832年1月23日-1883年4月30日)是19世纪的法国画家。 他画的是一个现代化的巴黎的场景和人物。

I:
我想知道我们是否能成为朋友。

O:
没错,所以当你看到一幅活着的人的画时感到惊叹,和看到一幅已经死去的人的画时感到惊叹是一样的。

I:
那么,你有没有觉得你希望这个人看到你的作品?

O:
有一些活着的人和一些死了的人,我想知道如果他们看到我,会看到什么。

I:
你认为这种想法是正常还是不正常?

O:
嗯,我想我对自己的画太有自知之明了,所以这并不是一个关于其他人的问题,而是我想给他们看我画的东西,我想让他们看到,我想这是一个非常强烈的潜在意图。

I:
Heh…

O:
但我不在公开场合说,因为我觉得人们很难看到我的底线,我想这就是我不说的原因,但有的人活着,有的人死了,但他们中没有几个人为我的工作付出过什么。 我不是指批评家,而是指那些对我的作品有所贡献的人。

I:
所以看起来并不像。

O:
嗯,这更像是一种简单的感觉…

I:
哦,你很天真,不是吗,奥俊?

O:
简单…

I:
这一定是一个伟大的功能…

O:
嗯,哇。

I:
Zuzu …… 嗯……嘿,这不是为世界上每个人准备的……。

O:
我不是为世界上所有的人画画,我不是为世界和平画画……。

I:
有一些人…

O:
有一些人。

I:
这很有趣…

O:
大约五个人,也许甚至没有十个人。

I:
即使有那么多的人…

O:
是的,是的,是的,是的,是的,是的

I:
但我不认为那是驱动力

O:
但是,是的,是的,是的,是的,如果它是一个动机,是的,是的,是的,是的。

I:
即使是这样的一个小团体也能走到一起

O:
这是一个很小很小的世界,但是一些人,不管是活着的还是死了的,给你说的话,他们看你的眼神,有某种力量和印象,是决定性的,所以它真的很大。 我想它一定很深。

I:
我不知道…我不知道那种情感…

O:
嗯,真的,是的,我的意思是,他们没有十个人……我是六个或七个人中的一个……其中之一

I:
嗯……好吧,我明白了……

O:
哦,是的,是的。

I:
但我很高兴听到这个消息,那种…

O:是的。
不是关于年龄或类似的东西…

I:
是啊…

O:是的。
我在画画的过程中遇到了一个人,不管这个人的年龄是多少,也在制作或画画,在某个地方,他们彼此接近,然后又变成了这样,但在那个时候,仍然有一种强烈的感觉,就是有*31[看到或被看到],你知道吗?

31[所见所闻]眼睛的记忆。 眼睛的交流。 眼睛的媒介。 一瞬间的永恒。

I:
它是精神上的–类似这样的东西。

O:
呜呜嗯。

I:
我感觉到灵性

O:
精神上的

I:
我感到它的渺小,或者说它的渺小,感到这一切的规模变得无关紧要……。

O:
我今天早些时候和他聊天,我说我现在画的画是一幅关于尺度问题的画,我想让他思考什么是大或小的标准……我正在画这种画,我准备在下周开始的*32[东京双年展]上展示它。 我把它提交给下周开始的第32届[东京双年展],我认为不是只有一个原创作品,而是有多个原创作品,虽然言语上有矛盾,但我认为有一些。

32 在东京举行的国际艺术节。

I:
是的。

O:
我一直在涉猎绘画,但我想也许我可以用它来尝试一些东西,比如说比例的问题或其他什么……

I:
那是…

O:那是..:
我认为,对于距离和这种事情,没有任何标准或准则…

I:
这样可以吗……嗯,不,这更像是正常的……

O:
嗯,对我们来说,这很正常,不是吗?

I:
这对我们来说很正常…

O:
哦,是的…

I:
对于不了解它和没有想过它的人来说,这是一个奇怪的故事,但我认为如果你做得对,这是一个正常的故事……

O:
这就对了,这就对了……

I:
例如,你可能会从一开始就考虑到…

O:
嗯,你知道,我19岁的时候就在做这个,嘿嘿嘿嘿。

I:
你做了吗? 你在什么意义上做了?

O:
你知道…

I:
你是说你在做一件大事吗?

O:
是的,是的

I:
有一段时间,我做的东西异常大,我画了33幅[相当于整个房间大小的画]。

33 [与整个房间差不多大的画] 一幅画大到工作室相当大,但房间却被画覆盖。 它是在地上用纸铺开进行的。 炭笔画。 鬼使神差。 一个闪闪发光的空间。 一种被拉出非世俗世界的感觉,仿佛它被降低了。 像峰顶一样的东西在漂浮。 它被支在一个画架上,作为一种存在闯入空间,没有压力。 有些被捆绑起来,和朝日一起挂在空间里。 有些被埋在土里。 这些东西已经成为一个没有文字的世界的象征。 巨大但无形的小物体。 像声音的精神一样的物体。 他们充满了整个房间。 这个时期的岩永忠介的画作已经消失,几乎不存在了。 用即时照相机拍摄的几张照片也下落不明。

O:
*34[房间]说有些不对劲。

*34[房间]岩永自己的房间,这与他的工作室不同。 当时,岩永自己的房间完全是一个垃圾场,房间的水平已经上升到了进入房间后竞相上升的地步。 我不知道他是怎么做到的,但各种垃圾在房间里结合成了土壤。 我将对我的摩托车进行维修,并在上面撒满油。 他有时在室内作画,他的颜料和画作散落在各地。 唯一的生活空间是在睡眠区周围,空间是弯曲的,就像山洞的内部。 冰箱已经有10年没有开封,也没有插电。 里面是我在1999年到达东京时买的第一个苹果。 我离开这个房间时,冰箱被打开了,但苹果还在那里。

I:
长谷川先生,是的,可能。

O:
这个房间不再是一个真正的房间了。

I:
房间太小了,就像房间里有土一样……

O:
哇(笑)。

I:
房间里有污垢,不是吗?

O:
(笑)

I:
(笑) – 然后就被存放起来了

O:
这真令人吃惊。

I:
好吧,我试图不再这样做,因为它是如此粗糙,大约十年后,你在房间里有土壤,而微生物将其分解,所以……

O:
哇,我很惊讶它没有损害你的健康…

I:
是的,确实如此,不是吗?

O:
你做到了!

I:
我终于伤害了它,所以我想,这是不一样的,现在它是干净的,房间是惊人的。

O:
哇哦!

I:
嗯,这没什么,但它的规模,它的规模,嗯,房间也很有趣,但它是怎么回事,你知道,当我在大学时,我和奥琼同时在那里,他经常谈论规模,它的大小,我经常听到他谈论它。 我不知道我以前是否听说过这句话。

35 [仲西] 仲西夏之,(1935 – 2016)日本前卫和当代艺术家。 东京艺术大学的名誉教授。 乔希比艺术与设计大学的客座教授。 曾任仓敷科学和艺术大学教授。 他还致力于建立一所艺术学校。与岩永忠介和OJUN在艺术大学期间同时存在。 留了几句话,没怎么提就走了。 水平和垂直。 圈子和相邻关系。 他对整个世界进行了深刻的思考,并用自己的身体作画。 大和小可以相反。 他说,大或小是一个谜。 在吉卜力工作室的《Mimi wo Summaseba》中的Ibarade场景中,有一个场景讨论了事物的存在,即当它们离得很远时看起来更大,而当它们离得更近时则更小。 通常情况下,近在咫尺的事物看起来更大,远在天边的事物看起来更小。 仲西夏之也说了同样的话。 你之所以在我面前,是因为另一个你在这里。 你的花童之所以如此可爱,是因为还有一个来自另一个地方的花童也很可爱。 这个地球的存在是因为有另一个地球。 但我在这个地球上是孤独的,而这个地球上的所有事物和人也在虚拟的地球上。 我在地球的这一边,一只脚在我所接触的地球的另一边。 不是说我把脚移到那里,我就在这里,如果我把脚移到那里,我就在那里。 因为有一个垂直于边界的画布,所以我也必须这样做。 画布是边界本身,或者说它突破了边界,切断了两个理由,刹住了它们,使它们不至于重叠,同时看管着两者。 或者说,它确保了这两个理由的存在。 这就是加夫的真实立场,这就是为什么它是虚浮的,而我,必须对它作出回应,是虚浮的。
/Natsuyuki Nakanishi

O:
但你很好地理解了中西先生的意思,因为我根本听不懂他说的任何话。

I:
哦,我明白了。

O:
似乎有的人能够理解,有的人不能理解。

I:
你说的是很正常的事…

O:
我知道是这样……所以是这样……所以是这样……。

I:
但你现在所说的奥军的规模,与中西先生所说的也完全一样。

O:
哦,是这样的吗?

I:
仲西先生总是说,一张好照片是大是小并不重要,即使是小照片也有大照片。

O:
我想知道为什么他活着的时候我没有问他……。

I:
对…嘿嘿…

O:
尽管有些人即使在年轻时也能倾听你的意见……

I:
但我仍然认为奥军和中西先生的课真的很有趣……

O:
这不是一个真正的类,虽然…

I:
这两个人都不是一个阶层,他们完全不同。

O:
这就对了!

I:
当你不得不为自己考虑时,这很有趣。

O:
因此,我感到很不方便,因为直到去年,艺大大约有一半的课程在第一学期是在线的,但一两个月后,东京大学的课程开始了,东京大学比艺大更严格,要求我们完全在网上上课。 有人告诉我完全在网上做,所以我开始在网上做,起初我觉得非常不舒服,但后来我想了想,我意识到人们可以用铅笔在这么小的纸上画,他们可以用手画,而我看不到,或者说我无法近距离地看到它。 所以你可以画,只是因为你不能看,或者你不能近距离看,这对你来说不方便。

I:
这是个好故事。

O:
O:你经常像这样给我看,像这样,而且非常难看,所以我甚至不能看真实的东西,但是你做了真实的东西,你画了它,比我能看到真实的东西更重要,所以…… 我想这是一门实践课,所以我要设法让他们给我发一张最终结果的照片,但基本上,如果他们能画画,哪怕只是画画或玩玩,这就足够了……

I:
是的,是的…

O:
我想这是艺术的基础。

I:
是的,我也这么认为

O:
对吗?

I:
我想了想我最近知道的事情,或者说我想了想,因为我看到了很多例子,其中一个例子是,奥军在十多年前也说过,不仅是奥军,还有其他一些奥军,在举办维梅尔展览时,*36[维梅尔]的照片比我想象的要小很多。

36 [维梅尔]蓝色很美。 青金石。 一组被认为是世界上最有价值的绘画。 他一开始是个叙事画家,但最终从1656年的《取款人的女人》前后开始变成了一个风俗画家。 现存的作品数量很少,从32到37件不等。约翰内斯-维梅尔(荷兰:[joːˈɦɑnəs vərˈmeːr],1632。 10月31日?- 1675年12月15日)。 是尼德兰联邦共和国(荷兰)的一名画家,也是巴洛克时期的主要画家之一。 他的现实主义、细致的空间构图和对光线的表达。他父亲的姓氏沃斯(Vos)在英语中是指狐狸。 不知道为什么他的父亲将他的姓氏改为Van der Meer,也不知道为什么约翰内斯将其缩短为 “Vermeer”。 维梅尔的作品经常被盗。

O:
维梅尔,啊。

I:
有些人在谈论这个问题,奥军也提到了这个问题

O:
啊!

I:
我是说,它非常小,但很好……还有另一个Moomin角色……是什么,Moomin……

O:*37 [Tove Jansson]?

37 [Tove Jansson] Tove Marika Jansson [tuːve mariːka jɑːnsɔn] 1914年8月9日-2001年6月27日)是一位讲瑞典语的瑞典裔女性。 6月27日)是瑞典-芬兰画家、小说家和儿童文学作家。 姆明系列的作者。 姆明夫妇是可爱的人物,但他们的故事却相当黑暗。 当姆明的受欢迎程度给布莱迪萨岛带来更多的记者和粉丝时,他在克鲁夫岛上建了一个小屋,并搬到那里。 她的夏天在克鲁夫岛度过,冬天在赫尔辛基的工作室度过。 她在海里玩耍的许多照片得以保存。

I:
是的,在熊本有一个她的原画展,当我看到它们时,它们和这个一样小,不是吗?

O:
哦,这就对了!

I:
是的,大约是这个大小,大约是500日元硬币的大小。

O:是的,这大约是500日元硬币的大小。
哦!

I:
这是一张照片,是第一个发展。

O:
哇哦!

I:
因此,这正是远程故事和

O:
正是如此。

I:
漫画确实是这样的,它们是以B4尺寸绘制的,但原始动画可能没有那么大,但它们被拉伸到电影院的大小,所以你的手产生的东西有点像你的手掌大小。

O:
是的,是的,是的,是的。

I:
这是很可爱的,不是吗?

O:
是的,那个姆明的故事非常有趣。

I:
是的,但它们真的很小!我想这是一个很好的例子。

O:
是的,但我能理解你为什么要追赶他们。

I:
奥俊,你已经做了很久了。

O:
W:来来回回,来来回回,来来回回,来来回回,来来回回,来来回回,来来回回。

I:
我不知道你是否已经做了很长时间,但当你说话时,你的手一直在手掌的大小中移动。

O:
对吗?

I:
即使没有笔,你也一直在使用你的食指。

O:
你经常看着我,你被盯上了!”。

I:
你永远不会忘记这种事情,是吗?

O:
哦,对了…

I:
你一辈子都在用你的食指画方块。

O:
哦,哇,我看了很多,哈哈,哇,太吓人了,太吓人了

I:
你只有这么好的记忆力,不是吗?

O:
你说过……我仍然这样做,这是一种习惯。

I:
我:你是个小男孩,对吗? 我想远程的故事可能是一个非常好的故事。

O:
好吧,我为那些偏远地区的学生感到遗憾,我为那些不能见面的学生感到遗憾,但这取决于班级,每个人似乎都认为实用技能很难,但即使是艺术学生去年在家里画画,他们也不能画这么大的画,因为他们在家里画画,但他们不一定要画大画,你知道。 他们可以在家里画画,所以他们不能画这么大的画,但是他们不需要画大的画,他们可以在自己能画的尺寸上画,而且他们画得很好,他们认为他们很健康。

I:
这倒是真的,我想。

O:
是的,那是真的。

I:
我想这可能是一种现象,当社会上出现问题时,奥军就会越来越有活力。

O:
呜呼,呜呼,呜呼……

I:
我认为这与他用手掌打球的事实有关系。

O:
哈,有一种关系…

I:
世界是相互关联的,但它没有被拉开…

O:
呃,嗯(咳嗽)。

I:
这就是绘画的魅力所在,不是吗?

O:
也许是这样,也许这是绘画的一个好处。

I:
嗯–我想在非常困难的时期作画,可能从来没有中断过……我想可能有困难的时候,我想可能有困难的时候

O:
但是,你知道,在福岛核反应堆之后,我有很多想法,然后我回到了佐贺,然后我开始了这些大项目,一个接一个,我相信这也是一个诱因,但是后来我又有了这个电晕,已经持续了几年了,不是吗?

I:
我:是的。

O:
我相信岩永先生也会从中收到不同的影响,一种积极的影响。

I:
我不知道…

O:
很多坏事… 不是好事,但…

I:
这不是一件好事

O:
但是,但是,因为这一点,许多事情被暴露出来,被看到了……。

I:
嗯…

O:
如果你觉得你看到的东西有点俗气,你总是可以添加一些东西……包括你的作品的创作方式……。

I:
好吧,我不太明白,我认为我不明白,因为我不明白。

O:
我不知道…

我:我很安静。
我很安静…我不知道…我不知道…我认为我不知道…

O:
嗯,我们正处于中间阶段,所以很难说。

I:
嗯,我自己……嗯……。

O:
我已经注射了第二针疫苗。

I:
哦,我明白了…

O:
它已经肿起来了,现在很疼。

I:
那么也许是相当不错的。

O:
我想知道…

I:
我不知道,我也不认为人们会理解它。

O:
我不知道 – 我甚至不知道它有多好

I:
我们也不知道,所以我们也不是什么都知道,我们都不知道很多。

O:
这是完全正确的。

I:
所以我尽量不做得太有预见性。

O:
是的,是的,是的。

I:
然后,你只需要在人行道上行走。

O:
是的,我想是的

I:
我有这种感觉

O:
我想你是对的。

I:
我想你是对的…

O:
是的,我想是的

I:
嘿,让我们再拿一杯咖啡来喝,好吗?

O:
不,我是说……哦,我还是要做这个。

I:
我们可以再做一些吗?

O:
不,不,不,在很长一段时间内都没有商店。
因为科罗娜的事,我的时间很紧。

I:
哦,你应该去。

O:
我在想我们是否可以一起吃晚饭。

I:
好吧,让我们设定一个时间。

O:
好的。

I:
这很有价值。

O:
我们要不要每人喝杯咖啡或喝点热的?

I:
我会这样做的,谢谢你。

O:
是的,先生。

I:
好吧,我不知道你现在在说什么,但我记得过去有很多关于奥琼的故事,比如他去德国的时候,他有一些关于自己的有趣故事。

O:
他可能已经忘记了很多自己的故事。

I:
我:我设法记住了一个关于我在车里非常生气的故事……。

O:
哦,分手的故事 – 分手的故事 – 分手的故事 – 分手的故事 – 分手的故事 – 与大提琴手分手的故事

I:
哦,你知道,关于不打开车窗的故事……

O:
哦,你记得很清楚!

I:
我记得这种事情,不是吗?

O:
他是一个有趣的人,一个有趣的人,但他是一个音乐家,一个大提琴手,有点奇怪,他来自青森…

I:
为什么在青森有这么多奇怪的人?

O:
的确,有一些共同点……有一些微妙的细微差别,彼此之间很接近……

I:
嗯…

O:
我认识的来自青森的人是…

I:
有关于他们的东西,不是吗?

O:
但他是那种经常想念别人的人,他会接近别人,但他很幽默,所以当你和他有点了解后,他会和你非常亲近,然后他说我们去康斯坦茨湖旅行吧,那是瑞士和德国边界上的一个美丽的风景区。 这是一个位于瑞士和德国交界处的美丽风景区,贝多芬很早以前就去过那里,看到湖中倒映的月亮,他创作了一首名为《月光》的音乐。

幻想奏鸣曲》(Sonata quasi una Fantasia)是路德维希-凡-贝多芬于1801年创作的一首钢琴奏鸣曲。 它的俗名是 “月光奏鸣曲”,广为人知。 它是短暂的,也是美丽的。

I:
是的,这是正确的。

O:
是的。

I:
哦…

O:
这是一个非常好的旅游景点,我们决定开车前往,这是一个喜欢开车的人。

I:
是啊…

O:
他租了一辆车,和我以及我的家人一起开车,因为他是唯一会开车的人,我觉得很抱歉,他必须开车送我去和回来,但我告诉他没关系,我是个好司机。 天越来越热,天气也越来越差,德国也没有凉快。 我说:”哦,欧阳,你把窗户打开了。”我说:”我很担心。”我说:”嗯,这是一辆高速车,所以风从那里吹进来,所以…… “我说:”哦,对不起。”但是车里真的很热,所以我又打开了窗户,然后发生了什么? 它是开放的吗? 我说:”对不起,你能不能去一个像汽车旅馆那样的地方休息一下?”他说:”当然,当然。”当时还好,但当我们再次开始开车时,我再也打不开窗户了。 我们在那边有很多有趣的插曲,但当再次回家的时候,天气变得特别热,不知不觉中,车里的温度几乎达到了50度……我又打开了它……渐渐地,我又打开了它……我的母亲也来了。 她也在这里,我妻子的母亲……她已经老了。 对不起,我们在某个地方休息一下……但如果我们休息一下,我们又会很晚才回家……但如果有一点窗户就好了,然后我就可以开车了。 我是一个音乐家,我是一个音乐家。 我不能忍受风的声音。

I:
哦,这就是你所说的。

O:
哦…

I:
就这样吧!

O:
我说我以为……嗯,事后看来,我想我可能是这样。

I:
也许是……风声……也许是和弦不够好

O:
哦,我明白了…

I:
我有绝对的投球。

*39 [绝对音高和听觉过敏]听觉过敏是对某些声音的极大厌恶,被认为是一般水平的声音被认为是异常响亮。 例如,小的声音,如日光灯、冰箱或时钟的秒针的声音,都会让人感到烦恼和难以忍受,引起耳后疼痛,有时还会引起头痛和头晕。 绝对音高是指当一个人听到一个声音时,能够根据记忆绝对地识别这个声音的能力。与相对音高感知不同,相对音高感知是以相对音高来识别声音的音高,而绝对音高感知是对声音本身音高的直接感知。

O:
他有一种绝对的投球感觉,不是吗?

I:
我想他可能有这个问题。

O:
他有吗?

I:
也许路噪、发动机噪音和风噪的和弦不够好。

O:
是的…

I:
也许,是的。

O:
我很抱歉……最后,当我们接近吉塞多罗夫镇时,我再也无法忍受了,于是我说:”停!”。 他把门尽量打开,说:”这就是奥斯威辛的毒气室吗?” 我说,”我们会死的!” “我们要下去了!” 然后他们都下车,说:”出去!” 我不会再和你发生关系了。 然后他们就和他分手了。

I:
我:W…草…
大约一年后,我回到了日本,大约一年后,我的一个住在那边的日本朋友告诉我,当他第一次回到日本的时候,他告诉我,N0先生在大件垃圾的那天把奥军先生的作品扔了。 从 “哦,哇!

I: Awww!

O:
当我们靠近时,我说:”n0先生,那不是欧阳君的画”,他说:”哦,也有这样的人”。

I:
所以你活下来了?

O:

是的,我活下来了。

I:
这很有趣,我不知道会发生这种情况

O:
现在看来这是个有趣的故事,但它发生了,但尽管我当时很生气,我想你真的不知道你是否冒犯了某人,或者你是否不喜欢某些东西。

I:
我不明白,但我想那个人和你有共同之处,你可能不会和他在一起。

O:
啊…

I:
可能是这样。

O:
一起谋生一定很困难,这就是为什么你是一个孤独的音乐家,但是……我真的以为你从来没有真正了解过别人。

I:
嗯…我想是的…

O:
我不认为这是一个好人或坏人的标准,我只是认为你不了解人。

I:
我想这可能是真的。

O:对

I:
没有人做错任何事。

O:
我:我知道……我问他最怕你什么……在康斯坦茨湖……在那家酒店……在那家酒店……在那家酒店……在那家酒店

I:
是的。

O:
我很害怕donburi,但我想也许我听错了。 Donburi的意思是一碗浇有鸡肉和鸡蛋的米饭,或者一碗浇有天妇罗的米饭,所以我说为什么,因为随着你吃得越来越多,碗越来越小,你开始把碗沉下去,碗就在你的面前,你看不到前面的东西,这就是她害怕的地方。

I:
我一点也不明白。

O:
这就是为什么她说用碗吃饭对她来说是最糟糕的事情。

I:
我不明白。

O:
你不知道,是吗? 所以即使在那个时候,我也觉得他很奇怪。

I:
W

O:
与此相反,使一个人感到恐惧或不安的是只有这个人能够理解的东西,除非这个人真的是那个人。

I:
这真是太有趣了!

O:
嗯…

I:
好的,这是最后一个……奥钧,你能告诉我们一个你所知道的关于你自己的鬼故事吗?

O:
一个鬼故事…

I:
什么都可以,只要有一个就可以了。

O:
嗯,最近的一个……那是我梦到的,所以还有一个我很害怕的。 我12年前有一只猫,她活了22年,我想。

I:
嗯,他的寿命和人类一样长。

O:
在他去世前几个月,我去阿根廷参加文化事务局的海外培训计划,当时他很好,我告诉他我要去阿根廷,他已经老了,但他很好,我回来后,他也很好,但突然…… 第二天,他无法行走,因为他失去了背部。 我在卧室里睡觉,我在楼上的卧室里睡觉,我和我的妻子在睡觉,那是半夜,我的女儿在那里,她还小,她在前面的房间里,她睡觉后从不醒来,她总是在睡觉,然后她上楼来,砰砰砰砰砰。 我不知道,但那里有东西,我不知道,但那里有东西,通过门。 我不知道,但那里有东西,隔着门,我想可能是泥鳅,我无意中喊了一声 “谁在那里”,打开门,但没有人。 我不知道,但她说:”谢谢你。”她说:”我看不到你,但那里有东西。”她说:”这是我很长时间以来听到的最可怕的事情。

I:
这是个鬼故事……非常感谢你。

O:
这是一个恰到好处的故事,可以在此结束。

I: O:
今天的感谢。

+

我正在努力接近图片。

伊纳吉贝耶夫-科莫诺夫斯基。

+ –

Entretien avec OJUN

Le peintre OJUN est né au Japon. Il a également des racines à Hokkaido. Il a voyagé en Allemagne et est finalement rentré au Japon. Après avoir enterré son corps dans le sol et mis des bananes sur sa tête, il a commencé à faire des dessins pour une raison quelconque. Il a peint des tasses, des fleurs, des télévisions, des personnes avec des boules de fer, etc. Des gens avec des gilets de bombe. Il a peint des bateaux, etc. Il a enseigné à l’université des arts de Tokyo, aux écoles d’art, à Joshibi, à Tokyo Zokei, en tant que professeur et a enseigné à de nombreuses personnes. Est-ce qu’il enseignait, était-il enseigné, ou était-il juste là ? Il jouait avec tout le monde ? Entretien avec Tadasuke Iwanaga. L’homme que j’ai rencontré était un grand mais propre gentleman portant une chemise aloha et de grandes bottes. Il était aussi mince qu’une fille. Mais comme une vieille femme, c’est un homme grand, ridé et frais. Ses jambes sont longues. Un ballon.

Maintenant, l’interview.

 

O : OJUN
I : Tadasuke Iwanaga

 

O :
Eh bien, non, mais tu n’as pas changé comme d’habitude.

I :
Pas grand-chose, peut-être pas grand-chose n’a changé.

O :
Tu n’as pas changé du tout.
Quel âge as-tu maintenant ?

I :
Plus de 40 ans.

O :
Plus de 40 ans, hein ?

I :
C’est incroyable, n’est-ce pas ?
Je vous connais depuis que j’ai 19 ans.

O :
Je vois.

I :
Ojun me connaît aussi.

O :
Ce n’est pas étonnant que je devienne vieux !

I :
C’est vrai, vous êtes choqué, n’est-ce pas ?

O :
Donc, vous savez, nous étions camarades de classe… p. et je dois avoir à peu près le même âge, non ?

I :
Oui, oui, oui, nous étions les mêmes.

O :
Je vois…

I :
Ojun est plus comme un père pour moi, haha, plus comme un père.

O :
Je n’ai pas été capable de faire un seul truc de père, mais bon ! {I : Je ne suis pas sûr.}

I :
Eh bien, il était plutôt bon à ça…
J’ai pu jouer le rôle d’un père pour de nombreuses personnes.

O :
Non, non, non, non, non, non…

I :
Je pense qu’il faisait du bon travail.

O :
Non.

I :
Tout le monde dit ça, même les membres du groupe *1[membre itagaki].
Comme un père de Tokyo à Tokyo.

*1[membre itagaki].
I : Je suis le dr. de mamitri yulith empress yonagunisan, et nous nous sommes rencontrés en 1999.
Yulith Lilith.
123 fairy tail chimidoro phenomenon satan Inferno dress ha cattlemurarete Yggdrasill hawasasaru’
’25/12/2013′

O :
Tokyo père
“Papa de Tokyo, je te vois de temps en temps et tu n’as même pas d’argent de poche.

I :
Non, mais je pense que je traite tout le monde en nourriture depuis longtemps… kuku kuku.

O :
Non, non, non…
Je ne t’ai pas acheté beaucoup de nourriture.

I :
Non, c’est juste que j’ai été beaucoup nourri.

O :
Oh, je vois…
Et maintenant, Tadasuke Iwanaga fait des affaires à Saga… un genre d’affaires…
C’est une grosse affaire, n’est-ce pas, quand on arrive à cette échelle ?

I :
Oui, une entreprise.

O :
Oui, c’est vrai…
Je ne suis pas habitué à ce genre de choses, alors…
Je ne peux pas vraiment l’imaginer…

I :
Hmmm…

O :
Par exemple, de nos jours, vous savez…
“Faisons ça dans une chambre d’hôtel avec de l’art”…
Eh bien, ce genre de choses.
Il y a des projets comme ça.
L’artiste aménage les pièces et ainsi de suite…

I :
Oui.

O :
Vous avez la pièce elle-même, n’est-ce pas ?
Vous l’avez créé.

I :
Le bâtiment, oui.

O :
Combien de choses différentes faites-vous en ce moment ?
Tout d’abord, en tant qu’écrivain ?

I :
Eh bien…
Tout d’abord, je suis un restaurateur. Je cuisine.

O :
Tu cuisines ?

I :
Je cuisine tous les jours. J’apprends à cuisiner.
J’aimerais savoir cuisiner…
J’ai l’impression que c’est moi qui suis interviewé.

O :
Non, umm…

I :
Bâtiment.
Je suis en train de construire.

O :
Vous faites de l’architecture.

I :
Je fais du génie civil.
Génie civil. Je fais des travaux publics.

O :
Oui, je le fais.

I :
Et je dirige un restaurant.

O :
Oui.

I :
Hôtel.
Je gère un hôtel.

O :
Ha.

I :
Et une boutique sélective va bientôt ouvrir.

O :
Un nouveau lieu également

I :
Non, au même endroit.
2 [dans un grand bâtiment].

*2 [dans un grand bâtiment].
Je veux dire genius loci, genius loci existe dans la zone montagneuse de la ville d’Arita, préfecture de Saga. kinbosi/emerald/abyss/ammonite hotel est un groupe de bâtiments. kinbosi propose du curry d’épices. emerald est une L’hôtel ammonite est un hôtel design tranquille, apprécié des voyageurs du monde entier.

O :
Huh.
C’est pour bientôt, oui.

I :
J’y travaille.
Je travaille dur là-dessus en ce moment.

O :
Je fais de la poterie, je fais des vêtements.

I :
Et je fais des vêtements, et je fais des meubles, et je fais des meubles et…

O :
O : Oh !
Donc, il n’y a que de la nourriture, des vêtements et un abri.

I :
Tout, oui, et je fais des maisons.

O :
Je fais aussi des maisons. Cela signifie tout dans la vie d’une personne, dans la vie.

I :
Oui, c’est vrai.

O :
Bien.

I :
Oui, je pense que je les fais tous. C’est dur, mais je le fais.

O :
Ha !

I :
Donc, nous allons ouvrir un nouveau musée en août.

3 [musée d’art].
Le musée d’art contemporain “abyss”, rattaché à “genius loci”, a été créé uniquement comme un espace de contact avec les peintures. Vu à la lumière naturelle. Conçu pour englober le yin et le yang. Grandes grappes horizontales de verre et de plantes. L’espace lumineux et le couloir sombre circulent grâce à la lumière. Le yang dans le yin et le yin dans le yang. Il est symbolisé et circule dans l’architecture sous la forme d’un vortex rotatif. L’exposition se trouve dans la partie yang et la partie ombre de l’espace n’est pas ouverte au public. 2021/8/21 Satoru Kurata / ‘Goodnight’. Conçu par Tadasuke Iwanaga.

O :
Je fais tout cela dans Saga.

I :
Ils sont tous dans Saga. Ils sont tous au même endroit.
Hé, ils sont tous faits au même endroit, non ?
Alors…

O :
Intéressant.

I :
Nous avons donc beaucoup de personnes qui y présentent leur travail.
I : Donc, j’aimerais laisser quelque chose derrière moi, tu sais.

O :
Pour laisser quelque chose derrière.

I :
Je suis content qu’on l’ait fait.
I : Je ne veux pas que ça se termine.
I : Je veux garder une trace de ce que j’ai fait.

[le téléphone portable sonne]

O :
Oui, oui, oui.
Je vais l’éteindre un peu.

I :
Oui, oui.
Les deux façons sont bonnes.
Je veux le laisser.
J’ai l’impression d’avoir vu beaucoup de choses disparaître.

O :
C’est génial. C’est intéressant.
C’est intéressant que vous vouliez laisser quelque chose derrière vous.

I :
Ojun avait aussi beaucoup d’histoires intéressantes.
C’est juste dans ma mémoire, c’est juste dans ma mémoire, c’est juste dans ma mémoire, ça a toujours été là.
Pas seulement en mémoire d’Ojun…

O :
Non, ça ne l’est pas.

Je pense que tout le monde avait des choses intéressantes à dire.
Il fut un temps où il y avait des paysages intéressants.
Et puis ils ont commencé à disparaître de la ville.
Je veux laisser derrière moi des choses qui ont disparu et des gens qui ont disparu aussi.
C’est ce vers quoi tend le musée.
Mais ce n’est pas tout.

O :
Le mot “laisser derrière” me touche beaucoup aussi.

I :
Ça me fait sentir tendu…
Hmm…

O :
Hmmm…
Eh bien, si tu fais un dessin, il reste…

I :
Ça reste, n’est-ce pas ?
Je pense que c’est incroyable.
C’est…

O :
Mais par exemple, il y a une image dessinée par Tadasuke Iwanaga.
Et…
Avez-vous les images qu’Iwanaga Chusuke a dessinées, ou les avez-vous quelque part ?

I :
Oui et non

O :
Et.
I : Donc, immédiatement après qu’il/elle l’ait peint ou avant qu’il/elle l’emmène quelque part.
Par exemple, lors d’une exposition ou dans son atelier.
J’ai…

I :
Je l’ai… vu.
Oui, oui, oui.

O :
Nous avons fait une exposition ensemble au *4[National International].
Je l’ai revu lors d’expositions de ce genre, et je l’ai vu dans des galeries.
Mais maintenant, il est juste devant moi, et même si je voulais le voir, je ne pourrais pas le voir tout de suite.
Mais à l’époque, cela m’a laissé une très forte impression.
Et les images d’Iwanaga Tadasuke qui restent dans mon esprit sont…
Je peux le voir presque sans aucun doute.
Mais quand je les regarde vraiment, il y a probablement toutes sortes d’erreurs et de choses que j’ai négligées.
Je dois le regarder à nouveau.
C’est pourquoi il est possible de le faire quand il y a des choses laissées derrière.

4 Musée national d’art, Osaka.
Musée national d’art, Osaka. Un immense musée avec une collection d’œuvres du monde entier. Situé à Nakanoshima, Kita-ku, Osaka, le musée est sous la juridiction de l’institution administrative indépendante National Museum of Art. La collection se compose principalement d’œuvres d’art contemporain du Japon et de l’étranger datant de l’après-Seconde Guerre mondiale. Elle a été créée en 1977. Le musée était à l’origine situé dans le parc commémoratif de l’Expo 70 à Suita, Osaka, mais il a été transféré à son emplacement actuel en 2004. Il s’agit d’un musée entièrement souterrain, ce qui est rare dans le monde, et son architecture s’inspire de la vitalité du bambou et du développement et de la croissance de l’art contemporain.

5 [Galerie].
Diverses galeries existent dans le monde. Tokyo. Les peintres présentent leurs œuvres en se déplaçant d’une galerie à l’autre. Les collectionneurs et les artistes visitent ces lieux et, peu à peu, un corpus d’œuvres se forme. Petit à petit, dans un coin du monde.

I :
C’est vrai.

O :
Oui, oui, c’est pour ça que je veux le revoir.
S’il est toujours là, je peux le revoir…

I :
Oui, c’est vrai.

O :
C’est pourquoi je pense que ça signifie beaucoup, cette grande chose.
Ce que nous essayons de faire, c’est de…

I :
Mm-hm.
I : Oui, c’est juste ce qu’il reste.
Je ne sais pas, je…
Je ne peux pas apprendre beaucoup de choses.
Je n’apprends que des gens que je connais, vous savez, des mots…
C’est très petit, mais c’est important.
Je ne peux voir ce que fait quelqu’un de loin que lorsqu’il est encore là.
C’est seulement quand tu es encore là.
Donc, parce que vous êtes à proximité, vous n’avez pas besoin de laisser quoi que ce soit derrière vous, et vous avez tendance à faire des économies.
Je pense que j’ai eu tendance à prendre des raccourcis.

O :
Oui, ça m’arrive aussi.

I :
Je ne le remarque pas. C’est si proche que je ne le remarque même pas.
I : Je ne réalise pas qu’il y a tant de choses que j’aurais dû laisser derrière moi.
J’ai commencé à m’en rendre compte il y a quelques années…

O :
Et c’est à ce moment-là que vous avez commencé à monter le genre d’affaires que vous faites maintenant ?

I :
Eh bien, oui, je le pense.
Je ne faisais que peindre, juste peindre, donc il y avait une énorme déconnexion…

O :
Hmmm…

I :
Je veux dire, le monde est incroyable, je pensais que je ne pourrais pas vivre dans ce monde.
Il fut un temps où je mettais tout dans l’art, et ce fut un long moment.
Je suppose que c’est là que tout a commencé.
Je commençais à penser que j’avais besoin de rencontrer de plus en plus de gens à qui je ne pouvais pas parler.
À un moment donné, j’ai commencé à penser que ce ne serait pas bien si je ne rencontrais pas de plus en plus de personnes à qui je ne pouvais pas parler.
C’est pour ça que je ne pouvais pas parler à des gens à qui je ne pouvais normalement pas parler.
Je ne sais pas si c’est parce que je ne peux pas parler aux gens à qui je ne suis pas censé parler, mais…
Je voulais rencontrer de plus en plus de gens.
Et je voulais être reconnaissant envers toutes sortes de personnes.
Je les détestais beaucoup avant.

O :
Wow.

I :
Ça va être mon histoire, haha.

O :
Je vois.

I :
Mais je pense que tu as grandi, mais pas à ce point.

O :
Pas du tout
Mais… non, je suis surpris d’entendre ce genre de propos de la part d’Iwanaga lui-même.
Je suis surpris d’entendre ce genre de propos de la part d’Iwanaga lui-même.
Mais, *6 [à l’époque], même s’il ne l’a pas exprimé en mots…
Mais, *6 [à l’époque], même s’il ne le mettait pas en mots, il avait toujours cette sorte de pouvoir, cette sorte d’esprit, de ce qu’il essayait de faire.

A l’époque.
Scène de Tokyo de 1999 à 2010.
La Coupe du monde a commencé. Hyodor est apparu. Devant le théâtre Shinjuku Koma, c’est le chaos et Saburo Kitajima se pavane. Les vagabonds continuent de chanter des chansons sur la fin du monde. Un vieux clochard nu règne en impératrice et danse à la porte automatique d’un pachiya. Le sol de l’escalier en spirale de la Liquid Room ondule en fait avec une porte ascendante menant aux cieux infernaux. L’internet a fait son apparition et le nombre d’infirmes du net a augmenté. Pourtant, l’amusement et la culture non classée abondaient. La ville était pleine de motos. Il y a beaucoup de gens qui portent des instruments de musique, les travailleurs font la navette joyeusement, et les cerisiers sont toujours en fleurs. Il y a toujours un coucher de soleil à l’ouest de Tokyo. Asahi vient d’Inubozaki à l’est. La route d’Ome continue jusqu’à Okutama, où se trouvent des grottes calcaires. Le Suikinkutsu arrête le temps, et la ville est remplie d’esprits et de dragons. La ville, qui est située sur un grand front de mer, a changé peu à peu depuis l’époque de la rue du Vent. Le cœur d’Edo est aussi un peu là, dormant dans le parc. Les peintres ont continué à dessiner.

I :
Je pense que oui.

O :
Oui, oui.
Et je savais que ce qu’ils essayaient de faire était fort en moi quand je l’ai vu, et il sera toujours là.
Ce que j’essayais de faire était fort dans ce que je voyais.
Et il n’y avait pas que les photos.
Votre *7, ce genre de choses, comment dire, vraiment…
Ce n’est vraiment qu’une partie, mais c’est toujours là.
Quand je dis qu’il reste, je veux dire qu’il reste physiquement.
Quand il entre dans le corps, il passe par le corps physique, donc…
Le corps devient alors un filtre à travers lequel toutes sortes de choses sont sélectionnées et rejetées.
Il y a des choses qui restent et d’autres qui ne restent pas.
Ainsi, chez Iwanaga Chusuke, les images, les mots et les personnages qu’il dessine sont fragmentaires.
Mais le fait qu’il soit resté est un cas extrêmement rare.

7 [Mots écrits un peu comme ceci].
Vers 2004, Iwanaga a écrit une scène de rêve dans TEXT.
Le texte n’a pas survécu et on ignore où il se trouve actuellement.
Un texte qui n’existe probablement que dans la mémoire d’OJUN, d’Iwanaga lui-même ou de quelques autres.
Un texte sur le paysage de la route en courbe qui surplombe la carrière. Taapamin.

I :
C’est bien ça ?

O :
Il n’y en a pas beaucoup, je le savais. hmmm.
C’est pourquoi ils doivent être si forts.
I : Je pense que c’est pourquoi ils sont si forts.
Vous faites beaucoup de choses de manière globale et intégrée, bien sûr, mais vous étudiez aussi beaucoup de choses.
Je suis sûr que vous avez étudié beaucoup de choses.
Mais il y a quelque chose en toi qui m’impressionne par ta profondeur et ta force.
Je pense que c’est là depuis que tu as 19 ans.

I :
Je pense que c’était là.

Il y avait une signification que je trouvais vraiment intéressante.
Je pense que c’était parce que je venais de la campagne.
Je me sentais comme un étranger, même à Tokyo.
Alors je me suis habillé comme un zombie.
Comme un zombie.

8 [De la campagne].
Une rupture culturelle à bien des égards. Une période d’affrontements culturels intenses entre la musique, l’art, la pensée, la culture, l’ancien et le nouveau monde. Une rupture culturelle, qui a séparé l’ancien monde. L’ancien monde restera toujours et tentera de s’imposer. Le Nouveau Monde cherche toujours à naître, mais échappe sans cesse à la captivité. Lorsque l’internet n’était pas encore disponible, l’obscurité était de plus en plus contraignante. Les paysages magnifiques et l’obscurité sont d’une clarté et d’une noirceur extrêmes, et stimulent fortement les sens.

9 [Connexion du papier blanc].
Un vêtement en ébène recouvert de papier qui a été vendu au Shinjuku Sekaido en 1999. Il était de taille libre, vétuste, peu solide et d’un blanc pur. Des vêtements qui ne servent qu’à se salir.

O :
Oui, oui, oui – oui, oui.
C’était un joint en papier !

I :
Celui qui est bon marché.
C’est le même matériau que les masques à poussière les moins chers vendus au 10 Sekai-do.

10 Sekaido.
Sekaido est une boutique spécialisée dans le matériel d’art et la papeterie dont le siège social se trouve à Shinjuku, à Tokyo. Fondée en 1940, elle a été rebaptisée Sekaido en 1947 et a ouvert une succursale à Ikebukuro Parco en 1969. À ce jour, elle possède des succursales à Ikebukuro, Tachikawa et dans d’autres endroits de Tokyo, ainsi que dans les préfectures de Kanagawa et d’Aichi. Il propose un vaste choix de matériel artistique, de fournitures pour bandes dessinées, de papeterie et de matériel de dessin. La plupart des articles bénéficient de remises, généralement de 20 %, mais si vous souscrivez à la “carte ST Saikyodo”, vous pouvez gagner 7 % de points supplémentaires, que vous pourrez utiliser lors de votre prochain achat. La carte ST du World Trade Centre coûte 500 yens et est valable pendant deux ans. Célèbre pour sa copie “Mona Lisa is amazed”. La signalétique du magasin et la carte CB du World Trade Centre comportent une illustration de la “Mona Lisa” de Léonard de Vinci, la bouche ouverte en signe d’étonnement. La boutique est devenue un point de repère dans Shinjuku 3-Chome et est également connue sous le nom de “lieu sacré de l’art”. Un peu plus loin dans la rue se trouve l’Académie d’art de Shinjuku. C’est comme une tanière de tigre pour les étudiants en art qui préparent les examens d’entrée aux universités d’art, et les étudiants en art traînent souvent ici pour étudier dans la boue. Nombre de ses œuvres proviennent de matériaux d’art achetés au Sekaido. Le World Hall était presque une maison pour Iwanaga. Ils coupent et vendent même du papier sur place. Il existe une grande variété de papiers, et vous pouvez choisir parmi des échantillons. Des cadres décorés étaient vendus près du dernier étage à l’époque, mais je n’y ai jamais vu personne.

O :
Oui, oui, oui.

C’est comme du non-tissé, je ne sais pas comment on appelle ça…
Matériel de masque Je n’ai que deux pièces de vêtements.
Je n’ai jamais porté d’autres vêtements depuis environ deux ans.

O :
Je pensais que c’était cette blouse, mais ce n’était pas le cas ?

I :
Oui, c’était un patch en papier.
J’ai vécu toute l’année dans ce champ de papier.
Je n’avais que ces deux pièces de vêtements.

O :
C’est bien ça ?

I :
Et j’ai vécu dans chacun d’entre eux.
Et www. J’avais l’habitude de voler dans des avions et autres.
Absolument dangereux.
C’était vraiment dangereux.

Toutes [toutes tachées de la couleur de la peinture].
Il n’a jamais été lavé car il se déchire au lavage. Iwanaga le portait toujours lorsqu’elle peignait, et presque tout le temps lorsqu’elle sortait, elle portait Nuki. Naturellement, comme c’est du papier, il se casse partout. Les parties déchirées ont été réparées en les reliant avec des épingles à nourrice. La zone de l’entrejambe et d’autres parties du corps ont été recouvertes d’épingles à nourrice car elles ont été cassées de manière intensive. Les épingles à nourrice se détachaient fréquemment et s’enfonçaient dans la peau.

O :
C’est dangereux !
Et si tu as 19 ans, que tu es habillé comme ça et que tu prends l’avion…
Je serais un peu nerveux maintenant.

I :
Je ne serais pas capable de le faire maintenant.
Je marchais et j’ai entendu des voix.
J’ai entendu des voix.
De toutes sortes d’endroits.

O :
Bien sûr.

I :
Je continue à entendre des voix qui me disent que j’ai peur, que je suis en danger, que je marche tout le temps.
On pouvait les entendre juste en marchant.
C’était une époque comme celle-là.
C’est à cette époque que j’ai eu mon premier cours à Ojun.
Je m’en souviens bien.
Tout d’abord, Ojun était vraiment furieux contre moi.
C’était la première fois…

O :
C’est vrai.
Je n’ai rien fait.

I :
C’était vraiment intéressant.

O :
Oui, je ne faisais rien. Je ne faisais rien.
Il se promenait juste d’avant en arrière, d’avant en arrière, l’air à moitié nu.
Je me balade, je me balade…
Et je ne fais rien, même si c’est un séminaire où l’on doit faire beaucoup de dessins.
On est censé faire un millier de dessins, mais on n’en fait aucun.
Il est habillé comme un clochard.
Je pensais qu’il devait être fou.

12 [Dessin]
Le fait de dessiner rapidement en utilisant des lignes et des couleurs simples. Comme le tableau, il requiert des idées instantanées plutôt qu’une construction élaborée. Vers 1999-2007, OJUN a donné un cours à l’université des arts de Tokyo qui mettait l’accent sur le dessin. Il peut être décrit comme une figure de proue du dessin. Il passe son temps dans la liberté du dessin à la recherche de nouvelles images inédites. En contrepartie de la vivacité d’une image surgissant instantanément du néant, il y a le danger du néant à cause de la liberté. S’il échoue, il n’est vraiment rien d’autre qu’un déchet. Mais en tant que peintre, c’est un domaine dans lequel je ne peux m’empêcher de m’impliquer.

I :
Je suis sûr que vous avez raison…

O :
J’ai pensé que je devais mettre un peu de vie dans cette *13 [j’étais jeune].
Qu’est-ce que tu fais ? (s’exclamant) ou quelque chose comme ça.

13 [J’étais jeune, vous savez].
OJUN avait un cadre énorme et était en bonne forme physique.
Doté d’un sentiment d’oppression, 1999.

I :
Oui, oui, oui, oui.

O :
Oui, oui.
J’ai dit : “Pourquoi ne le faites-vous pas ?
Et je ne me souviens pas de ce qu’il a dit ou de ce qu’il a répondu.
Il n’a pas dit grand chose en retour… comme… comme… il n’a même pas demandé… comme…

I :
Comme “hmmm” ou quelque chose comme ça.

O :
Il y a beaucoup de gens là-dedans, donc il y a au moins une personne qui ne peut pas aider.
Et puis je me suis dit : “C’est un cours d’un mois, donc c’est la moitié d’un mois”.
C’est un cours d’un mois, donc environ un demi-mois s’est écoulé, et puis c’était l’heure de la critique.
Puis vint la critique.
La veille, nous avons regardé tous les dessins, un par un.
Et puis j’ai regardé tous les dessins, un par un.
Je regardais tous les dessins, et…
Il y a une personne qui est juste incroyable.
Il est tellement mauvais, il est intelligent et malin et terrible avec ses dessins.
C’est juste du dessin.
Le dessin est juste le dessin, c’est juste, tu sais, c’est juste, c’est juste, tu sais, c’est juste…
Ce n’est pas un style de peinture simple, ni un style occidental.
C’est comme le dessin lui-même.
Mais dessiner ne veut pas dire tracer de belles lignes.
C’est quelque chose qui sort du corps de la personne, quelque chose qui porte le mot “dessin” sur son dos.
C’est comme si le corps entier de la personne…
Et il y en a un super !
Il y en a un excellent là-bas.
Vous devriez être sur le serveur à ce moment-là, aussi.

14 [Hasegawa Shigeru].
Après avoir été diplômé de l’Université des arts d’Aichi, il a étudié de 1989 à 1992 à l’Académie des arts de Düsseldorf.
1992-1994Promenade dans De Ateliers, Amsterdam.
Après avoir erré en Europe pendant de nombreuses années, il vit et travaille actuellement au Japon. A exposé dans des festivals d’art en Inde.
Peintre noir. Peintre dans l’obscurité.

I :
Hé.

O :
Il a dit : “C’est incroyable, non ?” Et j’ai répondu : “Qui est-ce ?
Et il a dit : “Iwanaga Tadasuke”.
J’ai dit, “Ouais, ouais.

O :
Il a dit que c’était lui.
Il a dit qu’il n’avait pas fait de dessin à cette époque.
Je me suis dit : “Ce type est incroyable !
Il m’a dit : “Tu as réussi, papa, tu as fait un home run”.
Il était comme, “C’est un homerun !

I :
Oui, oui, oui.

O :
À l’époque, on appelait ça l’examen de rentrée, alors on a dû le faire une fois de plus.
Le dessin est l’examen d’entrée.
Et nous décidons qui passe et qui ne passe pas. Et qui passe ?
Eh bien, seulement deux personnes ont réussi.

I :
Oui, oui, oui.

O :
Et un autre.

I :
Dans ces moments-là, il y a aussi des gens comme 15 [Noguchi-kun], et il y a environ trois personnes qui ont été rattrapées.
15 [Noguchi-kun].
Anciennement employé dans un magasin d’électronique. Avant cela, il était employé dans un magasin de vidéo. J’ai acheté des vêtements sur la côte ouest.
A de nombreuses expériences psychiques.

O :
Oh oui, environ trois.

I :
C’est génial, c’était intéressant.

O :
C’était intéressant !

I :
Ça a commencé avec la rage.
Ça a commencé par une colère.
Je pensais que c’était parfait.

O :
Je ne veux pas dire 16 [Mélos était furieux], mais…

Melos était furieux.
La première partie de Running Melos / Melos était furieuse. Il a décidé qu’il devait se débarrasser du roi maléfique et tyrannique. Melos ne comprend pas la politique. Melos est un gardien de troupeau du village. Il a passé toute sa vie à souffler dans sa flûte et à jouer avec ses moutons. Mais il était plus sensible au mal que la plupart des gens. ……. Melos était furieux.
2 “Quel roi ! Je ne le laisserai pas vivre.” ・・・・・・・・・・ L’époux se tortille et est gêné. Mélos rit et salua les villageois, puis il quitta le banquet, se cacha dans la bergerie et dormit profondément, comme s’il était mort. / Melos était furieux au début de Running Melos.

I :
C’est un contraste, n’est-ce pas, W. Vraiment.

O :
Il dit : “C’est lui qui va mourir !

Kukukukku.

O :
Hasegawa-san et moi avons levé les yeux au ciel.
“Oh mon Dieu, il est là !
Je veux le montrer à Asai.
C’est pourquoi je le dessine comme ça.
J’ai vu beaucoup de choses de ce genre, et je le fais aussi.
Je ne sais pas comment l’appeler.

17 [Asai].
Asai est présent.

I :
Hé, c’est…

O :
C’est comme si tu te reflétais dans tout.
Je suis désolé d’utiliser cette analogie, mais vous êtes baigné dans la lumière de la bombe atomique et vous ne voyez qu’une ombre…

I :
Oh, vous avez pu ressentir ça.
J’étais dans un état d’impuissance à ce moment-là…

O :
Il y avait des fois… Je ne parle pas de ce que je dessinais…
Je ne dis pas ce que je dessine… Je dessine un objet.
Ce n’était pas comme si je dessinais un objet.
C’était plus comme si quelque chose était projeté.
Je dessinais quelque chose comme ça.
J’étais complètement débordé par cette façon de dessiner, ce genre…
Il a complètement débordé.
Après ça, j’ai travaillé à temps partiel pendant environ deux ans, puis j’ai arrêté.
Et de 2010 à 2012, j’ai travaillé à l’université jusqu’à récemment.
Je donnais des cours chaque année…
J’ai vu beaucoup d’étudiants intéressants après ça.
Mais je ne pense pas qu’il y ait quelqu’un qui ait jamais produit quelque chose qui soit projeté comme ça.

I :
Je vois…

O :
Eh bien, je me demandais comment ça se passerait après ça.
Mais ensuite il a commencé à dessiner de plus en plus, mais je ne sais pas comment il faisait.
Il peint sur toutes sortes de choses, comme des motos.
Avez-vous déjà vu une moto ? 18 [La moto d’Iwanaga-san ?] (Asai.)

18 [La moto de M. Iwanaga ?]
Une moto tout-terrain, xr250baja, modifiée au point d’être méconnaissable, son corps entier étant peint à l’huile. Un monstre de vélo. La suspension, le moteur et le cadre ont tous été modifiés. La fibre de verre est comme les poils du corps d’une créature vivante. Le réservoir en acier peint est magnifique. Tadasuke Iwanaga ne pouvait pas prendre le train, il a donc utilisé ce vélo pour tous ses déplacements. Même les jours de typhon et les jours de neige.

I :
Non, je n’ai pas d’asai.

O :
Plus de vélos…

I :
Non, il y a (des motos)…

O :
Il y a.

Je ne te l’ai probablement pas montré

O :
C’était incroyable.

I :
C’est toujours là.

O :
C’est toujours là !
Il faut absolument que tu gardes celui-là !

I :
Vous devez le garder !

O :
Vous devez le garder !
Le vélo est peint sur toute sa surface.
C’est un vélo monstre, n’est-ce pas ?

I :
Oui, c’est vrai, n’est-ce pas ?

O :
D’autre part, il dessine aussi des bandes dessinées.
C’est une personne qui ne se limite pas au dessin.

Je vois.

O :
Hmmm…
Ses camarades de classe, cependant, beaucoup d’entre eux étaient assez talentueux.

I :
Eh bien… c’est peut-être le cas.

O :
Oui, il y en a eu beaucoup.
Comme Fumiko Kobayashi, qui est décédée.
Si elle avait été un peu meilleure, elle aurait été très vite sur la scène mondiale.
Il y a aussi cette personne intéressante qui est vraiment douée pour le dessin.

19 [Fumiko Kobayashi]
*Fumiko Kobayashi / Elle a fait asseoir une collection d’œufs crus pourris dans une tente noire et a empilé des tas d’ordures. J’ai aimé l’art. Elle s’est effondrée au milieu de ses activités vigoureuses. Iwanaga lui a donné une peinture d’une licorne à cette époque. OJUN a contribué à un texte pour le livre d’art de Kobayashi.

I :
Peut-être que c’était une époque où il y avait beaucoup de gens qui peignaient très fort.

O :
Oui, comme ◆□■chan.
Quoi qu’il en soit, il existe de nombreux types différents.
Mais il y en a eu beaucoup d’excellents au cours de cette année scolaire.

I :
Vraiment, l’université était très intéressante

O :
Intéressant !

I :
Vraiment intéressant pour moi !

O :
Et après ça, vous êtes allé jusqu’au Docteur, n’est-ce pas ?

I :
Oui, c’était intéressant, c’était vraiment intéressant.
C’était intéressant tous les jours.

O :
Mais même après avoir obtenu le doctorat, je continue à écrire beaucoup de choses sur la thèse que j’ai écrite.

20 [Cette thèse].
Thèse de doctorat.
Il y a des passages dans lesquels les expériences mystiques d’Iwanaga sont décrites.

I :
Oh, c’est devenu un problème !

O :
On en parle…
O : On en a parlé… Geidai reconnaît maintenant ce genre de choses comme une sorte d’exposition.
En bref, comme quelque chose que vous écrivez avec vos propres mots.
Dans d’autres universités, ce serait différent…
Mais à Geidai, nous avons ce genre de choses…

I :
J’aimerais entendre parler d’Ojun…

O :
Je suis toujours le même… pas grand chose n’a changé…

I :
Non, non, je peux te demander ce que je veux te demander ?
Ok, voyons voir… de tout à l’heure…
Ah~ Je me souviens de quelque chose…
Je me souviens de quelque chose qui ressemblait beaucoup à Ojun…

O : Quoi ?
Qu’est-ce que c’est ?

I :
Plutôt que des mots d’éloges, vous ne vous souvenez que des choses qu’on vous a dites et que vous n’avez pas aimées, n’est-ce pas ?

O :
Heh heh heh.

I :
Il y a quelque chose que je dis depuis longtemps maintenant.

O :
Quoi, moi ?

I :
Oui.
On se souvient plus des mauvaises choses que des bonnes.

O :
Oui, c’est vrai, c’est vrai.
Quand on me pose les bonnes questions, je me mets en colère rien qu’en me rappelant les choses embarrassantes ou désagréables.
Rien que d’y penser, ça me met en colère, mon visage devient rouge et j’ai envie de m’enfuir.

I :
Tu te mets en colère, n’est-ce pas ?

O :
Non, je pense que c’est parce qu’on me pique le plus et que je suis dans le mille.

I :
Et… la première chose que j’ai pensé quand j’ai vu Ojun aujourd’hui était…

O :
Je suis si heureuse…

I :
21 [en pensant qu’il a l’air vraiment en bonne santé].

*21 [pensant qu’il a l’air étonnamment en bonne santé].
L’été 2021 à l’apogée de Corona. Les restrictions sur les sorties ont duré longtemps.
Un virus redouté.
Le stress a rendu de nombreuses personnes malades mentales.

O :
Ah.

Hmmm…

I :
D’une certaine manière, je me demande si c’est similaire à ça.
Plus la situation devient difficile pour tout le monde, plus ils deviennent joyeux.

O :
Eh bien, c’est vrai.
Je pense que c’est un peu un trait de personnalité.

I :
Je pensais que tu avais l’air d’être de bonne humeur.

O :
C’est vrai, c’était pareil après le grand tremblement de terre de Hanshin.
C’est une histoire terrible, mais c’était la même chose après le tremblement de terre de Tohoku.
Et aussi, eh bien, c’était la même chose avec le précédent *24 [11 septembre à New York], et ainsi de suite.
Chaque fois qu’une calamité survient dans le monde, je suis distrait et je pense à diverses choses.
Je pense à toutes sortes de choses, et je veux faire et dessiner toutes sortes de choses.

22 [Grand tremblement de terre de Hanshin].
Tremblement de terre survenu le 17 janvier 1995. Feu, M7.3.

*23 [Tremblement de terre de Tohoku].
Survenu à 14:46:18.1 le 11 mars 2011.
Le tsunami a frappé. Fusion de la centrale nucléaire de Fukushima Daiichi.
Communément appelé 3.11.

*24 [11 septembre à New York].
Attaque terroriste au cours de laquelle un avion s’écrase sur le World Trader Centre de New York.
Déclenchement de la guerre au Moyen-Orient.

I :
Hé.

O :
Quand les gens souffrent comme ça.
dans les moments difficiles.

I :
Oui, je me suis sentie comme ça.

O :
I : Ouais.

I :
Mais, hum, qu’en est-il de la manipulation directe, du déplacement, de la peinture ?

O :
Oui, je le fais.
Eh bien, tu sais…

I :
Parfois, vous le faites directement.

O :
I : Ouais, ouais, ouais.

I :
Parfois !
Je pense que c’est intéressant aussi.

O :
Eh bien, en gros, je le fais dans la photo.
Le monde de la peinture est ce que je vois ici.
Mais dès que je l’aurai dessiné ici…
Ce n’est pas comme ça.
Il peut être mis à l’envers.
C’est pourquoi je ne peux pas dessiner directement.
C’est une chose.
Vous êtes vous, donc vous pouvez dessiner aussi loin que vous le souhaitez.
Si elle était dessinée telle quelle ou exprimée de quelque manière que ce soit, elle ne serait pas très intéressante.
S’il était dessiné tel quel ou exprimé de quelque manière que ce soit, ce ne serait pas très intéressant, mais s’il était retourné ou renversé, ou quelque chose comme ça…
La forme change ou se transforme un peu.
Certains l’appellent la transformation.
J’ai l’impression de les échanger.

I :
Échange.

O :
Par exemple, vous achetez des chocolats pour 100 yens.
100 yens et des chocolats ne vont pas vraiment ensemble, n’est-ce pas ?

I :
C’est du fer concassé et du cacao.

O :
Tu sais…
La qualité est totalement différente.
Mais nous nous sommes mis d’accord, provisoirement, pour le moment, et nous sommes d’accord.
L’économie repose sur l’argent, l’argent, l’argent, et nous pouvons utiliser l’argent pour échanger des choses.
À l’origine, cela se faisait par le troc.
Le troc est l’échange de choses qui sont complètement différentes les unes des autres.
En gros, la logique de l’échange est la suivante .
Je pense que la logique de l’échange est assez similaire au type d’art que nous faisons.

I :
Intéressant !
Je n’ai jamais entendu parler de ça avant.
C’est comme une alchimie, comme un échange équivalent.
C’est comme une sorte d’idée *25[alchimique]…*.

25 [alchimie].
Hermès Trismégiste est le fondateur de l’alchimie et est considéré comme le dieu patron de l’alchimie. Les documents d’Hermès sont des documents attribués à Hermès Trismégiste (c’est-à-dire Hermès le triple grand), qui compteraient plus de 30 000 livres.
Jung a écrit un livre intitulé “Psychologie et Alchimie”. L’idée principale que Jung a tirée de ce livre est que l’alchimie (ainsi que tout le mysticisme) vise en fait “l’union des contraires”. Newton, connu comme un scientifique, était aussi un alchimiste. De nombreux ouvrages de Newton sur l’alchimie ont été détruits dans l’incendie d’un laboratoire, et l’on pense que ses réalisations en tant qu’alchimiste sont plus importantes que celles connues aujourd’hui. L’économiste Keynes a fait remarquer que “Newton n’était pas le premier de l’âge de la raison, mais le dernier magicien”. ▲ Relation entre l’égyptien, le sumérien et le super-ancien.

O :
Oui, oui, oui.

I :
Jamais entendu parler.

O :
Non ?

I :
Um… c’est un mot que je n’ai jamais entendu dans l’histoire de l’image.

O :
Ouais, eh bien, peut-être que c’est parce que ça semble de mauvais goût.
Je veux dire, je pense à ça comme à une transformation, comme un transfert…
Mais c’est plus comme une chose plus immédiate…
Je pense qu’ils sont en train d’être échangés.

I :
Ça ressemble à un échange spirituel.

O :
Oh, je vois.

I :
La conversion est quelque chose qui est utilisé dans de nombreux endroits.

Lorsque vous échangez des choses qui peuvent être vues, il est facile de l’imaginer comme un échange, mais lorsque vous échangez des choses qui ne peuvent pas être vues, c’est comme…
Mais échanger des choses invisibles… c’est comme…

O :
Mais ce qu’Iwanaga-san a fait, ce que vous faites maintenant…
Je pense que c’est la même chose avec tous les dessins que tu as faits.

I :
Oui, c’est possible.

O :
Ils échangent.

I :
Oui, échanger… Contre quoi échangez-vous votre âme ?

O :
Oui, je pense que je l’échange contre toutes sortes de choses.

I :
Je me demande s’ils l’échangent contre quelque chose.
O : Oui, je pense que oui. Je peux le voir.

O :
Par exemple, si elle est plantée dans mon esprit, si elle est gravée dans mon esprit, cela signifie qu’elle est échangée avec mes souvenirs.
O : Par exemple, si elle est plantée dans mon esprit, si elle est gravée dans mon esprit, alors elle est échangée avec mes souvenirs.

I :
Oui, c’est intéressant.

O :
Oui, oui.

I :
Oui, c’est…

Caracalla, zzzzz… {son de la descente d’un verre}

Ojun, avez-vous déjà parlé de vos dessins ?
C’est comme s’il parlait, mais qu’il n’avait jamais parlé avant.

O :
Oui, c’est vrai.
On dirait qu’il parle, mais en fait il ne parle pas.

I :
Ça ressemble à ça, n’est-ce pas ?

O :
Plus tu parles, moins tu passes.

I :
Vous voyez, c’est difficile.

C’est difficile, n’est-ce pas ?

Oui, je pense que c’est comme ça que sont généralement les bons peintres.
Je pense que vous êtes un bon peintre.

O :
C’est comme ça que ça se passe, n’est-ce pas ?

I :
Je peux parler de tout ça, mais…
Mais quand il s’agit de moi…

O :
C’est vrai… C’est vrai…

I :
Je peux parler de tout ça.
Je peux parler de tout, mais quand il s’agit de mes propres affaires, c’est un peu comme si je n’avais pas le droit de les regarder.

O :
Tu ne peux pas le regarder.
C’est exactement ça.

I :
Je veux dire, tu ne peux pas regarder en arrière.

O :
C’est tellement vrai !
Vous avez tout à fait raison !

I :
Peut-être que ce n’est pas quelque chose sur lequel tu devrais revenir.

O :
Je suppose que c’est vrai.
Peut-être que nous ne devrions pas regarder en arrière, après tout.
Je pense que oui… Zuzu… (baisse le verre)

I :
Il faut du courage, mais il faut du courage, et je pense que c’est une perte.

O :
Hmm…
Parfois, je regarde mes anciens travaux.
Je me demande si c’était comme ça…
Hmm…

I :
Oui, que pensez-vous de votre ancien travail ?

O :
Eh bien…

I :
Il y a longtemps…

O :
I : C’était il y a longtemps, quand j’avais 20 ou 30 ans…
J’ai du mal à les gérer maintenant… les grandes images.
Je pensais les sortir de la poubelle l’autre jour.

I :
C’est du gaspillage, n’est-ce pas ?

O :
On m’a dit d’attendre un peu.
J’attends.
Mais il n’y a rien que je puisse faire, alors j’essaie de trouver quoi faire.
Mais, vous voyez, tout est stocké dans la maison de mon ami du lycée.
Je n’ai donc pas d’atelier maintenant.

I :
Oh, je vois…

O :
Eh bien, j’ai ma propre maison, mais je n’ai pas de studio.
J’ai mon propre studio, mais pour une raison quelconque, je n’ai pas de studio à la maison.
Ma fille et sa famille vivent toutes ensemble sous le même toit, c’est une grande famille.
Et bien sûr, je n’ai pas de studio.
Il ne me reste que trois mois environ, mais en attendant, je peux dessiner dans la cuisine ou…
Je trouve un petit espace dans la chambre pour dessiner…
Mais il y a aussi une exposition à venir dans les trois prochains mois.
Je me demandais donc ce que je devais faire… et j’ai un ami du lycée qui a quelques unes de mes œuvres là-bas.
Je pense en déplacer quelques-uns.
Il y a un type qui s’appelle Miyajima, non ?

26 [M. Miyajima].
Yoichi Miyajima. Peintre et ami d’OJUN. Nous nous connaissons depuis longtemps et nous étions ensemble lorsque nous étions en Allemagne. Il réalise des peintures à l’huile monochromes depuis des décennies – rues à six voies, poulet, etc. Trous d’homme. Il a peint des queues d’anguilles, par exemple. Il dit ne pas faire confiance à Jung et nie avoir été témoin d’ovnis. Il a rencontré Iwanaga alors qu’il était étudiant à temps partiel à l’Université nationale des beaux-arts et de la musique de Tokyo.

I :
Oui, oui, je sais ce que vous voulez dire.

O :
Pourquoi y a-t-il tant de peintures de Miyajima-san… ?

I :
Je ne sais pas pourquoi…
Ha-ha-ha…

O :
Et les peintures de Miyajima-san aussi…

I :
Je fais beaucoup de dessins de vous, M. Miyajima…

O :
C’est vrai.
Je suis un peu malade en ce moment.
Si je le réarrange un peu, j’aurai un espace d’environ 3 tatamis.
Je pense y travailler en août.
Eh bien, je vais parfois là-bas pour organiser.
A Itsukaichi.
Et il y a des images que j’avais l’habitude de dessiner… et ce ne sont pas de bonnes images, mais…
Mais je sens que je ne peux pas les dessiner à nouveau.

I :
Je vois.
Tu ne pourras plus jamais dessiner ?

O :
Eh bien, je pense que je ne pouvais que dessiner à ce moment-là.
Les choses que je dessine maintenant, je ne serai plus là dans 20 ou 30 ans.
Mais si j’étais vivant dans 5 ou 10 ans, je ressentirais la même chose.
Je pense que ce que je dessine maintenant ne peut être dessiné que maintenant.

I :
C’est vrai.
Je veux dire, ce ne sont pas de grandes photos, mais…
J’ai un sentiment à ce sujet.
Je peux seulement dire que j’ai un sentiment à ce sujet.
Ce n’est pas une bonne photo, mais je pense qu’il y a de bonnes choses dans ce film.

O :
Oui, oui, oui.
Ce n’est donc pas une question de bien ou de mal.
Il ne s’agit pas de bonnes ou de mauvaises photos.
C’est juste un tout petit standard de cul.

I :
Je me sens comme ça.

O :
C’est comme un signe que je l’ai dessiné à ce moment-là.
C’est comme une marque que j’ai dessinée à ce moment-là.

I :
Ouais…

O :
Je pense que c’est suffisant si c’est clairement indiqué comme ça.

I :
Oui, ce serait plus intéressant s’il était plus large.
I : Ouais.

Zzz… (bruit d’un verre que l’on boit)

Je n’ai pas à travailler trop dur sur la qualité du contenu ou quoi que ce soit d’autre.

O :
Oui, mais tu sais, quand j’avais environ 40 ans…
Je ne pouvais toujours pas penser comme ça.

I :
C’est ce que je pense.

O :
C’est un peu tôt…
Je veux dire, quand j’avais 40 ans…

I :
Je veux le rendre meilleur

O :
Oui, oui, oui, je voulais plus.
Je ne pouvais pas le voir comme ça.
O : Récemment, oui.

I :
Eh bien, je pense que ça s’améliore.
Je pense que ça s’améliore.
Je pense que oui.
Mais, bien sûr.

Zzz… (bruit de quelqu’un qui boit un verre)

O :
C’est un sacré exploit.

I :
Je pense que oui.
Je jette aussi les choses que j’ai faites auparavant.
Je sais que j’ai l’air de parler à l’envers, mais…
Il ne s’agit pas de laisser quelque chose parce qu’il a un bon contenu, ou de jeter quelque chose parce qu’il a un mauvais contenu.
S’il contient quelque chose que je ne voulais pas laisser derrière moi, alors je le jette.
Mais ce critère n’est pas dû au fait que le contenu est bon.

O :
Non, ça ne l’est pas.

I :
Non, je veux dire, même si c’est une partie dégoûtante de moi à ce moment-là, si c’est là-dedans, je le garde.
Si c’est quelque chose qui ne me concerne pas, quelque chose que je ne comprends pas, alors ça n’a pas de sens.
J’ai récemment jeté certains d’entre eux parce que j’avais l’impression qu’ils étaient dénués de sens.

O :
Oui.

I :
Je ne pense pas que ce soit mal de les jeter.

O :
Oui, je le pense.

I :
Je pense que c’est bien de décider au moins ce qu’il faut garder.

O :
Ah, vous avez raison…
C’est une façon intéressante de dire qu’il est acceptable de jeter des choses.

I :
C’est bien… hahaha…

O :
Non, c’est juste un peu de bric-à-brac.
Je ne sais pas si c’est un truc au Japon ou non, mais…
Je ne sais pas si c’est pareil au Japon, mais… dans les pays de l’Est ou en Russie… quand il y a un changement de gouvernement…
les statues qui étaient les symboles du pays sont toutes renversées ou jetées…

I :
27* [Lénine] a…

27* [Lénine].
Vladimir Ilitch Lénine (russe : Влади́мир Ильи́ч Ле́нин ; 22 avril 1870 21 janvier 1924) était un révolutionnaire, homme politique et philosophe russe. Il a été le premier dirigeant de la République soviétique russe et de l’URSS (président du Congrès des commissaires du peuple). Lénine était son nom de plume ; son vrai nom était Vladimir Ilitch Oulianov (russe : Влади́мир Ильи́ч Улья́нов).

Il était l’un des dirigeants de la faction bolchevique du Parti ouvrier social-démocrate russe et, après le succès de la Révolution d’octobre 1917, il a créé le premier État socialiste, la République socialiste fédérative soviétique de Russie, et est devenu président de son organe exécutif, le Congrès des commissaires du peuple En 1919, il a remplacé la Deuxième Internationale, le Parti communiste. En 1919, il a dirigé la création du Comintern, une organisation internationale de partis politiques, puis la formation de l’URSS en 1922, occupant le poste de chef de gouvernement (président du commissariat du peuple de l’URSS) dans le pays jusqu’à sa mort en 1924. En tant que marxiste, il a écrit divers ouvrages allant de l’analyse politique et économique à la philosophie, et ses idées ont été reprises sous le nom de léninisme.

O :
Oui, oui, oui, oui, ce goron.
Normalement, quand quelque chose comme ça arrive, ça devient immédiatement un incident.
Mais ça ne devient pas un incident comme ça, n’est-ce pas ?

I :
Non, ça ne l’est pas.

O :
Non, ça ne l’est pas.

I :
J’ai l’impression que cela se fait en douceur.

O :
Si calmement.
C’est plus comme, oui, faisons-le, faisons-le.
Il ne s’agit donc pas de savoir si vous le jetez ou non, s’il est bon ou mauvais.
Je ne pense pas que ce soit une question d’éthique de détruire quelque chose que vous venez de détruire.
Ce n’est pas que c’est mal de casser des choses.
Ce n’est pas que c’est mal de tout détruire, mais il y a quelque chose à dire sur le fait de détruire quelque chose pour le plaisir de le détruire.

I :
Ouais…

O :
Je dessinais sur la façon dont cela se passe dans le cas des images.

I :
Je vois…

O :
Je n’ai pas encore fini de le dessiner…

I :
Hmmm…

O :
Quand il s’agit de dessiner, quand il s’agit de déchirer et d’arracher…
Quand on parle de destruction, c’est un peu…
C’est un peu comme être coupé.
Mais d’un autre côté, ils sont souvent volés, n’est-ce pas ? Des photos…

I :
On ne m’en a jamais volé.

O : Non, on m’a volé un tableau une fois.
Mais souvent, les tableaux de Picasso des gens sont volés.
Le vol de tableaux existe depuis longtemps…

I :
Oui…

O :
Et puis, des décennies plus tard, ils réapparaissent dans un entrepôt quelque part.
Je pense que c’est intéressant.

I :
Je vois…

O :
Avec les statues, vous les faites tomber, vous les faites rouler et vous les jetez à la mer.
Mais dans le cas d’un tableau, vous le volez comme une alternative.
Et ensuite ils les cachent à nos yeux.
J’ai trouvé ça intéressant.
Vous ne pouvez pas voler les photos, mais c’est une histoire intéressante.
Heh heh heh.

I :
Les images sont souvent cachées, n’est-ce pas ?
Ils sont dans les entrepôts des gens et jamais vus par le public.

O :
En effet, en effet, en effet, en effet…

I :
Ça arrive si souvent qu’on ne les voit plus.
C’est incroyable, ça arrive presque tout le temps.

O :
Vous le laissez allumé…
C’est vrai, n’est-ce pas ?

I :
Mais ensuite, vous savez, *28 [à une occasion] il sort et…

*28 [à une certaine heure].
Relation entre le Bouddha caché et Gokaicho. Hibutsu désigne les statues bouddhistes qui ne sont pas ouvertes au public pour des raisons religieuses et sont enchâssées avec les portes de la cuisine, etc. fermées. La pratique consistant à conserver des statues bouddhistes, qui sont à l’origine des idoles destinées au culte, dans une cuisine fermée ou dans d’autres installations de ce type et à les désigner comme “Hibutsu” est un phénomène particulièrement important dans le monde bouddhiste d’Asie de l’Est, notamment au Japon. Au Japon, de nombreuses images principales de temples célèbres sont considérées comme des images cachées de Bouddha, et il existe de nombreuses images cachées de Bouddha dans les images principales de temples soutenues par des croyances populaires, comme les temples des 33 lieux sacrés de la partie occidentale du pays, ainsi que d’autres temples et sites sacrés.
Exemples de statues de Bouddha cachées :.
Horyu-ji Yumuden – Le Yumuden est la salle centrale du Toin du temple Horyu-ji, construit sur le site du palais Ikaruga, qui fut construit par le prince Shotoku. La statue de Kannon du salut enchâssée dans la cuisine centrale du hall est une sculpture en bois de la période Asuka qui serait le corps du prince Shotoku, mais selon diverses sources historiques, elle était déjà considérée comme un bouddha secret au 12e siècle, à la fin de la période Heian (fin du 12e siècle). Selon la croyance populaire, en 1884 (également 1886), Okakura Kakuzo (Tenshin, pionnier de l’enseignement de l’art japonais et de la recherche en histoire de l’art) et Ernest Fenollosa (philosophe et historien de l’art américain) ont visité le Horyu-ji et, malgré les objections des prêtres du temple, ont ouvert la porte de la cuisine, révélant ainsi la statue de Kannon pour la première fois depuis plusieurs centaines d’années.

O :
Oui, oui, oui, oui !

I :
Oui, le temps est une grande chose, car c’est un temps très long, la durée de vie d’un tableau.
Je pense souvent à cela.

O :
Eh bien, c’est intéressant.
Nous parlons de peinture et de sculpture, mais…
Nous ne parlons pas souvent de les perdre ou de les jeter.

I :
On ne le fait pas. On ne le fait pas.

O :
C’est intéressant.

I :
C’est intéressant, n’est-ce pas ?
Par exemple… {I : Yeah, yeah, yeah, yeah.}
Eh bien, vous voyez, il peut disparaître, et il peut aussi sortir.
Nous, les humains, avons créé quelque chose qui a une durée de vie plus longue que le temps qu’il faut pour que l’ojun soit là.
C’est ce qui est si bizarre.

O :
Je vais le faire…

I :
C’est très étrange, n’est-ce pas ?

O :
Tu crois ? Je le savais !

I :
Je pense que oui, c’est vraiment bizarre.
Je pense que c’est vraiment étrange, le sentiment de ne pas vivre dans le présent, même si nous sommes dans le présent.
En termes de peinture, je ne vis pas dans le présent.
Eh bien, je veux dire, c’est maintenant…

O :
Oui, oui, oui, oui.
Je sais, je sais.

I :
Vous comprenez ?

O :
Comprendre, oui, oui, oui, oui, oui.

I :
J’ai toujours eu ça, depuis le tout début, quand j’ai commencé à dessiner.

O :
Oh oui.

I :
Je l’ai su dès le début.

O :
Depuis lors ?

I :
Oui, c’est là que j’y ai pensé.

O :
De l’époque où tu portais ce truc blanc flimsy ?

I :
J’y ai pensé depuis.

O :
C’est pour ça qu’elle dessine comme ça…

I :
Mais tu sais, je ne sais pas si je le dis de la mauvaise façon, mais…
Mais à l’époque, je… J’ai dit aux gens que… Je leur ai dit que le dessin n’est pas pour les vivants.
C’est ce que j’ai dit à l’époque.
Et puis ils m’ont dit, “C’est une chose méchante, méchante à dire.

O :
Oh, oui.
De quelqu’un…

Quelqu’un a dit que je ne devrais pas dire ça.
Je ne pense pas qu’il serait offensé si je le disais, mais cette personne…
Ça ne me dérange pas qu’il l’ait dit, mais…
Elle a dit que c’est pour les vivants.
C’était une femme…

O :
Oh…

I :
Je ne sais pas lequel est lequel.
Est-ce pour les vivants ou…

O :
Par exemple, quand je peins un tableau…
O : Par exemple, lorsque je fais un dessin et que je dessine un dessin pour cette personne, je pense soudain à cette…
O : Par exemple, lorsque je fais un dessin et que je le montre à cette personne, je me demande ce qu’elle dirait…
O : Par exemple, lorsque je fais un dessin et que je dessine un dessin pour cette personne, je pense soudain à cette personne, et je me demande ce qu’elle dirait si je lui montrais ce dessin.

I :
Je comprends.
C’est pourquoi…
De mon point de vue, c’est pour les vivants, n’est-ce pas ?
De mon point de vue, cela a toujours été…

O :
Ouais.

I :
Oui, même avec des personnes mortes.
I : Oui, et aussi avec des personnes décédées, parce que je vois des choses que des personnes décédées ont dessinées et je dis : ” Je vois ce que tu veux dire “.

O :
C’est vrai.
Je vois des tableaux de Van Gogh, Cézanne, Manet, etc.

29 [Van Gogh].
Vincent Willem van Gogh (30 mars 1853 – 29 juillet 1890) était un peintre post-impressionniste néerlandais. Il a peint des tableaux à l’huile précis.

*30 [Cezanne].
Paul Cézanne (19 janvier 1839 – 23 octobre 1906) était un peintre français. Il a exploré un style de peinture original qui n’était pas lié aux promesses de la peinture traditionnelle. Il est souvent présenté comme un peintre post-impressionniste et a eu une influence significative sur le cubisme.

*31 [Manet].
Édouard Manet (23 janvier 1832 – 30 avril 1883) est un peintre français du XIXe siècle. Il a peint des scènes et des personnages d’un Paris en pleine modernisation.

I :
Je me demande si nous pourrions être amis.

O :
Bien…
Il y a donc une différence entre être impressionné par le tableau d’une personne vivante et être impressionné par le tableau d’une personne morte.
O : Donc, quand tu vois la photo d’une personne vivante et quand tu vois la photo de quelqu’un qui est déjà mort et que tu dis “wow”…
Je suppose qu’il doit y avoir quelque chose de différent même s’ils sont identiques.
Eh bien…
Je ne peux pas vraiment dire en quoi c’est différent, mais…
Oui, oui…

I :
Donc, comme maintenant…
Est-ce que vous pensez parfois que vous voulez que cette personne vous regarde ?

O :
Oui, je le fais.
Je me demande ce que cette personne verrait si elle me voyait.
Il y a des gens qui sont vivants et d’autres qui sont morts.

I :
Pensez-vous que ce genre de pensée est normal ?
Pensez-vous que c’est inhabituel ?
Laquelle ?

O :
Eh bien, je pense que je suis un peu gênée.
Je veux dire, tu veux dire tes propres photos.
Donc ce n’est pas tant une question d’autres personnes.
Je veux montrer aux gens ce que je dessine, je veux qu’ils le voient.
Je pense que c’est une intention sous-jacente très forte.

I :
Heh…

O :
Mais si vous n’en parlez pas en public, c’est parce que vous ne voulez pas que les gens voient vos résultats.
Ça doit être difficile pour eux de voir à travers votre ligne de fond.
C’est probablement pour ça que tu ne le dis pas, mais c’est vrai.
Alors, combien de personnes sont en vie et combien de personnes sont mortes ?
Mais je pense que, plus ou moins, ils m’ont donné quelque chose à dire sur mon travail.
Mais il y a des gens qui sont vivants, et d’autres qui sont morts, qui ont donné quelque chose à mon travail, en paroles ou autrement.
Je ne parle donc pas des critiques.

I :
Alors ça n’en a pas l’air.

O :
Eh bien, c’est plutôt un simple sentiment.

I :
Oh, tu es très naïf, n’est-ce pas Ojun ?

O :
Simple…

I :
Cela doit être une grande fonctionnalité…

O :
Hmmm wow.

I :
Zuzu : ……
Hmmm…

Hé, pas pour tout le monde dans le monde…

O :
W : Mm-hm.
O : Non…
A tout le monde dans le monde…
Je ne peins pas pour la paix dans le monde.

I :
Il y a des gens…

O :
Certaines personnes.

I :
C’est intéressant…

O :
Environ cinq personnes, peut-être même pas dix.

I :
Juste avec autant de personnes…
O : Je ne sais pas…

O :
Oui, oui, oui, oui, oui, oui

I :
Mais je ne pense pas que ce soit la force motrice…

O :
Mais oui, oui, oui, oui
Si c’est une motivation…
Oui, oui, oui, oui

I :
Même avec un si petit groupe, nous pouvons nous rassembler

O :
Oui, oui, ça va ensemble.
C’est un petit monde, c’est un petit monde.
Mais certains d’entre eux sont vivants, d’autres sont morts, certains sont vivants, d’autres sont morts.
Les mots qu’ils m’ont donnés, la façon dont ils m’ont regardé…
Il a une force et une impression décisive.
Je pense que ça doit être très profond.

I :
Je ne le savais pas.
Je ne le savais pas.

O :
Eh bien, vraiment… Je suppose que oui…
Je ne pense pas qu’il y en ait dix… Je suis l’un des six ou sept…
Je suis l’un d’entre eux.

I :
Bien… ok.
Mmm-hmm.

O :
Oh, oui, oui.

I :
Mais je suis heureux d’entendre ça, ce genre de choses…

O :
Pas sur l’âge ou quoi que ce soit d’autre…

I :
Ouais…

O :
Je l’ai rencontré pendant que je dessinais.
Et puis je rencontre la personne qui fait et dessine aussi…
Quel que soit leur âge, ils se rapprochent les uns des autres, et les choses recommencent à bouger.
À ce moment-là, il y a un fort sentiment d’avoir vu ou d’être vu, vous savez ?

31 [Vu ou vu].
Les souvenirs des yeux. La communication des yeux. Médiation oculaire. L’éternité d’un instant.

I :
C’est spirituel – quelque chose.

O :
Alors, hmmm.

I :
Je me sens spirituel

O :
Spirituel

I :
C’est comme la petitesse de la chose… Je veux dire, c’est petit, n’est-ce pas ?
I : J’ai l’impression que le sens de l’échelle devient hors de propos…

O :
C’est vrai.
Je lui ai parlé de ça plus tôt dans la journée.
Je lui ai parlé plus tôt dans la journée, mais le tableau que je suis en train de dessiner, j’essaie de le faire réfléchir à la question de l’échelle en termes de tableau.
Je suis en train de faire un dessin sur ce qu’est la norme pour les grands et les petits, et j’essaie de comprendre ce qu’est cette norme.
Je vais le soumettre à la 32e Biennale de Tokyo, qui commence la semaine prochaine.
Je pense que c’est un peu différent d’avoir une seule œuvre originale.
Je pense qu’il devrait y avoir plus d’un original.
C’est une contradiction dans les termes, mais je pense que c’est possible.

32e Biennale de Tokyo
Festival international d’art organisé à Tokyo.

I
I : Oui.

O :
J’ai fait un peu de peinture.
J’ai pensé que je pourrais peut-être l’essayer.
Je ne sais pas, comme, des problèmes d’échelle ou…

I :
C’est…

O :
Un sentiment de distance…
Je ne pense pas qu’il y ait de normes ou de critères.
Je ne pense pas qu’il y ait de normes…

I :
C’est bon ?
Eh bien, non, c’est plutôt normal.

O :
Oh, c’est normal pour nous, n’est-ce pas ?

I :
Cela me semble normal…

O :
Oh, oui…

I :
C’est bizarre… pour les gens qui ne savent pas, qui n’y pensent pas, c’est bizarre…
C’est une histoire bizarre.
Mais peut-être que si tu le fais bien, c’est une histoire normale.

O :
C’est vrai, c’est vrai…

I :
Je pense que c’est une chose à laquelle vous devez penser dès le début.
Par exemple…

O :
Tu sais, tu le faisais quand tu avais 19 ans.
Heh heh heh heh heh

I :
L’avez-vous fait ?
Dans quel sens le faisiez-vous ?

O :
Hé…

I :
Tu voulais dire que tu faisais quelque chose de grand ?

O :
Oui, oui.

I :
Je faisais des choses qui étaient inhabituellement grandes.
Il fut un temps où je dessinais 33 [images de la taille d’une pièce entière].

33 [peinture de la taille d’une pièce entière].
L’atelier est assez grand, mais le tableau est si grand que la pièce en est recouverte. Il était fait sur le sol avec du papier étalé. Dessin au fusain. Comme un fantôme. Un espace chatoyant. Une sensation d’être tiré hors du monde extérieur, comme s’il avait été abaissé. Une sorte de crête flotte. Il était posé sur un chevalet pour s’introduire dans l’espace comme une présence sans pression. Certains sont empaquetés et accrochés dans l’espace avec Asahi. Certains sont enterrés dans la terre. Des choses qui sont devenues des symboles d’un monde sans mots. Des objets énormes mais invisiblement petits. Des objets qui sont comme des esprits du son. Ils remplissent la pièce. Les peintures de Tadasuke Iwanaga de cette période ont disparu et sont pratiquement inexistantes. On ignore également où se trouvent plusieurs photographies prises avec un appareil photo instantané.

O :
*34 [chambre] a dit que quelque chose n’allait pas.

*34 [chambre].
La chambre personnelle d’Iwanaga, en dehors de son studio. À l’époque, la propre chambre d’Iwanaga était un véritable dépotoir, et le niveau de la pièce avait été surenchéri au point qu’il devait entrer dans la pièce pendant qu’elle montait. Je ne sais pas comment il a fait, mais divers déchets s’étaient combinés pour former de la terre dans la pièce. J’entretenais ma moto et je répandais de l’huile dessus. Il peignait parfois à l’intérieur et ses peintures et dessins étaient éparpillés un peu partout. Le seul espace habitable se trouve autour de la zone de couchage et l’espace est incurvé comme l’intérieur d’une grotte. Le réfrigérateur n’avait pas été ouvert et n’était pas branché depuis 10 ans. À l’intérieur se trouvent les premières pommes que j’ai achetées à mon arrivée à Tokyo, en 1999. Le réfrigérateur était ouvert quand j’ai quitté cette chambre, mais les pommes étaient toujours là.

I :
M. Hasegawa, oui, probablement.

O :
La chambre n’était plus vraiment une chambre.

I :
La chambre était si petite que c’était comme de la terre dans la chambre…

O :
Wow (rires)

I :
Il y avait de la saleté dans la pièce, n’est-ce pas ?

O.
(rires)

I :
Et puis ça s’est construit

O :
C’est incroyable.

I :
Eh bien, j’essaie de ne pas le refaire.
Après une dizaine d’années, il y avait de la terre dans la pièce.
Les micro-organismes le décomposent, donc…

O :
Wow, je suis surpris que ça n’ait pas nui à votre santé.

I :
Oui, c’est vrai, n’est-ce pas ?

O :
Tu l’as fait !

I :
J’ai fini par lui faire du mal.
Je pensais que c’était différent, maintenant c’est propre, la chambre est incroyable.

O :
Wow !

I :
Bien, bien, bien, c’est bon.
Je veux dire, l’échelle de ça, l’échelle de ça.
Eh bien, la pièce est intéressante aussi…
Je ne sais pas, j’étais là à l’université, non ?
J’étais là en même temps qu’Ojun.
Tu disais souvent ça, n’est-ce pas ?
La balance est si grande, j’ai beaucoup entendu ça, non ?

35
NAKANISHI Natsuyuki, (1935 – 2016) artiste japonais d’avant-garde et contemporain. Professeur émérite à l’Université des arts de Tokyo. Professeur invité à l’université d’art et de design Joshibi. Ancien professeur à l’Université des sciences et des arts de Kurashiki. Il a également travaillé à la création d’une école d’art. A existé en même temps que Tadasuke Iwanaga et OJUN pendant leur séjour à l’Université des Arts. Il a laissé quelques mots et est parti sans en parler. Horizontal et vertical. Cercles et adjacences. Il considérait profondément le monde dans son ensemble et peignait des tableaux avec son corps. Les grands et les petits peuvent être opposés. Grand ou petit, c’est un mystère, a-t-il dit. Dans la scène Ibarade du film Mimi wo Summaseba du Studio Ghibli, il est question de l’existence de choses qui semblent plus grandes lorsqu’elles sont éloignées et plus petites lorsqu’elles se rapprochent. Habituellement, les choses proches semblent plus grandes et les choses lointaines semblent plus petites. Nakanishi Natsuyuki a également dit la même chose.
Vous êtes en face de moi.
La raison pour laquelle vous êtes en face de moi est qu’il y a un autre vous. La raison pour laquelle votre enfant-fleur est si charmant est qu’il y a un autre enfant-fleur d’un autre endroit qui est aussi charmant. Cette terre existe parce qu’il y a une autre terre. Mais je suis seul sur cette terre, alors que toutes les choses et tous les gens sur cette terre sont aussi sur la terre virtuelle. Je suis de ce côté-ci de la terre, avec un pied sur l’autre côté de la terre avec lequel je suis en contact. Ce n’est pas que si je bouge mon pied ici, je suis ici, et si je bouge mon pied là, je suis là. Parce qu’il y a une toile perpendiculaire à la frontière, je dois donc faire de même. La toile est la frontière elle-même, ou bien elle se faufile pour couper les deux terrains, les freinant pour qu’ils ne se chevauchent pas, surveillant les deux en même temps. Ou alors, il s’assure que les deux motifs sont présents.

C’est la position réelle du gafu, et c’est pourquoi il est fragile, et moi, qui dois y répondre, je suis fragile.

/Natsuyuki Nakanishi

O :
Mais vous avez très bien compris ce que Nakanishi-san disait.
Je ne pouvais pas vraiment comprendre ce qu’il disait.

I :
Oh, je vois.

O :
Il y a des gens qui peuvent comprendre et d’autres qui ne le peuvent pas.

I :
Tu parles de quelque chose de si normal…

O :
Je savais que c’était ainsi… ainsi c’était ainsi… ainsi c’était ainsi…

I :
Mais ce que tu dis maintenant à propos de l’échelle d’ojun…
Nakanishi-san dit la même chose.

O :
Oh, c’est vrai ?

I :
Les bonnes photos ne se soucient pas d’être grandes ou petites.
Même si c’est petit, il y a de grandes images.
Nakanishi-san disait toujours ça.

O :
Je me demande pourquoi je ne lui ai pas demandé quand il était vivant.
W…

I :
Bien… hehehehehehehehehehehehehehehehehehehehehehehehehehehehehehehehehehehehehehehehe

O :
Même s’il y a des gens qui peuvent t’écouter, même quand tu es jeune…

I :
Mais je pense toujours que la classe d’Ojun et de Nakanishi-san était vraiment intéressante…

O :
Ce n’était pas vraiment un cours, cependant…
Mais ce n’était pas du tout un cours…

I :
Aucun d’eux n’était une classe.
T : Non, ça ne l’était pas.
C’était un genre de cours complètement différent.
C’est du genre : “Faisons ceci et cela à l’université”.

O :
C’est vrai.

I :
Je ne pense pas que ce soit la façon dont c’est censé être enseigné.
C’est intéressant quand on doit penser par soi-même.

O :
C’est vrai.
Cette année, depuis l’année dernière, je travaille dans Corona comme ceci.
La plupart des cours de l’université sont en ligne.
Et jusqu’à l’année dernière, environ la moitié des cours de l’Université des Arts étaient en ligne.
Je me suis donc sentie gênée.
Mais un mois ou deux plus tard, les cours à l’université de Tokyo ont commencé, et les cours à l’université de Tokyo étaient plus rigoureux que ceux de Geidai.
L’Université de Tokyo était plus stricte que Geidai, et ils m’ont demandé de le faire entièrement en ligne.
Donc, quand j’ai commencé à travailler en ligne, j’ai senti que c’était vraiment difficile au début.
Mais quand j’y ai réfléchi, il est normal que les gens dessinent sur un si petit morceau de papier avec un crayon.
C’est juste que je ne peux pas le voir, ou je ne peux pas le regarder de près, ce qui n’est pas bon pour moi, mais…
Vous pouvez donc dessiner ce que vous voulez.

I :
C’est une bonne histoire.

O :
Vous le montrez souvent comme ça, comme ça.
C’est très difficile à voir, et je ne peux même pas regarder la vraie chose, mais…
Mais c’est plus important que de voir la vraie chose, car il est indéniable qu’il a fait la vraie chose et l’a dessinée.
C’est plus important.
Je pensais que c’était une leçon pratique, donc…
Je vais essayer de leur demander de m’envoyer une photo à la fin.
En gros, être capable de dessiner, c’est… même si tu ne fais que dessiner ou jouer ou autre…
C’est suffisant…

I :
Ouais, ouais…

O :
Je pense que c’est la base de l’art.

I :
Oui, je le pense aussi.

O :
Hé, tu sais…

J’y pense maintenant que je le sais, ou plutôt j’y pense, car j’ai vu tellement d’exemples.
L’un d’eux est qu’Ojun a également dit il y a plus de 10 ans…
Pas seulement Ojun, mais aussi d’autres personnes, comme Ojun et d’autres personnes.
Lors de l’exposition Vermeer, les peintures du 36e Vermeer étaient beaucoup plus petites que je ne le pensais.

36 [Vermeer].
La couleur bleue est magnifique. Lapis-lazuli. Un groupe de peintures considérées comme les plus précieuses du monde. Il a commencé comme peintre narratif, mais s’est finalement transformé en peintre de genre à partir de La femme qui porte, qui est datée de 1656. Le nombre d’œuvres survivantes est faible, allant de 32 à 37. Johannes Vermeer (néerlandais : [joːˈɦɑnəs vərˈmeːr], 1632. 31 oct ? – 15 décembre 1675 ?) était un peintre de la République fédérale des Pays-Bas (Pays-Bas) et l’un des principaux peintres de l’époque baroque. Son réalisme, sa composition spatiale méticuleuse et son expression de la lumière. Le nom de famille de son père, Vos, signifie renard en anglais. On ne sait pas pourquoi son père a changé son nom de famille en Van der Meer, ni pourquoi Johannes l’a raccourci en “Vermeer”. Les œuvres de Vermeer étaient souvent volées.

O :
Vermeer, ah.

I :
Certaines personnes en parlaient.
OJUN l’a également mentionné

O :
Ah…

I :
Ils étaient très petits, mais ils étaient bons, n’est-ce pas ?
Et il y avait cet autre personnage Moomin, c’était quoi, Moomin…

O :
*37 [Tove Jansson] ?

*37 [Tove Jansson].
Tove Marika Jansson.
(Tove Marika Jansson [tuːve mariːka jɑːnsɔn] 9 août 1914 – 27 juin 2001) était une peintre suédo-finlandaise. romancier et auteur de littérature pour enfants. Il est l’auteur de la série Moomin. Les Moomins sont des personnages mignons, mais leurs histoires sont assez sombres. Lorsque la popularité des Moomins a amené davantage de journalistes et de fans sur l’île de Bledisar, il a construit une cabane sur l’île de Kruv et s’y est installé. Elle passait ses étés sur l’île de Kruv et ses hivers dans son studio à Helsinki. De nombreuses photographies d’elle jouant dans la mer subsistent.

I :
Oui, oui.
J’ai vu une exposition de ses dessins originaux à Kumamoto.
J’ai vu ses dessins, et ils étaient aussi petits que ça.
Le premier dessin qu’elle a fait était petit comme ça.

O :
Oh…
Oh, c’est vrai.

I :
Oui, à peu près de cette taille.
C’est à peu près la taille d’une pièce de 500 yens.

O :
Oh, oui…

I :
C’est une photo.
au premier développement.

O :
C’est génial.

I :
Donc exactement cette histoire à distance et

O :
Exactement.

I :
I : Le sens de l’échelle qui vient de la main.
Je veux dire, les mangas sont vraiment comme ça, et ils sont dessinés en taille B4, mais…
Les dessins d’animation originaux ne sont probablement pas si grands, mais ils sont étirés à la taille d’une salle de cinéma.
Donc ce qui est produit par vos mains est en quelque sorte la taille de la paume de votre main.

O :
Oui, oui, oui, oui.

I :
C’est plutôt mignon, n’est-ce pas ?
T : Oui, oui.

O :
Oui, c’est vrai.
Cette histoire de Moomin est vraiment intéressante.
Je vois…

I :
Oui, mais ils étaient vraiment petits !

O :
Oui, mais tu sais ce que je veux dire.
Tu cours après ce genre de choses, non ?

I :
Ojun, tu le fais depuis longtemps.

O :
W : To and fro, to and fro, to and fro, to and fro, to and fro, to and fro, to and fro, to and fro…

I :
Je le fais depuis longtemps.
Je ne sais pas si vous le faites encore.
Je ne sais pas si vous le faites encore, mais quand vous parlez, vous bougez vos mains dans la taille de la paume de votre main tout le temps.

O :
Bien.

I :
Même sans stylo.
J’utilise mon index tout le temps.

O :
Tu me regardes beaucoup, on te regarde !

I :
Je m’en souviendrai toujours, n’est-ce pas ?

O :
Oh oui…

I :
Tu as dessiné des carrés avec ton index toute ta vie.

O :
Oh, wow, je le regarde beaucoup.
C’est effrayant… C’est effrayant…

I :
Tu as seulement une si bonne mémoire, n’est-ce pas ?

O :
Tu as dit ça… Je le fais toujours. C’est une habitude.

I :
Tu es un petit garçon, n’est-ce pas ?
Je pensais que l’histoire de la télécommande était probablement une très bonne histoire.

O :
Eh bien, je suis désolé pour les étudiants qui sont maintenant éloignés.
Je suis désolé pour les étudiants qu’ils ne puissent pas se voir, mais…
Eh bien, ça dépend de la classe, et tout le monde semble penser que c’est difficile pour les compétences pratiques.
Mais même les étudiants en art ont dessiné chez eux l’année dernière, et comme ils dessinent chez eux, ils ne peuvent pas dessiner aussi grand.
Il n’est pas nécessaire de faire de grands dessins.
Ils dessinent à une taille à laquelle ils peuvent écrire, et c’est comme, “Oh, tu fais de beaux dessins.
Je pensais que tu étais en bonne santé.

I :
C’est vrai, je pense.

O :
Oui, c’est vrai.

I :
Je pense que c’est probablement un phénomène que les Ojuns deviennent de plus en plus énergiques quand il y a des problèmes dans la société.

O :
Woah, woah, woah…

I :
I : Je pense qu’il y a un lien entre cela et le fait qu’il joue avec la paume de sa main.
I : Je pense qu’il y a une sorte de relation.

O :
Ha, il y a une relation…

I :
Le monde est une relation.
I : C’est une relation, mais
I : Mais je ne me laisse pas entraîner…

O :
Eh, hmm (toux)

I :
C’est la beauté de la peinture, n’est-ce pas ?

O :
Peut-être que c’est le cas.
C’est peut-être ce qu’il y a de bien avec la peinture.

I :
Eh bien… c’était un moment très difficile.

Je veux dire, la peinture…
Je ne pense pas qu’il y ait jamais eu de pause.
Je pense qu’il y a probablement eu des moments très difficiles.

O :
Mais… après que le réacteur nucléaire de Fukushima se soit effondré comme ça…
J’ai eu beaucoup de pensées à ce sujet, alors je suis revenu à Saga.
Et puis je suis revenu à Saga, et maintenant je fais un grand projet après l’autre comme celui-ci.
Je suis sûr que c’était aussi un élément déclencheur.
Et puis nous avons repris Corona, et cela dure depuis quelques années, n’est-ce pas ?

I :
Oui.

O :
C’était un autre type d’influence, une bonne influence.
Je suis sûr qu’Iwanaga-san sera influencé par cela.

I :
Je ne sais pas…

O :
Beaucoup de mauvaises choses… pas de bonnes choses, mais…

I :
Ce n’est pas une bonne chose.

O :
Pas bon, mais…
Mais à cause de cela, les choses sont… exposées.
O : Mais ce n’est pas bon.

I :
Hmm…

O :
Si vous trouvez que ce que vous voyez est un peu collant, vous pouvez toujours ajouter autre chose…
O : Y compris la façon dont vous créez votre travail…

I :
Eh bien, vous savez, je ne comprends pas vraiment.
Je ne comprends pas…
Parce que je ne comprends pas

O :
Je ne sais pas…

I :
Je reste juste tranquille.
Je ne sais pas… Je ne sais pas… Je ne sais pas…

O :
Eh bien, nous sommes au milieu de tout ça.
C’est difficile à dire.

I :
Eh bien…
Moi-même… eh bien…

O :
J’ai déjà eu le deuxième vaccin.

I :
Oh, je vois…

O :
C’est déjà gonflé et ça fait mal maintenant.

I :
Alors peut-être que c’est assez bon.

O :
Je me demande…

I :
Je ne sais pas non plus.
Je ne pense pas que tout le monde le sache.

O :
Je ne sais pas.
Je ne sais même pas à quel point c’est bon.

I :
Nous ne le savons pas non plus.
Nous ne savons donc pas tout, et aucun d’entre nous ne sait grand-chose.

O :
C’est exactement ça.

I :
J’essaie donc de ne pas être trop prévisible.

O :
Oui, oui, oui.

I :
Il ne vous reste plus qu’à battre le pavé.

O :
Oui, je le pense.

I :
C’est ce que je ressens.

O :
Je pense que tu as raison.

I :
Je pense que tu as raison…
W : Oui…

O :
Oui.

I :
Hé.
Je peux aller chercher un autre café et on pourra le boire ?

O :
Bien sûr.
Je veux dire, je dois toujours faire ça.

I :
On en fait d’autres ?
Non, y a-t-il autre chose ?

O :
Non, non, non, je n’ai pas de boutique pour un très long moment.

Je suis sûr qu’il n’y aura pas de magasin avant très longtemps.
Réduction du temps sous l’influence de la Corona

I :
Oh, tu devrais y aller.

O :
Je me demandais juste si vous vouliez manger un morceau.

I :
Ok, fixons une heure.

O :
Ok.

I :
C’est précieux.

O :
On prend une tasse de café chacun ?
Tu veux quelque chose de chaud ?

I :
Je vais prendre une tasse de café chaud.
Excusez-moi.

O :
Oui, monsieur.

I :
Oui, c’est vrai.
Je ne sais pas vraiment de quoi tu parles, mais…
Je ne sais pas quelles sont les histoires d’Ojun aujourd’hui, mais il y a beaucoup d’histoires sur Ojun dans le passé, je pense.
Je me souviens de beaucoup d’histoires intéressantes sur lui en Allemagne.

O :
Il a probablement oublié beaucoup de ses propres histoires.

I :
J’ai réussi à m’en souvenir…
Je me souviens d’une histoire sur la façon dont il s’est énervé dans la voiture…

O :
Oh, tu veux dire l’histoire de la rupture ?
I : Oh, tu veux dire celui où tu as rompu avec le violoncelliste ?
Avec le violoncelliste.
I : Oh, vous voulez dire celui où vous avez eu un énorme désaccord avec lui.

I :
I : Ouais.
Je parle de ne pas ouvrir la fenêtre de la voiture.

O :
Oh, comme vous vous en souvenez bien !

I :
Je me souviens de ce genre de choses, n’est-ce pas ?

O :
C’était un type drôle !
C’est un drôle de type.
Il a vécu toute sa vie en Allemagne. Il était musicien.
Il jouait du violoncelle. Il était un peu étrange.
Il était d’Aomori.

I :
Pourquoi y a-t-il tant de personnes inhabituelles à Aomori ?
Il y a beaucoup de gens passionnés…

O :
En effet, nous avons quelque chose en commun… nous avons des nuances subtiles qui sont très proches…

I :
Hmmm…

O :
Les gens que je connais d’Aomori sont…

I :
Hmm…
Il y a quelque chose à leur sujet, n’est-ce pas ?

O :
Oui, il y a quelque chose.
C’était un type étrange…
Mais c’est le genre de personne à qui les gens manquent beaucoup.
Il s’approchait des gens.
Mais il se rapproche des gens, mais il est drôle, alors quand on apprend à le connaître un peu…
Il est très proche des gens.
Alors, partons en voyage.
Le lac de Constance est un magnifique site pittoresque situé à la frontière entre la Suisse et l’Allemagne.
C’est une attraction touristique.
Lorsque Beethoven s’y est rendu il y a longtemps, il a vu la lune se refléter dans le lac et a composé un morceau intitulé “Clair de lune”.
Beethoven a composé un morceau intitulé “Clair de lune” lorsqu’il a vu la lune se refléter dans le lac.

38 [Clair de lune].
La Sonate pour piano no 14 en do dièse mineur, opus 27-2 (“Sonata quasi una Fantasia”) est une sonate pour piano composée par Ludwig van Beethoven en 1801. Il est largement connu sous le nom commun de “Sonate au clair de lune”. Elle est éphémère et belle.

I :
Oui, c’est vrai.

O :
Ouais.

I :
Oh…

O :
C’est un endroit très agréable à visiter.
J’ai décidé d’y aller en voiture. C’était un homme qui aimait conduire.

I :
Ouais.

O :
C’est un conducteur très confiant.
On a donc loué une voiture, moi et ma famille.
Il a conduit, et c’est le seul à pouvoir le faire.
C’est le seul qui peut conduire, alors il a dû me conduire là et revenir.
Mais je lui ai dit que c’était bon, que j’étais un bon conducteur.
Il faisait de plus en plus chaud, et le temps se dégradait.
Ce n’était pas cool en Allemagne non plus.
Il faisait très chaud, et peu de voitures allemandes avaient l’air conditionné à l’époque.
C’était incroyable. Et c’est pareil dans les magasins.
Et comme il n’y avait pas d’air conditionné, il faisait très chaud.
Ojun-san a dit que sa fenêtre était ouverte.
J’ai dit : “Oh, ça me dérange, n’est-ce pas ?
Parce que nous allons si vite, le vent souffle de là, donc…
Je dis que je suis désolé, mais il fait vraiment chaud dans la voiture.
Je vais rouvrir la fenêtre.
Quoi ? Est-il ouvert ? Vous dites…
J’ai dit : “Excusez-moi, pourriez-vous faire une pause quelque part, comme un drive-in ?
Elle a répondu : “Bien sûr.
Sur le moment, tout allait bien, mais lorsque nous avons recommencé à rouler, je ne pouvais plus ouvrir la fenêtre.
C’était bien sur le chemin.
Mais il y a eu de nombreux épisodes intéressants là-bas.
Lorsque le moment est venu de rentrer à la maison, il a fait extrêmement chaud et avant de s’en rendre compte, il faisait presque 50 degrés à l’intérieur de la voiture.
Alors ouvre la fenêtre.
S’il vous plaît, ne l’ouvrez pas.
Ouvrez-le à nouveau.
C’est ouvert à nouveau.
Et puis petit à petit, j’en arrivais à un point où… ma mère est là, la mère de ma femme… c’est une vieille femme.
Excusez-moi, nous allons faire une pause quelque part…
Non, il a dit que si on fait une pause, on rentrera encore tard.
Mais juste un peu, juste une petite fenêtre, c’est bon.
Je suis un musicien, donc le bruit du vent me dérange.

I :
C’est donc de ça que vous parliez.

O :
Oh…

I :
C’est ça !

O :
J’ai dit que je pensais que c’était…
O : Oui, je veux dire, avec le recul, je pense que ça aurait pu l’être.

I :
Peut-être que c’était, oui.
Peut-être le bruit du vent, peut-être que les accords n’étaient pas assez bons.

O :
Oh, je vois…

I :
J’ai un discours absolu.

39 [Hauteur absolue et sensibilité auditive].
L’hypersensibilité auditive consiste en une aversion considérable pour certains sons. Les sons perçus comme étant d’un niveau général sont perçus comme anormalement forts. Par exemple, de petits sons tels que le bruit d’une lampe fluorescente, d’un réfrigérateur ou de la trotteuse d’une horloge peuvent être gênants et insupportables, provoquant des douleurs derrière les oreilles et parfois des maux de tête et des vertiges. La hauteur absolue est la capacité de reconnaître un son de manière absolue, sur la base de la mémoire, lorsqu’on l’entend. Contrairement à la perception de la hauteur relative, qui reconnaît la hauteur d’un son en termes de hauteur relative, la perception de la hauteur absolue est une perception directe de la hauteur du son lui-même.

O :
Il avait un sens absolu du tangage, n’est-ce pas ?

I :
Je pense qu’il l’a probablement.

O :
Il l’a ?

I :
Peut-être que l’accord entre le bruit de la route, le bruit du moteur et le bruit du vent
I : Peut-être que l’accord entre le bruit de la route, le bruit du moteur et le bruit du vent n’était pas assez bon.

O :
Oui…

I :
Je pense que oui.

O :
Je suis désolé pour ça.

À la fin, lorsque nous étions près de notre ville, Giseidlov, je n’en pouvais plus.
“Stop ! J’ai dit.
Ouvrez la porte aussi grand que vous le pouvez.
“Est-ce la chambre à gaz d’Auschwitz ?” J’ai dit.
“On va mourir !” “On va tomber !” Et ils descendent tous.
“Sortez !”
Je ne vais plus avoir de relations avec toi. !!!!! Et puis ils ont rompu avec lui.

I :
I : W. herbe.

I : Hey, Tara, environ un an plus tard, je retourne dans mon pays.
Environ un an plus tard, je suis retourné au Japon, et un de mes amis japonais vivant là-bas m’a dit
J’ai dit : “Hé, tu sais, l’autre jour…”
Quand il est retourné au Japon pour la première fois, son nom était M. N0, et M. N0 m’a dit.
Il m’a dit qu’il avait jeté le travail de M. Ojun lors de la journée des déchets encombrants.

I :
Awww…

O :
I : wtf ?

J’ai dit : “C’est le tableau, n’est-ce pas ?
J’ai dit, “Oui, oui, je lui ai donné.” Quand nous étions proches…
Quand nous étions proches, j’ai dit, “M. N0, ce n’est pas la photo d’Ojun ?
Il a dit que ce n’était pas bon du tout et qu’il allait le jeter.
Il a dit qu’il allait le jeter, alors je lui ai dit que je l’avais.

I :
Alors vous avez survécu ?

O :
Oui, j’ai survécu.

I :
C’est intéressant.

Je ne savais pas que ça allait arriver.

O :
C’est ce qui s’est passé.
C’est une histoire drôle maintenant, mais c’est arrivé.
Mais à ce moment-là, j’ai perdu mon sang-froid.
Mais à l’époque, j’étais en colère, mais je pensais aussi que si vous êtes en colère contre quelqu’un ou si vous n’aimez pas quelque chose…
Vous ne savez vraiment pas.
J’ai pensé.

I :
Vous ne savez pas, n’est-ce pas ?
Mais je suppose que cette personne avait un problème avec toi, et que tu ne serais probablement pas capable d’être avec elle.

O :
Ah.

I :
Probablement.

O :
Il doit être difficile de gagner sa vie ensemble.
C’est probablement pour cela qu’il est un musicien solitaire.
J’ai vraiment senti qu’on ne peut jamais savoir qui sont les gens.

I :
Hmmm… c’est vrai…

O :
Je ne parle pas des bonnes ou des mauvaises personnes.
Je pensais que ce sont des gens que tu ne comprends pas.

I :
Je pense que c’est probablement vrai.

O :
N’est-ce pas ?

I :
Personne ne fait rien de mal.

O :
I : Je sais…

Je lui ai demandé de quoi il avait le plus peur.
Je suis allé à ce lac Boden et j’ai séjourné à cet hôtel.

I :
Ouais.

O :
Et j’ai dit que j’avais peur d’un bol de riz.

J’ai cru que j’avais mal compris. Donburi ?
Donburi signifie “bol de riz garni de poulet et d’œufs” ou “bol de riz garni de tempura”.

J’ai dit, pourquoi ?

Tu le manges comme ça.
Comme vous mangez de moins en moins, vous le remplissez comme ceci.
Puis le bol se retrouve devant votre visage et vous ne pouvez plus voir ce qu’il y a devant vous.
C’est de cela qu’ils ont peur.

I :
Je ne le comprends pas du tout.

O :
Oh, c’est de ça qu’elle a vraiment peur.
C’est pourquoi elle dit que manger un bol de riz avec un bol est la pire des choses pour elle.
Je suis le pire pour manger avec un bol de riz.

I :
Je ne comprends pas.

O :
Vous ne comprenez pas, n’est-ce pas ?
Donc même à cette époque, je pensais qu’il était bizarre.

I :
W

O :
Mais plutôt que cela, ce dont elle a peur ou ce qui la dérange est quelque chose que seule cette personne peut vraiment comprendre.
Seule cette personne le sait.
Je ne sais pas… maintenant…
Oui, c’est ce dont je parlais.

I :
C’est très intéressant !

O :
Hmmm…

I :
Ok, le dernier, c’est le dernier.
Je vais te raconter une histoire de fantôme sur moi qu’Ojun connaît.
Pouvez-vous nous raconter une histoire de fantôme ?

O :
Une histoire de fantômes…

I :
Tout est bon, juste un.

O :
Eh bien, le plus récent… c’est celui dont j’ai rêvé.
Et puis il y en a un dont j’ai peur.
J’ai eu un chat il y a 12 ans maintenant.
Je crois qu’elle a vécu 22 ans.

I :
Er, il a vécu à peu près aussi longtemps qu’un être humain.

O :
Mm-hmm.

Et puis, quelques mois avant ma mort.
Je suis allé en Argentine pour la formation à l’étranger de l’Agence pour les affaires culturelles.
J’étais bien alors.
Je lui ai dit que j’allais en Argentine.

Il s’appelait Fals.

Il était vieux, mais il allait bien.

Je suis revenu.
Il allait bien.

Soudain, le lendemain, il ne pouvait plus marcher.
Mais quand j’y pense, il a plus de 100 ans.
Je me suis dit qu’elle avait dû m’attendre.
Il est mort au bout d’une semaine.

Un peu plus tard, je dormais dans ma chambre.
Je dormais. Je dormais dans la chambre du haut.
Je dormais avec ma femme, et c’était le milieu de la nuit.
Ma fille était là, mais elle n’était qu’une petite fille, et elle était dans la pièce de devant.
Elle ne se réveille jamais après s’être couchée, donc elle a dormi tout le temps.
Puis je l’ai entendue monter les escaliers… thump, thump, thump.
C’est le bruit de notre chat qui monte les escaliers.
Comme ça…
Elle a monté les escaliers, a fait un faible bruit.
Il a marché jusqu’à la porte.
J’ai la chair de poule, même maintenant.
Je ne sais pas, mais il y a quelque chose ici.
Je ne sais pas, mais quelque chose est là… à travers la porte.
Je pensais que c’était un voleur.
J’ai dit : “Qui est là ?”
J’ai ouvert la porte.
Mais il n’y avait personne.

Ma femme semblait être réveillée.
Je lui ai dit que j’avais entendu des bruits de pas.
Elle a dit qu’elle les avait entendus aussi. J’avais trop peur pour me lever.
Elle a dit qu’elle était sûre.
J’ai dit : “Qui est-ce ? Que se passe-t-il ?
Peut-être… Fals, je ne sais pas, mais il a dit, “Merci”.
J’avais tellement peur, je pensais qu’il y avait quelque chose à travers la porte.
Je ne peux pas le voir, mais il y a quelque chose là.

Je pense que c’est effrayant.
J’ai pensé que c’était la chose la plus effrayante que j’aie jamais entendue.

I :
C’est une histoire de fantômes !
Merci beaucoup.

O :
Comme une bonne histoire qui se termine bien.

I : O :
Merci pour aujourd’hui.

+

J’essaie de me rapprocher de l’image.

Inagivedev Konomovskiy

+ –

 

 

 

 

 

 

 

 

Интервью с OJUN

Художник Оджун родился в Японии. Он также имеет корни на Хоккайдо. Он побывал в Германии и в конце концов вернулся в Японию. Закопав его тело в землю и положив ему на голову бананы, он почему-то начал рисовать картины. Он рисовал чашки, цветы, телевизоры, людей с железными шарами и т.д. Люди в жилетах с бомбами. Он красил лодки и т.д. Он преподавал в Токийском университете искусств, художественных школах, Joshibi, Tokyo Zokei в качестве профессора и обучал многих людей. Учил ли он, учили ли его, или он просто был там? Он играл со всеми? Интервью с Тадасукэ Иванага. Мужчина, которого я встретил, был крупным, но чистым джентльменом в рубашке “алоха” и больших сапогах. Он был худым, как девочка. Но, как и старуха, он – большой, морщинистый, свежий мужчина. У него длинные ноги. Воздушный шар.

Теперь об интервью.

 

O: OJUN
Я: Тадасуке Иванага

 

O:
Ну, нет, но ты не изменился, как обычно.

I:
Мало что, возможно, изменилось.

O:
Ты совсем не изменилась.
Сколько вам сейчас лет?

I:
Более 40 лет.

O:
За 40, да?

I:
Это удивительно, не так ли?
Я знаю тебя с 19 лет.

O:
Я вижу.

I:
Оджун тоже меня знает.

O:
Неудивительно, что я старею!

I:
Верно, вы потрясены, не так ли?

O:
Так что, знаете, мы были одноклассниками… п. и я, наверное, тоже примерно в этом возрасте, да?

I:
Да, да, да, мы были одинаковыми.

O:
Понятно…

I:
Оджун для меня больше похож на отца, хаха, больше похож.

O:
Я: Я не смог сделать ни одного отцовского поступка, но эй! {Я: Я не уверен}.

I:
Ну, он был довольно хорош в этом…
Я смог сыграть роль отца для многих людей.

O:
Нет, нет, нет, нет, нет…

I:
Я думаю, он хорошо справлялся со своей работой.

O:
Нет~

I:
Все так говорят, даже участники группы *1[member itagaki].
Как токийский отец в Токио.

*1[член Итагаки].
Я: Я доктор Мамитрия Юлит императрицы Йонагунисан, мы познакомились в 1999 году.
Юлит Лилит.
‘123 fairy tail chimidoro phenomenon satan Inferno dress ha cattlemurarete Yggdrasill hawasasaru’
’25/12/2013′

O:
Токийский отец
“Токио, папа, я вижу тебя изредка, а ты даже не получаешь карманных денег”.

I:
Нет, но мне кажется, что я уже давно всех угощаю… ку-ку-ку.

O:
Нет, нет, нет…
Я не покупал тебе много еды.

I:
Нет, просто меня много кормили.

O:
О, я вижу…
И теперь Тадасукэ Иванага занимается в Саге… своеобразным бизнесом…
Это большой бизнес, не так ли, когда вы достигаете таких масштабов?

I:
Да, бизнес.

O:
Да, это так…
Ну, меня нет рядом с такими вещами, так что…
Я не могу себе этого представить…

I:
Хммм…

O:
Например, в наше время…
“Давайте сделаем это в гостиничном номере с искусством”…
Ну, что-то в этом роде.
Есть и такие проекты.
Художник оформляет комнаты и так далее…

I:
Да.

O:
У вас есть сама комната, не так ли?
Вы его создали.

I:
Здание, да.

O:
Сколько различных видов деятельности вы сейчас делаете?
Прежде всего, как писатель?

I:
Ну…
Во-первых, я ресторатор. Я готовлю.

O:
Ты готовишь?

I:
Я готовлю каждый день. Я учусь готовить.
Хотела бы я уметь готовить…
Я чувствую себя так, будто это у меня берут интервью.

O:
Нет, эм…

I:
Здание.
Я строю.

O:
Вы занимаетесь архитектурой.

I:
Я занимаюсь гражданским строительством.
Гражданское строительство. Я занимаюсь общественными работами.

O:
Да, я знаю.

I:
А я управляю рестораном.

O:
Да.

I:
Отель.
Я управляю отелем.

O:
Ха.

I:
И скоро откроется отдельный магазин.

O:
Также новое место

I:
Нет, в том же месте.
2 [в большом здании].

*2 [в большом здании].
Я имею в виду genius loci, genius loci существует в горном районе города Арита, префектура Сага. kinbosi/emerald/abyss/ammonite hotel – группа зданий. kinbosi предлагает карри со специями. emerald – это Отель ammonite – это тихий дизайнерский отель, который любят путешественники со всего мира.

O:
Хм.
Скоро будет, да.

I:
Я работаю над этим.
Сейчас я усиленно работаю над этим.

O:
Я делаю керамику, я делаю одежду.

I:
И я делаю одежду, и я делаю мебель, и я делаю мебель и…

O:
О: О!
Итак, это все – еда, одежда и кров.

I:
Все, да, и я делаю дома.

O:
Я также создаю дома. Это означает все в жизни человека, в быту.

I:
Да, именно так.

O:
Правильно.

I:
Да, я думаю, я делаю все из них. Это трудно, но я делаю это.

O:
Ха!

I:
Итак, мы собираемся открыть новый музей в августе.

3 [художественный музей].
Музей современного искусства “Бездна”, пристроенный к “Genius loci”, был создан исключительно как пространство для соприкосновения с картинами. Рассматривается при естественном освещении. Предназначен для охвата инь и ян. Большие горизонтальные гроздья из стекла и растений. Светлое пространство и темный коридор циркулируют через свет. Ян в инь и инь в ян. Он символизируется и циркулирует в архитектуре в виде вращающегося вихря. Выставка находится в части “ян”, теневая часть пространства не открыта для публики. 2021/8/21 Сатору Курата / “Спокойной ночи”. Дизайнер Тадасуке Иванага.

O:
Все это я делаю в Saga.

I:
Они все в Саге. Они все в одном месте.
Эй, они все сделаны в одном месте, верно?
Так что…

O:
Интересно.

I:
Таким образом, у нас много людей, представляющих там свои работы.
Я: Итак, я хотел бы оставить что-то после себя, понимаете?

O:
Оставить что-то после себя.

I:
Я рад, что мы это сделали.
Я: Я не хочу, чтобы это заканчивалось.
Я: Я хочу вести записи о том, что я сделал.

[звонит мобильный телефон]

O:
Да, да, да.
Я выключу его на некоторое время.

I:
Да, да.
Любой способ подходит.
Я хочу оставить его.
Мне кажется, что я видел, как многие вещи исчезают.

O:
Это здорово. Это интересно.
Интересно, что вы хотите оставить что-то после себя.

I:
У Оджуна тоже было много интересных историй.
Это просто в моей памяти, это просто в моей памяти, это просто в моей памяти, это всегда было там.
Не только в памяти Оджуна…

O:
Нет, это не так.

Я думаю, что каждому было что сказать.
Было время, когда здесь были интересные пейзажи.
А потом они стали исчезать из города.
Я хочу оставить после себя вещи, которые исчезли, и люди тоже исчезли.
Именно к этому движется музей.
Но это еще не все.

O:
Слово “оставить позади” – это то, что меня тоже очень трогает.

I:
Это заставляет меня чувствовать себя напряженным…
Хм…

O:
Хммм…
Ну, если вы нарисуете картину, она останется…

I:
Он остается, не так ли?
Я думаю, это потрясающе.
Это…

O:
Но, например, есть картина, нарисованная Тадасуке Иванага.
И…
У вас есть рисунки, которые нарисовал Иванага Чусукэ, или они где-то хранятся?

I:
Да и нет

O:
И.
Я: То есть, сразу после того, как он/она ее нарисовал/а или до того, как он/она ее куда-то отнес/а.
Например, на выставке или в своей студии.
Я: Я…

I:
Я… видел это.
Да, да, да.

O:
Мы вместе делали выставку на *4[Национальном международном].
Я видел это снова на подобных выставках, и я видел это в галереях.
Но теперь он прямо передо мной, и даже если бы я захотел его увидеть, я не смог бы увидеть его сразу.
Но в то время это произвело на меня очень сильное впечатление.
И картины Иванаги Тадасукэ, которые остались в моей памяти, это…
Я вижу это почти без сомнений.
Но когда я на самом деле смотрю на них, там, вероятно, есть всевозможные ошибки и вещи, которые я упустил из виду.
Я должен посмотреть на это еще раз.
Вот почему это возможно, когда есть оставленные вещи.

4 Национальный музей искусств, Осака.
Национальный музей искусств, Осака. Огромный музей с коллекцией произведений со всего мира. Расположенный в Наканосима, Кита-ку, Осака, музей находится в ведении Независимого административного учреждения Национальный музей искусств. Коллекция состоит в основном из произведений современного искусства Японии и других стран периода после Второй мировой войны. Он был основан в 1977 году. Первоначально музей располагался в Парке памяти Экспо-70 в Суита, Осака, но в 2004 году переехал на свое нынешнее место. Это полностью подземный музей, что является редкостью во всем мире, а его архитектура вдохновлена жизненной силой бамбука и развитием и ростом современного искусства.

5 [Галерея].
По всему миру существуют различные галереи. Токио. Художники представляют свои работы, переходя из одной галереи в другую. Коллекционеры и художники посещают такие места, и мало-помалу формируется свод работ. Мало-помалу, в одном уголке мира.

I:
Правильно.

O:
Да, да, именно поэтому я хочу посмотреть его снова.
Если он все еще там, я могу увидеть его снова…

I:
Да, именно так.

O:
Вот почему я думаю, что это много значит, эта большая вещь.
Мы пытаемся сделать…

I:
Мм-хм.
Я: Да, это только то, что осталось.
Я не знаю, я…
Я не могу многому научиться.
Я учусь только у тех, кого я знаю, понимаете, слова…
Это очень мало, но это важно.
Я могу видеть, что делает кто-то далеко, только когда он еще там.
Только когда ты еще здесь.
Поэтому, поскольку вы находитесь рядом, вам не нужно ничего оставлять, и вы склонны сокращать расходы.
Я думаю, что у меня была тенденция к сокращению углов.

O:
Да, со мной такое тоже случается.

I:
Я не замечаю его. Он так близко, что я даже не замечаю его.
Я: Я не осознаю, что есть так много вещей, которые я должен был оставить позади.
Я начал понимать это несколько лет назад…

O:
И тогда вы начали заниматься тем бизнесом, которым занимаетесь сейчас?

I:
Ну, да, я так думаю.
Я занимался только живописью, просто живописью, так что был огромный разрыв…

O:
Хммм…

I:
Я имею в виду, что мир удивителен, я думал, что не смогу жить в этом мире.
Было время, когда я вкладывал в искусство все, и это было долгое время.
Думаю, с этого все и началось.
Я начала думать, что мне нужно встречать все больше и больше людей, с которыми я не могу поговорить.
Было время, когда я начал думать, что будет нехорошо, если я не буду встречать все больше и больше людей, с которыми не могу поговорить.
Вот почему я не мог разговаривать с людьми, с которыми обычно не мог разговаривать.
Не знаю, может быть, это потому, что я не могу разговаривать с людьми, с которыми не должна разговаривать, но…
Мне хотелось встречать все больше и больше людей.
И я хотел быть благодарным самым разным людям.
Раньше я их очень ненавидела.

O:
Вау.

I:
Это будет моя история, хаха.

O:
Я вижу

I:
Но я думаю, что вы выросли, но не до такой степени.

O:
Совсем нет
Но… нет, мне удивительно слышать подобные высказывания от самого Иванаги.
Мне удивительно слышать подобные высказывания от самого Иванаги.
Но, *6 [тогда], даже если он не выражал это словами…
Но, *6[в те времена], даже если он не выражал это словами, у него всегда была такая сила, такой дух того, что он пытался сделать.

В те времена.
Пейзажи Токио с 1999 по 2010 год.
Начался чемпионат мира по футболу. Появился Хёдор. Перед театром Синдзюку Кома царил хаос, а Сабуро Китадзима расхаживал по сцене. Бродяги продолжают петь песни о конце света. Голая старая бродяжка царствует как императрица и танцует у автоматической двери пачии. Пол винтовой лестницы в Liquid Room на самом деле волнистый с восходящим дверным проемом, ведущим в адские небеса. Наступил рассвет интернета, и число калек сетевых игр увеличилось. Тем не менее, веселье и неклассическая культура были на высоте. Город был полон мотоциклов. Здесь много людей с музыкальными инструментами, рабочие весело переговариваются, а вишня всегда цветет. В Западном Токио всегда есть закат. Асахи происходит из Инубодзаки на востоке страны. Шоссе Оме продолжается до Окутамы, где находятся известняковые пещеры. Суикинкуцу останавливает время, и город наполняется духами и драконами. Город, расположенный на большой набережной, мало-помалу изменился со времен Улицы ветров. Сердце Эдо тоже немного здесь, спит в парке. Художники продолжали рисовать.

I:
Думаю, да.

O:
Да, да.
И я знал, что то, что они пытались сделать, было сильно во мне, когда я увидел это, и это всегда будет там.
То, что я пытался сделать, было сильным в том, что я видел.
И это были не только фотографии.
Ваша *7, такая вещь, как бы это сказать, действительно…
Это действительно только часть, но она все равно есть.
Когда я говорю, что оно остается, я имею в виду, что оно остается физически.
Когда она входит в тело, она проходит через физическое тело, поэтому…
Тело становится фильтром, через который отбираются и отбрасываются всевозможные вещи.
Есть вещи, которые остаются, и вещи, которые не остаются.
Так, у Иванаги Чусукэ рисунки, слова и персонажи, которые он рисует, фрагментарны.
Но то, что он остался, – крайне редкий случай.

7 [Слова написаны примерно так].
Примерно в 2004 году Иванага записал в TEXT сцену, похожую на сон.
Настоящий текст не сохранился, и в настоящее время его местонахождение неизвестно.
Текст, который, возможно, сохранился только в памяти ОЮН, самого Иванаги или нескольких других людей.
Текст о пейзаже извилистой дороги, выходящей на карьер. Таапамин.

I:
Это так?

O:
Их не так много, я так и знал. Хммм…
Вот почему они должны быть такими сильными.
Я: Я думаю, именно поэтому они такие сильные.
Конечно, вы делаете много вещей всесторонне и комплексно, но вы также изучаете много вещей.
Я уверен, что вы многое изучили.
Но есть в тебе что-то, что поражает меня своей глубиной и силой.
Я думаю, это было с 19 лет.

I:
Я думаю, это было там.

Там был смысл, который показался мне очень интересным.
Я думаю, это было потому, что я был из сельской местности.
Я чувствовал себя иностранцем даже в Токио.
Поэтому я оделась как зомби.
Как зомби.

8 [Из сельской местности].
Культурный разрыв во многих отношениях. Период интенсивных культурных столкновений между музыкой, искусством, мыслью, культурой, Старым Светом и Новым Светом. Культурный разрыв, разделивший Старый Свет. Старый мир всегда будет оставаться и пытаться сдерживать. Новый мир все время пытается родиться, но продолжает вырываться из плена. Когда Интернета еще не было, темнота все больше обязывала. Красивые пейзажи и темнота – это резкие яркие и темные пейзажи, сильно возбуждающие чувства.

9 [Подключение белой бумаги].
Покрытая бумагой одежда из черного дерева, которая была продана в Синдзюку Секайдо в 1999 году. Она была свободного размера, пуховая, хлипкая и чисто белая. Одежда, которая предназначена только для того, чтобы пачкаться.

O:
Да, да, да – да, да.
Это был бумажный косяк!

I:
Этот дешевый.
Это тот же материал, что и самые дешевые грязевые маски, продающиеся в 10 Sekai-do.

10 Секайдо.
Sekaido – специализированный магазин художественных материалов и канцелярских товаров с главным офисом в Синдзюку, Токио. Основанная в 1940 году, в 1947 году она была переименована в Sekaido, а в 1969 году открыла филиал в парке Икебукуро, и по сей день имеет филиалы в Икебукуро, Тачикаве и других местах Токио, а также в префектурах Канагава и Айти. Он может похвастаться огромным выбором художественных материалов, принадлежностей для комиксов, канцелярских товаров и принадлежностей для рисования. На большинство товаров действует скидка, обычно 20%, но если вы подпишетесь на “Saikyodo ST Card”, то сможете заработать дополнительные 7% в виде баллов, которые можно использовать при следующей покупке. Карта World Trade Centre ST Card стоит 500 иен и действительна в течение двух лет. Знаменита своей копией “Мона Лиза поражена”. На вывеске магазина и на карте Всемирного торгового центра CB Card изображена иллюстрация “Моны Лизы” Леонардо да Винчи с открытым от удивления ртом. Магазин стал достопримечательностью Shinjuku 3-Chome и также известен как “священное место искусства”. Чуть дальше по улице находится Академия искусств Синдзюку. Это похоже на тигриное логово для студентов художественных вузов, готовящихся к вступительным экзаменам, и студенты художественных вузов часто слоняются здесь, занимаясь в грязи. Многие его работы созданы из художественных материалов, приобретенных в Секайдо. Всемирный зал стал для Иванаги почти домом. Они даже режут и продают бумагу на месте. Существует огромное разнообразие бумаги, и вы можете выбирать из образцов. В то время на верхнем этаже продавались декорированные рамы, но я никогда не видел там никого.

O:
Да, да, да.

Это как нетканый материал, не знаю, как это называется…
Материал для масок У меня есть только около двух предметов одежды.
Я не носила никакой другой одежды около двух лет.

O:
Я думал, что это тот лабораторный халат, но это не так?

I:
Да, это была бумажная заплатка.
Я весь год жила в этой бумажной яме.
У меня были только эти два предмета одежды.

O:
Это так?

I:
И я жил во всех из них.
И www. Я летала на самолетах и все такое.
Абсолютно опасно.
Это было определенно опасно.

Все они [все окрашены в цвет краски].
Его никогда не стирали, потому что он рвется при стирке. Иванага всегда носила его, когда рисовала, и почти все время, когда она выходила на улицу, она надевала Нуки. Естественно, поскольку это бумага, она повсюду ломается. Оторванные части были восстановлены путем соединения их булавками. Область промежности и другие части тела были закрыты булавками, потому что их интенсивно ломали. Булавки часто отрывались и втыкались в кожу.

O:
Это опасно!
А если тебе 19 и ты так одета и летишь на самолете…
Я бы сейчас немного нервничал.

I:
Сейчас я бы не смог этого сделать.
Я шла и услышала голоса.
Я слышал голоса.
Из самых разных мест.

O:
Конечно.

I:
Я постоянно слышу голоса, которые говорят, что мне страшно, что я в опасности, что я все время хожу.
Вы могли слышать, как они просто ходят вокруг.
Это было такое время.
В то время у меня был первый урок в Оджуне.
Я хорошо это помню.
Во-первых, Оджун был очень зол на меня.
Это был первый раз…

O:
Правильно.
Я ничего не делал.

I:
Это было очень интересно.

O:
Да, я ничего не делал. Я ничего не делал.
Просто бродил туда-сюда, бродил туда-сюда, выглядел полуголым.
Просто бродил, бродил…
И я ничего не делаю, хотя это семинар, на котором мы должны нарисовать много рисунков.
Мы должны сделать тысячу рисунков, но мы не делаем ни одного.
Он одет как бродяга.
Я подумал, что он, должно быть, сошел с ума.

12 [Рисунок].
Акт быстрого рисования с использованием простых линий и цветов. Как и tableau, он требует мгновенных идей, а не продуманных конструкций. Примерно в 1999-2007 годах ОЮН читал курс в Токийском университете искусств, где особое внимание уделялось рисунку. Его можно назвать ведущей фигурой в рисовании. Он проводил свое время в свободе рисования в поисках новых, никогда ранее не виденных картин. В обмен на живость образа, мгновенно возникающего из ничего, существует опасность небытия из-за свободы. Если это не удается, то это действительно не что иное, как мусор. Но как художник, я не могу не участвовать в этой области.

I:
Я уверен, что вы правы…

O:
Я думал, что должен вложить в это немного жизни *13 [я был молод].
Что ты делаешь! (восклицание) или что-то в этом роде.

13 [Я был молод, знаете ли].
ОЮН обладал огромной рамой и был физически крепким.
С чувством подавленности, 1999 год.

I:
Да, да, да, да.

O:
Да, да.
Я сказал: “Почему ты не делаешь этого?
И я не помню, что он сказал и что ответил.
Он ничего не ответил… как… как… как… он даже не спросил… как… как… Как…

I:
Например, “хммм” или что-то в этом роде.

O:
Так что там много людей, поэтому есть по крайней мере один человек, который не может помочь.
И тогда я сказал: “Ну, это месячный курс, так что это примерно полмесяца.
Занятия длятся месяц, так что прошло примерно полмесяца, а потом настало время критики.
Затем последовала критика.
Накануне мы просмотрели все рисунки, один за другим.
Затем я просмотрел все рисунки, один за другим.
Я рассматривал все рисунки, и…
Есть один человек, который просто невероятен.
Он такой плохой, он умный, хитрый и ужасный со своими рисунками.
Это просто рисунок.
Рисование – это просто рисование, это просто, знаете, это просто, знаете, это просто, знаете, это просто…
Это не простой стиль живописи, не западный стиль.
Это как само рисование.
Но рисовать – это не значит рисовать красивые линии.
Это то, что выходит из тела человека, то, на чем написано слово “рисунок”.
Как будто все тело человека…
И есть отличный вариант!
Там есть отличный вариант.
В это время вы тоже должны быть на сервере.

14 [Хасэгава Сигэру].
После окончания Университета искусств Аичи в 1989-1992 годах учился в Художественной академии в Дюссельдорфе.
1992-1994Прогулки по De Ateliers, Амстердам.
После многолетних скитаний по Европе в настоящее время живет и работает в Японии. Участвовал в художественных фестивалях в Индии.
Темный художник. Художник в темноте.

I:
Эй.

O:
И он сказал: “Это удивительно, не так ли?” И я сказал: “Кто это?
И он сказал: “Иванага Тадасукэ”.
Я сказал: “Да, да.

O:
Он сказал, что это он.
Он сказал, что в то время не нарисовал ни одной картины.
Я подумал: “Этот парень невероятен!
Он сказал: “Ты сделал это, папа, ты сделал хоум-ран.
Он такой: “Это хоумран!

I:
Да, да, да.

O:
В то время это называлось экзаменом для повторного поступления, поэтому нам пришлось пройти его еще раз.
Рисунок – это вступительный экзамен.
И мы решаем, кто пройдет, а кто нет. И кто проходит?
Прошли только два человека.

I:
Да, да, да.

O:
И альтернативный вариант.

I:
В такие моменты есть и такие люди, как 15 [Ногучи-кун], и около трех человек, которые попали в плен.
15 [Ногучи-кун].
Ранее работал продавцом в магазине электроники. До этого он работал продавцом в магазине видеофильмов. Покупали одежду на Западном побережье.
Имеет много экстрасенсорных переживаний.

O:
О да, около трех.

I:
Это здорово, это было интересно.

O:
Это было интересно!

I:
Все началось с ярости.
Все началось с ярости.
Я думал, это было идеально.

O:
Я не имею в виду 16 [Мелос был в ярости], но…

Мелос был в ярости.
Первая часть Running Melos / Мелос была яростной. Он решил, что должен избавиться от злого и тиранического короля. Мелос не понимает политики. Мелос – деревенский пастух. Он прожил всю свою жизнь, дуя на флейту и играя со своими овцами. Но он был более чувствителен к злу, чем большинство. ……. Мелос был в ярости.
2 “Какой царь! Я не оставлю его в живых”. ・・・・・・・・・・ Жених съежился и смутился. Мелос рассмеялся и поприветствовал жителей деревни, затем ушел с пира, спрятался в овчарне и заснул глубоким сном, словно мертвый. / Мелос был в ярости в начале “Бегущего Мелоса”.

I:
Это контраст, не так ли, У. Правда.

O:
Он такой: “Это он будет тем, кто умрет!

Кукукку.

O:
Мы с господином Хасэгавой закатили глаза.
“Боже мой, он здесь!
Я хочу показать его Асаи.
Вот почему я рисую его таким образом.
Я видел много подобных вещей, и я тоже это делаю.
Я не знаю, как это назвать.

17 [Асаи].
Асаи присутствует.

I:
Эй, это…

O:
Как будто вы отражаетесь во всем.
Простите, что использую эту аналогию, но вы купаетесь в свете атомной бомбы, а все, что вы видите – это тень…

I:
О, возможно, вы чувствовали себя так же.
В то время я был в беспомощном состоянии…

O:
Были времена… Я не имею в виду то, что я рисовал…
Я не говорю, что я рисую… Я рисую объект.
Это не было похоже на то, что я рисую объект.
Это было больше похоже на то, что что-то проецируется.
Я рисовал что-то подобное.
Я был полностью поглощен этим способом рисования, этим жанром…
Она полностью переполнилась.
Ну, после этого я работал неполный рабочий день около двух лет, а потом уволился.
А с 2010 по 2012 год я работал в университете до недавнего времени.
Я давал уроки каждый год…
После этого я видел много интересных студентов.
Но я не думаю, что есть кто-то, кто когда-либо производил что-то, что проецировалось бы подобным образом.

I:
Понятно…

O:
Ну, мне было интересно, как все обернется после этого.
Но потом он начал рисовать все больше и больше, но я не знаю, как он это делал.
Он рисует на самых разных вещах, например, на мотоциклах.
Вы когда-нибудь видели мотоцикл? 18 [Мотоцикл господина Иванаги?] (Asai.)

18 [Мотоцикл г-на Иванаги?]
Внедорожный мотоцикл xr250baja, измененный до неузнаваемости, весь его корпус выкрашен масляной краской. Чудовищный мотоцикл. Подвеска, двигатель и рама были изменены. Стекловолокно похоже на волосы на теле живого существа. Окрашенный стальной бак прекрасен. Тадасуке Иванага не мог ездить на поезде, поэтому он использовал этот велосипед для всех своих поездок. Даже в дни тайфунов и снегопадов.

I:
Нет, у меня нет асаи.

O:
Больше никаких велосипедов…

I:
Нет, есть (мотоциклы)…

O:
Есть ли.

Я, наверное, не показывал его тебе

O:
Это было потрясающе.

I:
Он все еще там.

O:
Он все еще там!
Вы определенно должны сохранить его!

I:
Вы должны сохранить его!

O:
Вы должны сохранить его!
Велосипед полностью окрашен.
Это чудовищный мотоцикл, не так ли?

I:
Да, это так, не так ли?

O:
С другой стороны, он также рисует комиксы.
Он человек, который не ограничивается рисованием.

Я вижу.

O:
Хммм…
Однако его одноклассники, многие из которых были весьма талантливы.

I:
Ну… возможно, так и есть.

O:
Да, их было много.
Например, Фумико Кобаяси, которая скончалась.
Если бы она была немного лучше, то очень скоро вышла бы на мировую арену.
Кроме того, есть интересный человек, который очень хорошо рисует.

19 [Фумико Кобаяси].
*Фумико Кобаяси / Она сделала коллекцию тухлых сырых яиц, сидящих в черной палатке, и нагромоздила кучи мусора. Любил искусство. Упала в разгар активной деятельности. В то время Иванага подарил ей картину с изображением единорога. OJUN предоставил текст для художественной книги Кобаяси.

I:
Возможно, это было время, когда было много людей, которые очень много рисовали.

O:
Да, как ◆□■chan.
В любом случае, существует множество различных типов.
Но в том учебном году было много выдающихся.

I:
Действительно, университет был очень интересным

O:
Интересно!

I:
Очень интересно для меня!

O:
И после этого вы дошли до Доктора, не так ли?

I:
Да, это было интересно, очень интересно.
Каждый день был интересным.

O:
Но даже после получения докторской степени я все еще много писал о диссертации, которую я написал.

20 [Этот тезис].
Докторская диссертация.
Есть отрывки, в которых описываются мистические переживания Иванаги.

I:
О, это стало проблемой!

O:
Об этом говорят…
О: Об этом говорили… Гейдаи теперь признает такие вещи как своего рода экспозицию.
Короче говоря, как то, что вы пишете своими словами.
В других университетах все было бы иначе…
Но в Гейдае у нас есть такие вещи…

I:
Я хотел бы услышать об Оджуне…

O:
Я все тот же… мало что изменилось…

I:
Нет, нет, могу я спросить то, что хочу спросить?
Хорошо, давайте посмотрим… из предыдущего…
А~ Я кое-что вспомнил…
Я помню кое-что, что было очень похоже на Оджуна…

О: Что?
Что это такое?

I:
Вместо слов похвалы вы помните только то, что было сказано в ваш адрес, что вам не понравилось, верно?

O:
Хе-хе-хе.

I:
Есть кое-что, о чем я говорю уже долгое время.

O:
Что, я?

I:
Да.
Вы помните о плохом больше, чем о хорошем.

O:
Да, верно, верно.
Когда мне задают правильные вопросы, я злюсь, просто вспоминая постыдные или неприятные вещи.
Я злюсь при одной мысли об этом, мое лицо краснеет, и мне хочется убежать.

I:
Вы злитесь, не так ли?

O:
Нет, я думаю, это потому, что мне больше всех тыкают, и я попадаю в точку.

I:
Я: И… первое, что я подумал, когда увидел Оджуна сегодня, это…

O:
Я так счастлива…

I:
21 [думая, что он выглядит очень здоровым].

*21[считает, что он выглядит удивительно здоровым].
Лето 2021 года, на пике Короны. Ограничения на выход в свет действовали долгое время.
Опасный вирус.
Многие люди стали психически больными из-за стресса.

O:
А.

Хммм…

I:
В некотором смысле, я думаю, что это похоже на это.
Чем сложнее становится ситуация для всех, тем веселее они становятся.

O:
Ну, это правда.
Я думаю, это немного индивидуальная черта характера.

I:
Мне показалось, что вы в хорошем настроении.

O:
Это правда, так было и после Великого землетрясения Хансин.
Это ужасная история, но так было и после землетрясения в Тохоку.
А также, ну, то же самое было с предыдущим *24 [9/11 в Нью-Йорке], и так далее.
Когда в мире случается какое-нибудь несчастье, я отвлекаюсь на него и думаю о разных вещах.
Я думаю о самых разных вещах, и мне хочется создавать и рисовать самые разные вещи.

22 [Великое Ханшинское землетрясение].
Землетрясение, произошедшее 17 января 1995 года. Пожар, M7.3.

*23[Землетрясение Тохоку].
Произошло в 14:46:18.1 11 марта 2011 года.
Произошло цунами. Произошло расплавление атомной электростанции Фукусима Дайичи.
Обычно известен как 3.11.

*24 [9/11 в Нью-Йорке].
Террористический акт, в результате которого самолет врезается во Всемирный торговый центр в Нью-Йорке.
Вспышка войны на Ближнем Востоке.

I:
Эй.

O:
Когда люди так страдают.
в трудные времена.

I:
Да, я чувствовал себя так же.

O:
Я: Да.

I:
Но как насчет непосредственного обращения с ним, сдвига, покраски?

O:
Да, я знаю.
Ну, знаешь…

I:
Иногда вы делаете это напрямую.

O:
Я: Да, да, да.

I:
Иногда!
Я думаю, это тоже интересно.

O:
Ну, в основном, я делаю это на фотографии.
Мир живописи – это то, что я вижу здесь.
Но как только я нарисую его здесь…
Это не так.
Его можно перевернуть с ног на голову.
Вот почему я не могу рисовать напрямую.
Это одно.
Вы – это вы, поэтому вы можете рисовать столько, сколько захотите.
Если бы она была нарисована такой, какая она есть, или выражена каким-либо образом, она была бы не очень интересной.
Если бы она была нарисована как есть или как-то выражена, это было бы не очень интересно, но если бы она была перевернута, опрокинута или что-то в этом роде…
Форма немного меняется или трансформируется.
Некоторые люди называют это трансформацией.
Я чувствую, что обмениваюсь ими.

I:
Обмен.

O:
Например, вы покупаете несколько шоколадных конфет за 100 иен.
100 йен и шоколад не очень-то сочетаются друг с другом, не так ли?

I:
Это дробленое железо и какао.

O:
Знаешь…
Качество совершенно другое.
Но мы заключили предварительное соглашение друг с другом.
Деньги, деньги, деньги – это то, на чем держится экономика, и мы можем использовать деньги для обмена вещами.
Первоначально это происходило путем бартера.
Бартер – это обмен вещами, которые совершенно не похожи друг на друга.
В принципе, логика обмена такова.
Я думаю, что логика обмена довольно схожа с тем видом искусства, которым мы занимаемся.

I:
Интересно!
Я никогда не слышал об этом раньше.
Это как алхимия, как эквивалентный обмен.
Это что-то вроде *25[алхимической]… идеи.

25 [алхимия].
Гермес Трисмегист был основателем алхимии и считался богом-покровителем алхимии. Документы Гермеса – это документы, приписываемые Гермесу Трисмегисту (что означает Гермес Трижды Великий), которые, как говорят, насчитывают более 30 000 книг.
Юнг написал книгу под названием “Психология и алхимия”. Главная идея, которую Юнг вынес из книги, заключалась в том, что алхимия (как и вся мистика) на самом деле направлена на “объединение противоположностей”. Ньютон, известный как ученый, был также алхимиком. Многие из книг Ньютона по алхимии были уничтожены во время пожара в лаборатории, и считается, что его достижения как алхимика были более значительными, чем те, которые известны сегодня. Экономист Кейнс заметил, что “Ньютон был не первым в эпоху разума, а последним фокусником”. ▲ Отношения между египетскими, шумерскими и сверхдревними.

O:
Да, да, да.

I:
Никогда об этом не слышал.

O:
Нет?

I:
Хм… это слово я никогда не слышал в истории с картинками.

O:
Да, ну, может быть, потому что это звучит безвкусно.
Я имею в виду, я думаю об этом как о трансформации, как о переносе…
Но это, скорее, более насущная вещь…
Я думаю, их обменивают.

I:
Это похоже на духовный обмен.

O:
О, я вижу.

I:
Конверсия – это то, что используется во многих местах.

Когда вы обмениваетесь вещами, которые можно увидеть, легко представить это как обмен, но когда вы обмениваетесь вещами, которые нельзя увидеть, это похоже на…
Но обмениваться вещами, которые вы не можете видеть… это как…

O:
Но то, что делал господин Иванага, то, что вы делаете сейчас…
Я думаю, то же самое происходит со всеми картинками, которые вы рисуете.

I:
Да, возможно, это так.

O:
Они обмениваются.

I:
Да, обмен На что вы обмениваете свою душу?

O:
Да, я думаю, что обменяю его на всевозможные вещи.

I:
Интересно, обменивают ли они его на что-нибудь?
О: Да, я думаю, да. Я вижу это.

O:
Например, если оно посажено в моем сознании, если оно выгравировано в моем сознании, это означает, что оно обменивается с моими воспоминаниями.
О: Например, если это заложено в моем сознании, если это вытравлено в моем сознании, тогда это обменивается с моими воспоминаниями.

I:
Да, это интересно.

O:
Да, да.

I:
Да, это…

Каракалла, ззззз… {звук выпитого напитка}

Оджун, вы когда-нибудь говорили о своих рисунках?
Он как будто говорит, но никогда раньше не говорил.

O:
Да, именно так.
Кажется, что он говорит, но на самом деле это не так.

I:
Это похоже на это, не так ли?

O:
Чем больше вы говорите, тем меньше вы успеваете.

I:
Понимаете, это сложно.

Это трудно, не так ли?

Да, я думаю, так обычно и бывает с хорошими художниками.
Я думаю, вы хороший художник.

O:
Вот так все и происходит, не так ли?

I:
Я могу говорить обо всем, но…
Но когда речь заходит о себе…

O:
Правильно… Правильно…

I:
Я могу говорить обо всем этом.
Я: Я могу говорить обо всем, но когда дело доходит до моих собственных вещей, мне как будто не разрешают на них смотреть.

O:
Вы не можете смотреть на это.
Вы абсолютно правы.

I:
Я имею в виду, вы не можете оглянуться назад.

O:
Это правда!
Вы абсолютно правы!

I:
Может быть, это не то, на что вам стоит оглядываться.

O:
Думаю, это правда.
Может быть, нам не стоит оглядываться назад, в конце концов.
Думаю, да… Зузу… (выпивает)

I:
Это требует мужества, но это мужество, и я думаю, что это потеря.

O:
Хм…
Иногда я оглядываюсь на свои старые работы.
Интересно, было ли так…
Хм…

I:
Да, что вы думаете о своих старых работах?

O:
Ну…

I:
Давным-давно…

O:
Я: Это было давно, когда мне было двадцать или тридцать лет…
Сейчас мне трудно с ними справиться… с большими картинами.
На днях я думал о том, чтобы вытащить их из мусорной корзины.

I:
Это расточительство, не так ли?

O:
Мне сказали подождать немного.
Я жду.
Но я ничего не могу с этим поделать, поэтому я думаю…
Но, видите ли, все хранится в доме моего школьного друга.
Так что теперь у меня нет ателье.

I:
О, я вижу…

O:
Ну, у меня есть свой дом, но у меня нет студии.
У меня есть своя студия, но по какой-то причине у меня нет студии дома.
Моя дочь и ее семья живут все вместе под одной крышей, это большая семья.
И, конечно, у меня нет студии.
У меня осталось всего около трех месяцев, а пока я могу рисовать на кухне или…
Я нахожу небольшое пространство в спальне, чтобы рисовать…
Кроме того, в ближайшие три месяца состоится выставка.
Поэтому я задумался, что мне делать… и у меня есть друг со школы, у которого есть некоторые мои работы.
Я думаю о том, чтобы убрать некоторые из них с дороги.
Есть такой парень по фамилии Миядзима, верно?

26 [г-н Миядзима].
Йоичи Миядзима. Художник и друг Оджуна. Мы давно знаем друг друга и были вместе, когда были в Германии. На протяжении десятилетий он создавал монохромные картины маслом – улицы с шестисторонним движением, цыплята и т.д. Люки. Например, он рисовал хвосты угрей. Он говорит, что не доверяет Юнгу и отрицает, что был свидетелем НЛО. Он познакомился с Иванагой, когда был студентом-заочником Токийского национального университета изящных искусств и музыки.

I:
Да, да, я знаю, что вы имеете в виду.

O:
Почему там так много картин господина Миядзимы?

I:
Я не знаю почему…
Ха-ха-ха…

O:
И картины господина Миядзимы тоже…

I:
Я нарисовал много ваших фотографий, господин Миядзима…

O:
Правильно.
Я сейчас немного болен.
Если я немного переставлю его, у меня будет пространство примерно в 3 татами.
Я думаю поработать там в августе.
Ну, я иногда хожу туда, чтобы организовать.
В Ицукаити.
И есть картинки, которые я рисовал… и это не очень хорошие картинки, но…
Но я чувствую, что не смогу нарисовать их снова.

I:
Я вижу.
Ты больше никогда не сможешь рисовать?

O:
Ну, я думаю, что в это время я мог только рисовать.
Того, что я рисую сейчас, не будет еще 20 или 30 лет.
Но если бы я был жив через 5 или 10 лет, я бы чувствовал то же самое.
Я думаю, что то, что я рисую сейчас, может быть нарисовано только сейчас.

I:
Это правда.
Я имею в виду, это не самые лучшие фотографии, но…
У меня есть предчувствие.
Я могу только сказать, что у меня есть предчувствие.
Это не самая лучшая картина, но я думаю, что в ней есть и хорошие моменты.

O:
Да, да, да.
Так что дело не в том, хорошо это или плохо.
Дело не в хороших или плохих фотографиях.
Это просто очень маленький стандарт задницы.

I:
Я чувствую себя так же.

O:
Это как знак того, что я нарисовал его в то время.
Это как знак, что я нарисовал его в то время.

I:
Да…

O:
Я думаю, достаточно, если он будет четко обозначен таким образом.

I:
Да, было бы интереснее, если бы он был шире.
Я: Да.

Ззз… (звук выпитого напитка)

Мне не приходится слишком много работать над качеством контента или чем-то подобным.

O:
Да, но знаете, когда мне было около 40…
Я все еще не мог так думать.

I:
Вот что я думаю.

O:
Еще рановато…
В смысле, когда мне было 40 лет…

I:
Я хочу сделать его лучше

O:
Да, да, да, я хотел большего.
Я просто не мог видеть это таким образом.
О: Недавно, да.

I:
Ну, я думаю, все становится лучше.
Я думаю, что становится лучше.
Думаю, да.
Но, конечно, хорошо.

Ззз… (звук, как будто кто-то пьет)

O:
Это большой подвиг.

I:
Думаю, да.
Я также выбрасываю вещи, которые я уже делал раньше.
Я знаю, это звучит так, будто я говорю задом наперед, но…
Речь идет не о том, чтобы оставить что-то, потому что оно имеет хорошее содержание, или отбросить что-то, потому что оно имеет плохое содержание.
Если в нем есть что-то, что я не хотел оставлять, то я выбрасываю его.
Но этот критерий не потому, что содержание хорошее.

O:
Нет, это не так.

I:
Нет, я имею в виду, даже если это отвратительная часть меня в то время, если это там, я сохраню это.
Если это что-то, в чем нет меня, что-то, чего я не понимаю, тогда это бессмысленно.
Недавно я выбросил некоторые из них, потому что почувствовал, что они бессмысленны.

O:
Да.

I:
Я не думаю, что это неправильно – выбрасывать их.

O:
Да, я так думаю.

I:
Я думаю, это нормально, по крайней мере, решить, что оставить.

O:
А, вы правы…
Это интересный способ сказать, что мы должны иметь право выбрасывать вещи.

I:
Это нормально… хахаха…

O:
Нет, это просто небольшое разнообразие.
Я не уверен, есть ли это в Японии или нет, но…
Я не знаю, так ли это в Японии или нет, но… в странах Восточной Европы или в России… когда там меняется правительство…
статуи, которые раньше были символами страны, все свергнуты или выброшены…

I:
27*[Ленин]…

27* [Ленин].
Владимир Ильич Ленин (русский: Влади́мир Ильи́ч Ле́нин; 22 апреля 1870 – 21 января 1924) – русский революционер, политический деятель и философ. Он был первым руководителем Российской Советской Республики и СССР (президент Съезда народных комиссаров). Ленин” был его псевдонимом; его настоящее имя – Владимир Ильич Ульянов (русский: Влади́мир Ильи́ч Улья́нов).

Он был лидером большевистской фракции Российской социал-демократической рабочей партии, а после успешной Октябрьской революции 1917 года создал первое социалистическое государство – Российскую Советскую Федеративную Социалистическую Республику и стал председателем ее исполнительной власти – Съезда народных комиссаров В 1919 году он заменил Второй Интернационал – Коммунистический. В 1919 году он возглавил создание Коминтерна как международной организации политических партий, а затем руководил образованием СССР в 1922 году, занимая пост главы правительства (председателя Наркомата СССР) в стране до своей смерти в 1924 году. Будучи марксистом, он писал различные работы – от политического и экономического анализа до философии, и его идеи были продолжены как ленинизм.

O:
Да, да, да, да, да, тот самый Горон.
Обычно, когда происходит что-то подобное, это сразу же становится инцидентом.
Но это не становится таким инцидентом, не так ли?

I:
Нет, это не так.

O:
Нет, это не так.

I:
Я чувствую, что это делается тихо.

O:
Так тихо.
Это больше похоже на “да, давайте сделаем это, давайте сделаем это”.
Так что дело не в том, выбрасываете вы его или нет, хороший он или плохой.
Я не думаю, что это вопрос этики – уничтожать то, что вы только что уничтожили.
Это не значит, что ломать вещи неправильно.
Дело не в том, что неправильно уничтожать все, а в том, что есть что сказать об уничтожении чего-то ради уничтожения.

I:
Да…

O:
Я рисовал, как это происходит в случае с фотографиями.

I:
Понятно…

O:
Я еще не закончил его рисовать…

I:
Хммм…

O:
Когда речь идет о рисовании, когда речь идет о разрыве и разрывании…
Когда речь идет о так называемом разрушении, это немного…
Это похоже на то, как если бы вас срубили.
Но с другой стороны, их часто воруют, не так ли? Фотографии…

I:
У меня никогда ничего не крали.

О: Нет, однажды у меня украли картину.
Но часто у людей крадут картины Пикассо.
Кража картин существует уже давно…

I:
Да…

O:
А потом, спустя десятилетия, они оказываются где-то на складе.
Я думаю, это интересно.

I:
Понятно…

O:
Со статуями вы сбиваете их с ног, переворачиваете и бросаете в море.
Но в случае с картиной вы крадете ее как альтернативу.
А потом они прячут их от наших глаз.
Мне показалось это интересным.
Вы не можете украсть фотографии, но это интересная история.
Хе-хе-хе.

I:
Фотографии часто скрыты, не так ли?
Они лежат на складах у людей и никогда не попадают в поле зрения публики.

O:
Действительно, действительно, действительно, действительно…

I:
Это происходит так часто, что вы уже не замечаете их.
Это удивительно, это происходит почти всегда.

O:
Вы оставляете его включенным…
Это правда, не так ли?

I:
Но потом, знаете, *28 [в одном случае] он выходит и…

*28 [в определенное время].
Отношения между скрытым Буддой и Гокайчо. Хибуцу относится к буддийским статуям, которые не открыты для публики по религиозным причинам и установлены при закрытых дверях кухни и т.д. Практика хранения буддийских статуй, которые изначально являются идолами для поклонения, в закрытой кухне или другом подобном помещении и обозначение их как “хибуцу” является особенно заметным явлением в буддийском мире Восточной Азии, особенно в Японии. В Японии многие главные изображения известных храмов считаются скрытыми изображениями Будды, и есть много скрытых изображений Будды в главных изображениях храмов, поддерживаемых народными верованиями, например, храмы 33 священных мест в западной части страны, а также другие храмы и священные места.
Примеры скрытых статуй Будды:.
Хорю-дзи Юмудэн – Юмудэн – это центральный зал тоин храма Хорю-дзи, построенного на месте дворца Икаруга, который был построен принцем Сётоку. Статуя Спасения Каннон, установленная на центральной кухне в зале, представляет собой деревянную резьбу периода Асука, которая, как говорят, является телом принца Сётоку, но, согласно различным историческим источникам, уже в XII веке в период Хэйан (конец XII века) она считалась тайным Буддой. Согласно распространенному мнению, в 1884 (также 1886) году Окакура Какудзо (Тэнсин, пионер японского художественного образования и искусствоведческих исследований) и Эрнест Феноллоза (американский философ и историк искусства) посетили Хорю-дзи и, несмотря на возражения жрецов храма, открыли дверь кухни, впервые за несколько сотен лет показав статую Каннон.

O:
Да, да, да, да!

I:
Да, время – великая вещь, потому что это очень долгий срок, срок жизни картины.
Я часто думаю об этом.

O:
Что ж, это интересно.
Мы говорим о живописи и создании скульптур, но…
Мы не часто говорим о том, что их можно потерять или выбросить.

I:
Мы не хотим. Не хотим.

O:
Это интересно.

I:
Это интересно, не так ли?
Например… {I: Да, да, да, да}.
Ну, видите ли, она может исчезнуть, а может и появиться.
Мы, люди, создали то, что имеет срок жизни больше, чем время, необходимое для появления оджуна.
Вот что самое странное.

O:
Я сделаю это…

I:
Это очень странно, не так ли?

O:
Вы так думаете? Я так и знал!

I:
Я так думаю, это очень странно.
Я думаю, что это очень странно, ощущение, что мы не живем в настоящем времени, хотя мы живем в настоящем времени.
Что касается живописи, я не живу в настоящем.
Ну, я имею в виду, сейчас…

O:
Да, да, да, да.
Я знаю, знаю.

I:
Вы понимаете?

O:
Поймите, да, да, да, да, да.

I:
У меня это было всегда, с самого начала, когда я начал рисовать.

O:
О да.

I:
Я знал это с самого начала.

O:
С тех пор?

I:
Да, именно тогда я об этом и подумал.

O:
С тех пор, как на тебе была эта белая хлипкая штука?

I:
Я думал об этом с тех пор.

O:
Вот почему она так рисует…

I:
Но знаете, я не знаю, может быть, я говорю неправильно, но…
Но тогда я… Я говорил людям, что… Я сказал им, что рисование не для живых.
Это то, что я сказал в то время.
И тогда они сказали мне: “Это отвратительная, отвратительная вещь.

O:
О, да.
От кого-то…

Кто-то сказал, что я не должен этого говорить.
Я не думаю, что он обидится, если я скажу это, но этот человек…
Я не против того, что он это сказал, но…
Она сказала, что это для живых.
Это была женщина…

O:
О…

I:
Я не знаю, кто из них кто.
Это для живых или…

O:
Например, когда я пишу картину…
О: Например, когда я рисую картину и рисую картину для этого человека, я вдруг вспоминаю об этом…
О: Например, когда я рисую картину и показываю ее этому человеку, мне интересно, что он или она скажет…
О: Например, когда я рисую картину и рисую картину для этого человека, я вдруг думаю об этом человеке, и мне интересно, что бы он сказал, если бы я показал это ему.

I:
Я понимаю.
Вот почему…
С моей точки зрения, это для живых, не так ли?
С моей точки зрения, это всегда было…

O:
Да.

I:
Да, даже с мертвыми людьми.
Я: Да, а также с мертвыми людьми, потому что я вижу вещи, которые рисовали мертвые люди, и говорю: “Я знаю, что вы имеете в виду”.

O:
Правильно.
Я вижу картины Ван Гога, Сезанна, Мане и так далее.

29 [Ван Гог].
Винсент Виллем Ван Гог (30 марта 1853 – 29 июля 1890) был голландским художником-постимпрессионистом. Он писал точные картины маслом.

*30 [Сезанн].
Поль Сезанн (19 января 1839 – 23 октября 1906) был французским художником. Он исследовал оригинальный стиль живописи, который не был связан обещаниями традиционной живописи. Его часто представляют как художника-постимпрессиониста, оказавшего значительное влияние на кубизм.

*31 [Мане].
Эдуард Мане (23 января 1832 – 30 апреля 1883) был французским художником 19 века. Он писал сцены и фигуры модернизирующегося Парижа.

I:
Интересно, могли бы мы стать друзьями?

O:
Точно…
Таким образом, есть разница между восхищением, когда вы видите картину живого человека, и восхищением, когда вы видите картину мертвого человека.
О: Итак, когда вы видите фотографию живого человека и когда вы видите фотографию того, кто уже умер, и вы говорите “вау”…
Я думаю, должно быть что-то другое, даже если они одинаковые.
Ну…
Я не могу сказать, чем он отличается, но…
Да, да…

I:
Так что, как сейчас…
Вы когда-нибудь думали, что хотите, чтобы этот человек посмотрел на вас?

O:
Да, я знаю.
Интересно, что бы увидел этот человек, если бы увидел меня?
Есть люди, которые живы, а есть те, кто умер.

I:
Считаете ли вы такое мышление нормальным?
Вы считаете это необычным?
Что именно?

O:
Ну, я думаю, я немного стесняюсь.
Я имею в виду, вы имеете в виду свои собственные фотографии.
Так что это не столько вопрос других людей.
Я хочу показать людям то, что я рисую, я хочу, чтобы они это увидели.
Я думаю, что это очень сильное основное намерение.

I:
Хех…

O:
Но тот факт, что вы не говорите об этом публично, объясняется тем, что вы не хотите, чтобы люди видели ваш конечный результат.
Должно быть, им трудно понять, что у вас не все в порядке с головой.
Возможно, поэтому вы и не говорите этого, но это правда.
Итак, сколько людей живы и сколько мертвы?
Но я думаю, что, в большей или меньшей степени, они дали мне возможность что-то сказать о своей работе.
Но есть люди, которые живы, и люди, которые умерли, которые что-то дали моей работе, словами или иным образом.
Так что я не имею в виду критиков.

I:
Тогда это не похоже на правду.

O:
Ну, это скорее простое чувство.

I:
О, вы очень наивны, не так ли, Оджун?

O:
Просто…

I:
Это, должно быть, отличная функция…

O:
Хммм…

I:
Zuzu: ……
Хммм…

Эй, не для всех в мире…

O:
У: Угу.
О: Не…
Всем на свете…
Я не рисую для мира во всем мире.

I:
Есть некоторые люди…

O:
Некоторые люди.

I:
Это интересно…

O:
Около пяти человек, может быть, даже не десять.

I:
Просто с таким количеством людей…
О: Я не знаю…

O:
Да, да, да, да, да

I:
Но я не думаю, что это движущая сила.

O:
Но да, да, да, да
Если это мотивация…
Да, да, да, да

I:
Даже с такой маленькой группой мы можем объединиться.

O:
Да, да, все сходится.
Мир тесен, мир тесен.
Но некоторые из них живы, некоторые мертвы, некоторые живы, некоторые мертвы.
Слова, которые они говорили мне, то, как они смотрели на меня…
Он обладает решающей силой и впечатлением.
Я думаю, что это должно быть очень глубоко.

I:
Я этого не знал.
Я этого не знал.

O:
Ну, на самом деле… Думаю, да…
Я не думаю, что их десять… Я один из шести или семи…
Я один из них.

I:
Ну… ладно.
Угу.

O:
О, да, да.

I:
Но я рад это слышать, такие вещи…

O:
Не о возрасте или чем-то подобном…

I:
Да…

O:
Я познакомилась с ним, когда рисовала.
А потом я встречаю человека, который тоже творит и рисует…
Несмотря на возраст, они становятся ближе друг к другу, и все начинает повторяться.
В это время возникает сильное чувство, что ты видел или тебя видели, понимаете?

31 [Видели или видели].
Воспоминания о глазах. Общение глаз. Глазная медиация. Вечность одного мгновения.

I:
Это духовное – что-то.

O:
Так что, хммм…

I:
Я чувствую себя духовным

O:
Духовный

I:
Это как будто маленькая… Я имею в виду, она маленькая, не так ли?
Я: Мне кажется, что чувство масштаба становится неактуальным…

O:
Правильно.
Я говорил с ним об этом сегодня.
Я разговаривал с ним сегодня ранее, но картина, которую я сейчас рисую, я пытаюсь заставить его задуматься о проблеме масштаба в отношении картины.
Я рисую картину о том, что является стандартом для больших и маленьких, и пытаюсь понять, что это за стандарт.
Я собираюсь представить его на 32-ю Токийскую биеннале, которая начнется на следующей неделе.
Я думаю, что это немного другое – иметь только одну оригинальную работу.
Я думаю, что должно быть больше одного оригинала.
Это противоречие в терминах, но я думаю, что оно может быть.

32 Токийская биеннале
Международный фестиваль искусств, проходящий в Токио.

I
Я: Да.

O:
Я немного занимаюсь живописью.
Я подумала, может быть, я смогу попробовать.
Я не знаю, например, проблемы с масштабом или…

I:
Это…

O:
Чувство дистанции…
Я не думаю, что существуют какие-то стандарты или критерии.
Я не думаю, что есть какие-то стандарты…

I:
Это нормально?
Ну, нет, это больше похоже на норму.

O:
О, это нормально для нас, не так ли?

I:
Мне кажется, это нормально…

O:
О, да…

I:
Это странно… для людей, которые не знают, которые не думают об этом, это странно…
Это странная история.
Но, возможно, если все сделать правильно, это будет нормальная история.

O:
Правильно, правильно…

I:
Я думаю, что об этом нужно думать с самого начала.
Например…

O:
Вы знаете, вы занимались этим, когда вам было 19 лет.
Хе-хе-хе-хе-хе-хе.

I:
Вы сделали это?
В каком смысле вы это делали?

O:
Эй…

I:
Вы имели в виду, что делаете что-то большое?

O:
Да, да.

I:
Я делал вещи, которые были необычно большими.
Было время, когда я рисовал 33 [картины размером с целую комнату].

33 [картина размером с целую комнату].
Студия довольно большая, но картина настолько велика, что ею заставлена вся комната. Это делалось на земле с расстеленной бумагой. Рисунок углем. Как призрак. Мерцающее пространство. Ощущение, что вас выдернули из нездешнего мира, как будто его опустили. Плывет что-то похожее на гребень. Она стояла на мольберте, чтобы ворваться в пространство как присутствие без давления. Некоторые из них связывают в пучки и развешивают в помещении с Asahi. Некоторые из них зарыты в землю. Вещи, ставшие символами мира без слов. Огромные, но невидимо маленькие объекты. Объекты, которые подобны духам звука. Они заполняют комнату. Картины Тадасукэ Иванага этого периода исчезли и практически не существуют. Также неизвестно местонахождение нескольких фотографий, сделанных с помощью моментальной камеры.

O:
*34 [номер] сказал, что что-то не так.

*34 [комната].
Собственная комната Иванаги, помимо его студии. В то время собственная комната Иванаги представляла собой полную помойку, а уровень в комнате торговался до такой степени, что ему приходилось входить в комнату, пока она поднималась. Я не знаю, как он это сделал, но разный мусор соединился и образовал почву в комнате. Я бы обслуживал свой мотоцикл и размазывал по нему масло. Иногда он рисовал в помещении, а его краски и рисунки были разбросаны повсюду. Единственное жилое пространство находится вокруг спальной зоны, и оно изогнуто, как внутренняя часть пещеры. Холодильник не открывали и не отключали от сети в течение 10 лет. Внутри – первые яблоки, которые я купил, когда приехал в Токио в 1999 году. Холодильник был открыт, когда я покидал номер, но яблоки все еще были там.

I:
Господин Хасегава, да, вероятно.

O:
Комната больше не была комнатой.

I:
Комната была настолько маленькой, что в ней была словно почва…

O:
Вау (смеется).

I:
В комнате была грязь, не так ли?

O.
(Смеется.)

I:
А потом она стала

O:
Это потрясающе.

I:
Ну, я стараюсь больше так не делать.
Через десять лет или около того в комнате появилась почва.
Микроорганизмы разлагают его, поэтому…

O:
Ух ты, я удивлен, что это не повредило вашему здоровью.

I:
Да, это так, не так ли?

O:
Да!

I:
Я: Я наконец-то причинил ему вред.
Я думал, что здесь все по-другому, теперь здесь чисто, комната потрясающая.

O:
Вот это да!

I:
Так, так, так, ничего страшного.
Я имею в виду, масштаб этого, масштаб этого.
Ну, комната тоже интересная…
Я не знаю, я ведь учился там в университете, верно?
Я был там в то же время, что и Оджун.
Вы часто так говорили, не так ли?
Весы такие большие, я часто это слышал, верно?

35
НАКАНИШИ Нацуюки, (1935 – 2016) японский авангардный и современный художник. Почетный профессор Токийского университета искусств. Приглашенный профессор Университета искусства и дизайна Джошиби. Бывший профессор Университета науки и искусств Курасики. Он также работал над созданием художественной школы. Существовали одновременно с Тадасуке Иванага и OJUN во время учебы в Университете искусств. Оставил несколько слов и уехал без особого упоминания. Горизонтальные и вертикальные. Круги и примыкания. Он глубоко осмысливал мир в целом и рисовал картины своим телом. Большое и малое могут быть противоположными. Большой или маленький – это загадка, сказал он. В сцене “Ибарадэ” в фильме студии Ghibli “Mimi wo Summaseba” есть сцена, в которой обсуждается существование вещей, которые кажутся больше, когда они далеко, и меньше, когда они приближаются. Обычно близкие вещи кажутся больше, а далекие – меньше. Наканиши Нацуюки также сказал то же самое.
Ты передо мной.
Причина, по которой вы находитесь передо мной, заключается в том, что есть еще один вы. Причина, по которой ваш цветок так прекрасен, заключается в том, что есть другой цветок из другого места, который также прекрасен. Эта земля существует потому, что есть другая земля. Но я один на этой земле, в то время как все вещи и люди на этой земле также находятся на виртуальной земле. Я нахожусь на этой стороне земли, одной ногой на другой стороне земли, с которой я соприкасаюсь. Это не так, что если я двигаю ногой здесь, то я здесь, а если я двигаю ногой там, то я там. Потому что есть холст, стоящий перпендикулярно границе, и я должен сделать то же самое. Холст – это сама граница, или он прорывается, чтобы разорвать обе границы, затормозить их, чтобы они не пересекались, присматривая за обеими одновременно. Или же он обеспечивает наличие обоих оснований.

Такова реальная позиция гафу, и именно поэтому он хлипкий, а я, который должен отвечать на него, хлипкий.

/Нацуюки Наканиси

O:
Но вы очень хорошо поняли, что говорил господин Наканиси.
Я не мог понять, что он говорит.

I:
О, я вижу.

O:
Есть люди, которые могут понять, и люди, которые не могут.

I:
Вы говорите о чем-то настолько обычном…

O:
Я знал, что это так… что это так… что это так… что это так…

I:
Но то, что вы сейчас говорите о масштабах оджуна…
Господин Наканиши говорит то же самое.

O:
Неужели?

I:
Хорошим фотографиям все равно, большие они или маленькие.
Даже если она маленькая, есть большие картины.
Господин Наканиши всегда так говорил.

O:
Интересно, почему я не спросил его об этом, когда он был жив?
W…

I:
Точно… хехехехехехехехехехехехехехехехехехехехехехехехехехехехехехехехехехехехехехехе.

O:
Хотя есть люди, которые могут выслушать вас даже в молодости…

I:
Но я все еще думаю, что урок Оджуна и Наканиши-сан был действительно интересным…

O:
Это был не совсем класс, хотя…
Но это был вовсе не класс…

I:
Ни один из них не был классом.
У: Нет, не было.
Это был совершенно другой вид занятий.
Это что-то вроде: “Давайте сделаем то-то и то-то в университете”.

O:
Правильно.

I:
Я не думаю, что так нужно преподавать.
Это интересно, когда приходится думать самому.

O:
Правильно.
В этом году, с прошлого года, я работаю в Corona следующим образом.
Большинство занятий в университете проводятся в режиме онлайн.
А до прошлого года около половины занятий в Университете искусств проходили в режиме онлайн.
Поэтому я чувствовал себя неловко.
Но через месяц или два начались занятия в Токийском университете, а занятия в Токийском университете были более строгими, чем в Гейдае.
Токийский университет был более строгим, чем Geidai, и они попросили меня сделать это полностью онлайн.
Поэтому, когда я только начинала работать в Интернете, мне казалось, что сначала это было очень трудно.
Но когда я подумал об этом, оказалось, что это нормально, когда люди рисуют карандашом на таком маленьком листе бумаги.
Просто я не могу его увидеть или рассмотреть внимательно, что не очень хорошо для меня, но…
Так что вы можете рисовать то, что хотите нарисовать.

I:
Это хорошая история.

O:
Вы часто показываете это вот так, вот так.
Это очень трудно увидеть, и я даже не могу посмотреть на реальную вещь, но…
Но это важнее, чем то, что я вижу реальную вещь, потому что неоспоримо, что он сделал реальную вещь и нарисовал ее.
Это важнее.
Я думал, что это практический урок, поэтому…
Я попробую попросить их прислать мне фотографию в конце.
В принципе, уметь рисовать – это… даже если вы просто рисуете, играете или что-то еще…
Этого достаточно…

I:
Да, да…

O:
Я думаю, это основа искусства.

I:
Да, я тоже так думаю.

O:
Эй, знаешь…

Я думаю об этом сейчас, когда знаю об этом, вернее, думаю, потому что видел так много примеров.
Один из них – это то, что Оджун также сказал более 10 лет назад…
Не только Оджун, но и некоторые другие люди, например, Оджун и некоторые другие люди.
Когда проходила выставка Вермеера, 36 картин Вермеера были гораздо меньше, чем я думал.

36 [Вермеер].
Синий цвет прекрасен. Лазурит. Группа картин, считающихся самыми ценными в мире. Он начинал как художник-повествователь, но со временем превратился в жанрового живописца, начиная с картины “Женщина-носильщица”, которая датируется 1656 годом. Число сохранившихся работ невелико и составляет от 32 до 37. Йоханнес Вермеер (голландский: [joːˈɦɑnəs vərˈmeːr], 1632. 31 октября? – 15 декабря 1675 года?) был живописцем из Федеративной Республики Нидерландов (Голландии) и одним из ведущих художников эпохи барокко. Его реализм, тщательная пространственная композиция и экспрессия света. Фамилия его отца Вос (Vos) в переводе с английского означала “лиса”. Неизвестно, почему его отец изменил свою фамилию на Ван дер Меер, или почему Йоханнес сократил ее до “Вермеер”. Работы Вермеера часто воровали.

O:
Вермеер, а.

I:
Некоторые люди говорили об этом.
OJUN также упомянул об этом

O:
Ах…

I:
Они были очень маленькие, но вкусные, не так ли?
И был еще один персонаж Moomin, как его там, Moomin…

O:
*37 [Tove Jansson]?

*37 [Tove Jansson].
Туве Марика Янссон.
(Tove Marika Jansson [tuːve mariːka jɑːnsɔn] 9 августа 1914 – 27 июня 2001) – шведско-финская художница. романист и автор детской литературы. Он является автором серии “Мумин”. Мумины – милые персонажи, но их истории довольно мрачные. Когда популярность “Муминов” привела на остров Бледисар все больше журналистов и поклонников, он построил хижину на острове Крув и переехал туда. Лето она проводила на острове Крув, а зиму – в своей студии в Хельсинки. Сохранилось много фотографий, на которых она играет в море.

I:
Да, да.
Я видел выставку ее оригинальных рисунков в Кумамото.
Я видел ее рисунки, и они были такими же маленькими, как этот.
Первый рисунок, который она нарисовала, был вот таким маленьким.

O:
О…
О, точно.

I:
Да, примерно такого размера.
Он размером примерно с монету в 500 йен.

O:
О, да…

I:
Это фотография.
при первом развитии.

O:
Это замечательно.

I:
Так что именно эта отдаленная история и

O:
Именно.

I:
Я: Чувство масштаба, которое возникает благодаря руке.
Я имею в виду, что манга действительно такая, и она нарисована в размере B4, но…
Но оригинальные анимационные рисунки, вероятно, не такие большие, но они растянуты до размеров кинотеатра.
То есть то, что производится вашими руками, имеет размер ладони.

O:
Да, да, да, да.

I:
Это довольно мило, не так ли?
У: Да, да.

O:
Да, это так.
Эта история о Мумине очень интересна.
Понятно…

I:
Да, но они были очень маленькие!

O:
Да, но ты понимаешь, о чем я.
Вы преследуете такие вещи, верно?

I:
Оджун, ты уже давно этим занимаешься.

O:
У: То и дело, то и дело, то и дело, то и дело, то и дело, то и дело, то и дело, то и дело, то и дело…

I:
Я занимаюсь этим уже долгое время.
Я не знаю, делаете ли вы это до сих пор.
Я не знаю, делаете ли вы это до сих пор, но когда вы говорите, вы постоянно двигаете руками по размеру ладони.

O:
Правильно.

I:
Даже без ручки.
Я постоянно пользуюсь указательным пальцем.

O:
Ты часто смотришь на меня, за тобой наблюдают!

I:
Я всегда буду помнить об этом, не так ли?

O:
О да…

I:
Вы всю жизнь рисовали квадраты указательным пальцем.

O:
О, вау, я часто смотрю на это.
Это страшно… Это страшно…

I:
У вас такая хорошая память, не так ли?

O:
Ты так сказал… Я до сих пор так делаю. Это привычка.

I:
Ты маленький мальчик, не так ли?
Я подумал, что история с пультом, наверное, очень хорошая история.

O:
Что ж, мне жаль студентов, которые теперь удалены.
Мне жаль студентов, что они не могут видеть друг друга, но…
Ну, это зависит от класса, и все считают, что для практических навыков это сложно.
Но даже студенты-художники в прошлом году рисовали дома, а поскольку они рисуют дома, они не могут нарисовать такой большой рисунок.
Нет необходимости рисовать большие картины.
Они рисуют в том размере, в котором могут писать, и это выглядит так: “О, ты рисуешь красивые картинки.
Я думала, ты здоров.

I:
Это правда, я думаю.

O:
Да, это правда.

I:
Наверное, это феномен, что ойуны становятся все более энергичными, когда в обществе возникают проблемы.

O:
Воу, воу, воу…

I:
Я: Я думаю, что есть связь между этим и тем, что он играет с ладони.
Я: Я думаю, что есть какая-то взаимосвязь.

O:
Ха, есть отношения…

I:
Мир – это отношения.
Я: Это отношения, но
Я: Но меня не затягивает…

O:
Эх, хмм (кашляет)

I:
В этом и заключается красота живописи, не так ли?

O:
Может, и так.
Может быть, в этом и есть польза от живописи.

I:
Ну… это было очень трудное время.

Я имею в виду, живопись…
Я не думаю, что когда-либо был перерыв.
Я думаю, что, вероятно, были очень трудные времена.

O:
Но… после того, как ядерный реактор Фукусимы вышел из строя…
У меня было много мыслей по этому поводу, поэтому я вернулся к Саге.
А потом я вернулся в “Сагу”, и теперь я делаю один большой проект за другим, как сейчас.
Я уверен, что это тоже послужило толчком.
А потом мы снова запустили Corona, и это продолжается уже несколько лет, не так ли?

I:
Да.

O:
Это было влияние другого рода, хорошее влияние.
Я уверен, что на господина Иванага это повлияет.

I:
Я не знаю…

O:
Много плохого… не хорошего, но…

I:
Это не очень хорошо

O:
Не очень хорошо, но…
Но из-за этого все… обнажается.
О: Но это нехорошо.

I:
Хм…

O:
Если вам кажется, что то, что вы видите, немного неаккуратно, вы всегда можете добавить что-то другое…
О: В том числе и то, как вы создаете свои работы…

I:
Ну, знаете, я не очень понимаю.
Я не понимаю…
Потому что я не понимаю.

O:
Я не знаю…

I:
Я просто молчу.
Я не знаю… Я не знаю… Я не знаю… Я не знаю…

O:
Ну, мы в самом разгаре.
Трудно сказать.

I:
Ну…
Себя… ну…

O:
Я уже сделал вторую вакцину.

I:
О, я вижу…

O:
Она уже распухла и теперь болит.

I:
Тогда, возможно, это очень хорошо.

O:
Интересно…

I:
Я тоже не знаю об этом.
Я не думаю, что все знают.

O:
Я не знаю.
Я даже не знаю, насколько он хорош.

I:
Этого мы тоже не знаем.
Поэтому мы не знаем всего, и никто из нас не знает многого вообще.

O:
Именно так.

I:
Поэтому я стараюсь не быть слишком предсказуемым.

O:
Да, да, да.

I:
Тогда вам нужно просто выйти на тротуар.

O:
Да, я так думаю.

I:
Я так чувствую.

O:
Думаю, вы правы.

I:
Думаю, вы правы…
У: Да…

O:
Да.

I:
Эй.
Можно я принесу еще кофе, и мы его выпьем?

O:
Конечно.
Я имею в виду, я все еще должен это сделать.

I:
Может, еще поработаем?
Нет, есть ли что-нибудь еще?

O:
Нет, нет, нет, у меня нет магазина на очень долгое время.

Я уверен, что магазина не будет еще очень долго.
Сокращение времени нахождения под воздействием Corona

I:
О, тебе стоит пойти.

O:
Я просто хотел спросить, не хочешь ли ты перекусить.

I:
Хорошо, давайте назначим время.

O:
Хорошо.

I:
Это ценно.

O:
Может, выпьем по чашечке кофе?
Хочешь чего-нибудь теплого?

I:
Я выпью чашку горячего кофе.
Извините.

O:
Да, сэр.

I:
Да…
Я не очень понимаю, о чем вы говорите, но…
Я не знаю, каковы истории Оджуна в наши дни, но, думаю, есть много историй об Оджуне из прошлого.
Я помню много интересных историй о себе в Германии.

O:
Он, вероятно, забыл многие из своих собственных историй.

I:
Мне удалось их запомнить…
Я помню историю о том, как он сильно разозлился в машине…

O:
О, вы имеете в виду историю о разрыве?
Я: О, вы имеете в виду ту, где вы расстались с виолончелистом?
С виолончелистом.
Я: О, вы имеете в виду ту, где у вас с ним были большие разногласия.

I:
Я: Да.
Я говорю о том, чтобы не открывать окно машины.

O:
О, как хорошо вы это помните!

I:
Я помню такие вещи, не так ли?

O:
Он был веселым парнем!
Он веселый парень.
Он прожил всю жизнь в Германии, был музыкантом.
Он играл на виолончели. Он был немного странным.
Он был из Аомори.

I:
Почему в Аомори так много необычных людей?
Есть много страстных людей…

O:
Действительно, у нас есть что-то общее… у нас есть тонкие нюансы, которые очень близки…

I:
Хммм…

O:
Люди, которых я знаю из Аомори, это…

I:
Хм…
В них что-то есть, не так ли?

O:
Да, есть кое-что.
Он был странным парнем…
Но он из тех людей, которые часто скучают по людям.
Он подходил близко к людям.
Но он сближается с людьми, но он забавный, поэтому, когда вы узнаете его немного ближе…
Он очень близко подходит к людям.
Итак, давайте отправимся в путешествие.
Боденское озеро – прекрасное живописное место на границе между Швейцарией и Германией.
Это туристическая достопримечательность.
Когда Бетховен посетил это место, он увидел отражение луны в озере и сочинил произведение под названием “Лунный свет”.
Бетховен написал произведение под названием “Лунный свет”, когда увидел отражение луны в озере.

38 [Лунный свет].
Соната для фортепиано № 14 до-диез минор, соч. 27-2 (“Sonata quasi una Fantasia”) – фортепианная соната, написанная Людвигом ван Бетховеном в 1801 году. Он широко известен под общим названием “Лунная соната”. Она эфемерна и прекрасна.

I:
Да, именно так.

O:
Да.

I:
О…

O:
Это очень приятное место для посещения.
Я решил поехать туда на машине. Он был человеком, который любил водить машину.

I:
Да.

O:
Он очень уверенный водитель.
Мы с семьей арендовали машину.
Он повел машину, и он единственный, кто может вести машину.
Он единственный, кто умеет водить машину, поэтому ему пришлось отвезти меня туда и обратно.
Но я сказал ему, что все в порядке, что я хороший водитель.
Становилось все жарче и жарче, погода ухудшалась.
В Германии это тоже не было круто.
Было очень жарко, и не во многих немецких машинах тогда были кондиционеры.
Это было невероятно. И в магазинах то же самое.
А поскольку кондиционеров не было, было очень жарко.
Господин Оджун сказал, что у него было открыто окно.
Я сказал: “О, это беспокоит меня, не так ли?
Поскольку мы едем так быстро, ветер дует оттуда, так что…
Я говорю, что мне очень жаль, но в машине очень жарко.
Я снова открою окно.
Что? Он открыт? Вы говорите…
Я сказал: “Извините, не могли бы вы отдохнуть где-нибудь, например, в подъезде?
Она ответила: “Конечно.
В то время все было нормально, но когда мы снова начали ездить, я уже не мог открыть окно.
По дороге туда все было нормально.
Но там было много интересных эпизодов.
Когда пришло время снова ехать домой, стало очень жарко, и не успели вы оглянуться, как внутри машины было почти 50 градусов.
Так что откройте окно.
Пожалуйста, не открывайте его.
Откройте его снова.
Он снова открыт.
А потом постепенно я дошел до того, что… здесь моя мать, мать моей жены… она уже старая женщина.
Извините, мы передохнем где-нибудь…
Нет, он сказал, что если мы сделаем перерыв, то снова вернемся домой поздно.
Но только немного, только маленькое окошко, ничего страшного.
Я музыкант, поэтому шум ветра меня беспокоит.

I:
Так вот о чем вы говорили.

O:
О…

I:
Вот и все!

O:
Я сказал, что думаю, что это…
О: Да, оглядываясь назад, я думаю, что это могло быть так.

I:
Может, и так, да.
Может быть, шум ветра, может быть, аккорды были недостаточно хороши.

O:
О, я вижу…

I:
У меня абсолютная подача.

39 [Абсолютная высота тона и слуховая чувствительность].
Слуховая гиперчувствительность – это огромная неприязнь к определенным звукам, при этом звуки, которые воспринимаются на общем уровне, воспринимаются как ненормально громкие. Например, небольшие звуки, такие как шум флуоресцентной лампы, холодильника или секундной стрелки часов, могут быть назойливыми и невыносимыми, вызывая боль за ушами, а иногда головную боль и головокружение. Абсолютный тон – это способность абсолютно точно, на основе памяти, распознавать звук, когда его слышишь. В отличие от восприятия относительного тона, которое распознает высоту звука с точки зрения относительного тона, восприятие абсолютного тона – это непосредственное восприятие высоты самого звука.

O:
У него было абсолютное чувство поля, не так ли?

I:
Я думаю, что у него, скорее всего, она есть.

O:
Она у него?

I:
Возможно, аккорд дорожного шума, шума двигателя и шума ветра
Я: Возможно, аккорд шума дороги, шума двигателя и шума ветра был недостаточно хорош.

O:
Да…

I:
Думаю, да.

O:
Я сожалею об этом.

В конце, когда мы были уже недалеко от нашего города, Гизеидлова, я не мог больше терпеть.
“Стоп! Я сказал.
Откройте дверь как можно шире.
“Это газовая камера Освенцима?”. Я сказал.
“Мы умрем!” “Мы падаем!” И все они уходят.
“Убирайся!”
Я больше не собираюсь иметь с тобой отношений. !!!!! А потом они с ним расстались.

I:
Я: В. трава.

Я: Эй, Тара, примерно через год я возвращаюсь в свою страну.
Примерно через год я вернулся в Японию, и мой японский друг, живущий там, сказал мне
Я такой: “Эй, знаешь, на днях…”
Когда он вернулся в Японию в первый раз, его звали мистер N0, и мистер N0 сказал мне.
Он сказал мне, что выбросил работу г-на Оджуна в день крупногабаритного мусора.

I:
Оу…

O:
Я: wtf?

Я сказал: “Это картина, не так ли?
Я сказал: “Да, да, я отдал его ему”. Когда мы были близки…
Когда мы были уже близко, я сказал: “Господин N0, разве это не фотография Оджуна?
Он сказал, что она совсем не вкусная и что он собирается ее выбросить.
Он сказал, что собирается его выбросить, и я сказал ему, что он у меня.

I:
Так ты выжил?

O:
Да, я выжил.

I:
Это интересно.

Я не знал, что это произойдет.

O:
Вот что произошло.
Сейчас это смешная история, но это случилось.
Но в тот момент я потерял самообладание.
Но в то время я был расстроен, но я также думал, что если ты расстроен кем-то или тебе что-то не нравится…
Вы действительно не знаете.
подумал я.

I:
Ты не знаешь, да?
Но я думаю, что у этого человека были проблемы с вами, и вы, вероятно, не смогли бы быть с ним.

O:
А.

I:
Возможно.

O:
Наверное, трудно зарабатывать на жизнь вдвоем.
Возможно, именно поэтому он – одинокий музыкант.
Я действительно чувствовала, что никогда нельзя сказать, кто такие люди.

I:
Хммм… точно…

O:
Я не имею в виду хороших или плохих людей.
Я думал, что это люди, которых не понимаешь.

I:
Я думаю, что это, вероятно, правда.

O:
Верно?

I:
Никто не делает ничего плохого.

O:
Я: Я знаю…

Я спросил его, чего он боится больше всего.
Я: Я ездил на то озеро Боден и останавливался в той гостинице.

I:
Да.

O:
И я сказал, что боюсь миски с рисом.

Я подумал, может, я ослышался. Донбури?
Донбури означает “миска риса с курицей и яйцами” или “миска риса с темпурой”.

Я спросил, почему?

Вы едите его вот так.
По мере того, как вы едите все меньше и меньше, вы заполняете его таким образом.
Затем чаша оказывается перед вашим лицом, и вы не видите, что перед вами.
Вот чего они боятся.

I:
Я вообще этого не понимаю.

O:
О, вот чего она действительно боится.
Вот почему она говорит, что есть рис с миской – самое худшее для нее.
Я хуже всего ем с миской риса.

I:
Я не понимаю.

O:
Ты не понимаешь, да?
Так что даже в то время я считала его странным.

I:
W

O:
Но, скорее, то, чего она боится или что ее беспокоит, – это то, что может по-настоящему понять только этот человек.
Только этот человек знает.
Я не знаю… сейчас…
Да, именно об этом я и говорил.

I:
Это так интересно!

O:
Хммм…

I:
Хорошо, последний, это последний.
Я расскажу вам историю о призраке, которую знает Оджун.
Можете ли вы рассказать нам историю о призраках?

O:
История о призраке…

I:
Все, что угодно, но только одно.

O:
Ну, самый новый… это тот, о котором я мечтала.
Но есть и тот, которого я боюсь.
У меня была кошка 12 лет назад.
Я думаю, она прожила 22 года.

I:
Он прожил примерно столько же, сколько и человек.

O:
Угу.

А потом, за несколько месяцев до моей смерти.
Я поехала в Аргентину на зарубежную стажировку Агентства по делам культуры.
Тогда я был в порядке.
Я сказал ему, что еду в Аргентину.

Его звали Фальс.

Он был стар, но в порядке.

Я вернулся.
Он был в порядке.

Внезапно на следующий день он не смог ходить.
Но если подумать, ему уже больше 100 лет.
Я подумал: “Наверное, она ждала меня.
Он умер через неделю.

Через некоторое время после этого я спал в своей спальне.
Я спала. Я спала в спальне наверху.
Я спал со своей женой, и это была середина ночи.
Моя дочь была там, но она была совсем маленькой девочкой, и находилась в передней комнате.
Она никогда не просыпается после сна, так что все это время она спала.
Затем я услышал, как она поднимается по лестнице… тумп, тумп, тумп.
Это звук нашей кошки, поднимающейся по лестнице.
Вот так…
Она поднялась по лестнице, издав слабый звук.
Он подошел к двери.
У меня даже сейчас мурашки по коже.
Я не знаю, но что-то здесь есть.
Я не знаю, но что-то есть… через дверь.
Я думал, это вор.
Я спросил: “Кто там?”.
Я открыл дверь.
Но там никого не было.

Моя жена, похоже, не спала.
Я сказал ей, что только что услышал шаги.
Она сказала, что тоже слышала их. Я был слишком напуган, чтобы встать.
Она сказала, что уверена.
Я спросил: “Кто это? Что происходит?
Может быть… Фальш, я не знаю, но он сказал: “Спасибо”.
Я так испугалась, мне показалось, что в двери что-то есть.
Я не вижу, но там что-то есть.

Я думаю, это страшно.
Я подумал, что это самая страшная вещь, которую я когда-либо слышал.

I:
Это история о призраке!
Большое спасибо.

O:
Как хорошая история, которая хорошо закончилась.

I: O:
Спасибо за сегодняшний день.

+

Я пытаюсь приблизиться к картине.

Инагибеев Комоновский.

+ –

 

 

 

 

 

 

 

 

geniusloci abyss